私が大好きだった人の死を悼んでよ
ニュースで流れてくる死とか小説に描かれる死とか、うっかり直視して泣いてしまうこと、ひとつひとつ挙げていったらきりがないことは数が多すぎて、誰も追いかけられない

許せないことがあるんだ
信用したい人と信用した方がいい人との間のすきまは広い
ずっとそこを渡れずにいることに罪悪感を抱かなくていいんだよって私は私に言ってあげてる

世の中で一番大切にされる人が死にそうな人、次が生きてる人、最後が死んだ人
人が死ぬのは悲しいですって汀こるものも言ってた
悲しみを背負って生き続けることはできないけど、忘れないであげてほしい、ひやかしでもからかいでもいいから死ぬ悲しさを誰もわすれないであげてほしい。
死について気軽に喋るのが不謹慎という倫理観は恐怖からくるんだろうか

ニュースの世界に死が多すぎて、その本質を知る前から鈍感にさせられてる
人が死んだら悲しいに決まってる。美大の友達がリストカットで自殺したら悲しいに決まってるし、新撰組を目指していた夫が夢叶ったその日に死んだら悲しいに決まってる

許しも救いも生きてる人のためのもので、私たちは花を免罪符にして死者に備える
闘って闘って闘ってたたかえなくなったらまたたたかえるようになるまで泣いて待つしかできない、それが私たちの人生だよねみんなそうだよね
平均的な20才並なんて言われたくない
果たして私はたたかえているか?きちんと泣く段階に向かって進めているか?って確認しながら生きること忘れてたよ

電車の中でアイドル番組を見ることとハウツー本を読むことどっちが恥ずかしいだろう
生きてるなかで一番恥ずかしいことは考える前に自己啓発本を読むこと
次に恥ずかしいことは自分のことを考える前に他人のことを考えること

いくらやったって足りないなら、ご飯たくさん食べてできるだけやるしかない
一番価値がある種類の熱意は瞬間火力が強いものじゃなくてずっと燃え続けるものだって知ってるよ
ホグワーツより素晴らしい学校で教育を受けたので愚かに生きることが許されてない、頑張らなきゃ
罪を犯さないで生きることなんてできないけど、善くありたい欲求もまた拒めないって売野機子が言ってた

物を探してる時のいらいらと電車を待ってる時のいらいらといつまでたっても食卓から立ち上がれない時の気持ちは似てる

善くありたい欲求も含めて罪について考えられるほど頭がよくないので今度こそ寝る