最近、やりたいこと、なりたいもの像がどんどん洗練されていっている
幸せに生きる上で必要無いものもどんどん増えてきた
楽しいことはいくらでもやりたいけど毎日が幸せであればあるほど、大好きな人に裏切られた悲しみも大きい
でももういい大人だから、そういう人からはそっと離れる術を学んだ
嫌なら一生逃げ続ければいい。立ち向かわないことは許されると学んだ

マグカップ一杯のココアを飲めば元気が出るってアルバス・ダンブルドアも言ってくれていた

罪を犯さないで生きるなんてみんな無理だってことと他人のことを変えたいなら殺されてもいいくらいの覚悟で挑まなきゃだめってこと気にづいてない人そこそこいる
はやく良くなってね
みんな自分自身のことを深く知ってほしいし自分のことを知らない人に迷惑をかけられたくない
言葉尻だけとらえられるのもむかつくというか悲しくなるし私がどんな気持ちで言葉を発してるかもっと探ってほしい。そこは自己アピールするところではない
みんないつ死んでもいい覚悟で毎日生きてよ

誰のことも救わなくていいし誰にも救ってほしくないと思えた

アナログの日記帳は持ってて忙しくなければ結構毎日とか書いてるけど誰にも見せない前提で書くよりネットに公開した方がちゃんとした文章がかける。使い分けをしたたかに生きよう

私は誰よりも精神が強いしまともだし自分のことが本当に好きだと思って生きてるけどそれは他人をいくら受容しても大丈夫ってことじゃないんだよわかってよ

新しい他人を受け入れる機会が増えた。大変だからツイッターをアンインストールした

職人になりたいっていう夢を持ってたけどそれももうどうでもいいなって思った

無意識に人を傷つける人に立ち向かっていかなきゃ、そういう人こそ私が一番順応しなきゃいけない人だっていうハングリー精神も消えた

(だからといって立ち止まったりしない)
言葉さえなければ私が大人のオブラートに包みすぎた物言いに悩んで一時間も無駄にせずに済んだかもしれないし言葉って気持ち悪い
でもあのことかあのことかとおんなじやり方で物事を考えてみたいな~とか思うときに私があのこのものの考え方を何によって分類してるかっていったらそれは言葉だからやっぱり言葉は気持ち悪いけどなくちゃいけないんだなと思うとちょっと肩身が狭くなる感じがするね

私お兄ちゃんがいるんですけどお兄ちゃんが大学生になったとたんクズになったんで私は絶対大学デビューとかしないし授業も真面目に出席するし良い成績もとるしと思って大学に行ったら、お兄ちゃんみたいなクズが大学にうようよいて、高校生の頃の私の基準で軽蔑しなければいけない人たちが多すぎて困るので、みんな許すことにした
許すっていう表現は良くない
私に許されたからって何になるんだろうね
一日中パーマ液のちょっと臭い匂いを嗅いで気持ち悪くなってたい

大学にいると自分が人より物事を深く考える方だって錯覚しちゃうからよくないね