以前、作編曲家協会顧問弁護士の神谷信行さんから送ってもらった被控訴人準備書面に久しぶりに目を通した。
平成12年(ネ)第1516号 損害賠償請求控訴事件のもので、控訴人は小林亜星 外1名、被控訴人は服部克久。
『どこまでも行こう』」の冒頭や終止部分で使われている「ドレミードシードレド」の音列は、アメリカのトラディショナル・ナンバー『ケアレスラブ』の終止部分「ドレミードシーレードー」や浜口庫之助作曲の『涙くんさよなら』の♪またあう日まで♪の歌詞につけられた「ドレミードシーレード」とほぼ一致する…とか、譜面読めないオレにはむずかしすぎる話。
結果は、裁判所の訴訟指揮による侵害主張の変更がものをいい、1勝1敗でどちらの顔も立つような恣意的な判決になったが、執筆者を守る立場である雑誌発行人&編集人としては他人ごとではない判例でもある。
「表現上の創作性のない部分」と「表現上の創作性のある部分」…、ここなんだよ。
一部分で判断するのか、全体で判断するのか、それがむずかしい。
でも、どうなんだろうな。
リミックスを手がけるのが得意なアーティストだったら、好きな楽曲を自分の手でいじってみたい、さわってみたいという気持ちはあるわけだから、こんなことで裁判であーだこーだ争っていたら話になんねーじゃないかよ。アーティストの才能を開花させる土俵が狭まっていくだけだ。
たしかに大切な問題ではあるが、音楽を好きな人が音楽の担い手になる…、こんな感じの話のほうが個人的にはシンプルで好きだ。
エッセイやコラムは執筆者の可能性をつぶしたくない…。
ここは編集人として徹底的にこだわっていきたい。