自分探しの旅 | also171のブログ

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自分探しの旅
「これは僕の手」
「これは僕の顔」
「これは僕のおなか」
「これは僕の足」
一体全体ボクはどこにいるのだろう。
こんな素朴な疑問をもつたのは、私が小学生の秋のこと、今もよく覚えている。西の空を真っ赤に染めながら。
まぶしい太陽がだんだんと山影にかくれていく。
あたりはすっかり暗くなって東の空には一番星が輝いて、それをじっと見ていたときだつた。
どんなボクがボクなんだろう。
自分にはボクがわからない。
母の言葉だけを頼りに育った。
母は仏さまを深く信仰していて、お寺へよくお参りにいった。
住職さまのお説教を聞いては感心し、夕食のときなど幼い私たちにそのありがたいお話をしては、いつもこうつけ加えて私たちに念を押したのである。
「人さまによろこばれる人間になりなさい」「人さまのお役に立つ立派な人間になりなさい」「自分のことより、人さまのことが考えられる人間になりなさい」「陰日向があってはなりません。
見えないところに善行を積みなさい」
「心に悪いことを思ってはいけません」
「人さまが見ていなくても心の中や行いのすべてを神さまや仏さまがちゃんと、見ておられるのです。」
他人から嫌われる不幸な子よりも、みんなから愛される幸せな子にしたい。
母はそう願っていたのでしょう。
このように、母が繰り返し繰り返し念を押して私のこころの中に叩きこんだ言葉は。

極端な表現になるかもしれないが、要約すればこういうことになるのではないでしょうか。
「自分のことは考えないで、よろこんで他人の犠牲になりなさい」「他人の機嫌をとりなさい。嫌われてはいけません。
他人を自分の人生の主人公にしなさい」「あなたはあなたであってはいけないのです」「三つ子の魂百まで」という諺とうり、幼い心にこのような言葉が繰り返し繰り返し叩きこまれたは私は、すっかり自分がわからなくなってしまったのです。

臆病で落ち着きのない子、他人の目が気になるどころか、他人がこわい、他人が自分をどう思うか。
四六時中気を遣う。相手の気持ちを先取りして、一生懸命つくす。それでいて相手から私が期待している通りの感謝の言葉が返ってこないとイライラする。
いくら他人につくしても、私のこころの中は不安と不満がうず巻いている。
自分を否定しているから、まわりの人も否定してしまう。何もかも否定して、否定の人生になってしまってた。