流石に、英語のテストが50点を切るようになって、慌てた私。

授業についていかなくてはと思い、

分からなくなったところに戻って地道に、

復習をすることにしました。

 

そしたら、何とか、授業で言っていることがわかるようになり、

テストの点数も、70点くらいまで回復しました。

 

流石に、英語のテストが50点を切るようになって、慌てた私。

授業についていかなくてはと思い、

分からなくなったところに戻って地道に復習し、

職員室に英語の先生を尋ねに行っては、

分からないところを質問するということ始めました。

 

先生も、いつも、内職や落書きをしている私が、

真面目に授業を聞き、こうして質問をしてくれることに喜んでくれて、

快く、教えてくれました。

 

そのおかげか、授業が分かるようになり、

テストの点数も、70点くらいまで回復しました。

 

そして、3年生の1学期の成績は、上々。

このままのペースで頑張っていけば、

市内で2番目にレベルの高い、H高校も狙えるレベルに到達するという状況になっていたので、私は、気を良くしていました。

 

そこに、夏休み。また、両親が、海外への短期留学を応募してくれたのです。

今回の行先は、アメリカのオレゴン州ポートランド。

今回は、ホームスティも経験が出来ます。

私の、ホストファミリーは、年配のご夫婦でした。

 

わたしの英語力は、いくら学校で習ったことを使って英語を話していたとはいえ、

片言の域をでない程度です。

 

しかし、身振り、手振り、紙やペンを使って伝えたいことを伝えていました。

もちろん、小学校5年生の時のカナダでの経験からです。

会話をしているうちに、ホストファザーは、家系図を作ることが好きだという話をして、

作った家系図ブックを見せてくれました。

 

あとで、アメリカは、建国200年くらいの若い国なので、

歴史的なものや伝統が少ないからこそ大切にするということ

その中でも、家系図作りを趣味にしている人が結構いて、

そういうキッドや姓名を検索できるサイトがたくさんあることを知りました。

 

一緒に行ったグループの中で、わたしは、Mという女の子となかよくなりました。

彼女は、中学2年生でしたが、

独学で、英語を勉強しているようで、

しっかりと、英語で自分の意思を伝えることが出来る人でした。。

そんな彼女の側で過ごせたことは、私にとってもプラスになりました。

彼女が積極的に色んな人に話しかけていたおかげで、

一緒にいる私も、現地の人と英語を話す機会が増えたからです。

 

アメリカでの日々は、

平日は、語学学校に行ったり、

課外授業で、観光や、ショッピングモールに出かけたりしました。

普段、日本の学校では友達がいない私が、

友達グループの中で、みんなで遊んだり

同じ年頃の現地の子たちとコミュニケーションをしたりしていました。

 

日本にいる時みたいに、周りを気にする必要もないし

自由で、解放されていて、楽しすぎて、

ずっとここにいたいと思うようになりました。

 

そんな時、引率の先生が

 

「高校行って、大学行くというレール通りの道もあるけれど、海外の学校に入って、他の人と違う経験するのもありだよね。」

 

と言ったことが

かなり、私の心に響きました。

 

そうだ、海外の学校に通えば、日本にいなくてもいい。

海外の高校へ行こう。

 

日本に帰ったら、両親に話してみよう!!!

 

もう、高校から、アメリカに行く気満々

そのつもりで、日本に帰国しました。