今日はいつもの焼き鳥屋で夕食をした後、夕空がとても綺麗だったので、息子と2人で本門寺まで散歩に行った。こういう夕暮れの空を見るといつも山下達郎の「蒼氓」が頭の中を流れてくる。
遠く翳る空から
たそがれが舞い降りる
最初のこの歌詞だけで、一瞬にして夕暮れの蒼い空が目の前に浮かんでくる。楽しいのか、苦しいのか、嬉しいのか、哀しいのか、全部入り混じった複雑な気分とでも言うか、自分が何処に居て、何処の景色を思い出しているのかすらよくわからなくなってくるような気分とでも言うか。。ただ一つ言えることは、色々人生に嫌なことや思い通りにならないことがたくさんあるけど、まあそんなものというか、それが自分に与えられた人生だったのだと思うしかないと、思わなければいけないのかもと何となく感じたりする。
憧れや名誉はいらない
華やかな夢も欲しくない
生き続ける事の意味
それだけを待ち望んでいたい
僕はそこまではまだ割り切れていない気がする。憧れも名誉も出来ることならまだ望みを捨てたくない。でも現実がそれらを引きずり降ろそうとしているような気分になることが多くなった。
でも、少なくとも、このお寺にこの子は小さい頃からずっと来ていて、少しづつではあるが、着実に大人に向かって成長している。それが、自分の生き続ける意味だとするなら、これほど幸せなことはないし、そのために自分の人生があるのだろう。
子供に対して、自分がやれなかったことをやらせたいなどと思う気分は一切ない。そんなことを言ってる奴が自分の近くにもかつて居たが、そんな奴ほど自分自身の人生に対する努力が足りない人間だと思う。子供の人生にとって何が必要なのかだけを考えてあげればいい。自分の達成できなかった人生など、いちいち言葉に出したり、子供に押し付けたりするな。そんな考え方だから、カスみたいな人生で終わってしまうのだ。
子供が自分自身で考えた幸せな人生をこの先も送ってくれるように、僕らはそっと後ろからサポートしてあげるしかない。
