自分を責めるではない。
私の足が急に止まった。雨あがりの銀座四丁目交差点歩道を歩いていた。歩道のみずたまりに私の顔が映つた。誰かが、きっと私の肩から重い荷物を取り去ったように軽くなった。
「そうだ。この世に生まれる前に「良い心と悪い心を入れてください」と神仏にお願いしたことはない。したがつて、悪い心の存在は私の責任ではない。安心していい。自分で自分を責めることは馬鹿げている。やめよう」そう気ずいた瞬間。
それまで両肩にのしかかつていた自責の念の重圧が、ウソのように消えてしまつたから、うれしくなった。
とはいっても、善悪どちらの声に従うかという決定権は私がもっている。それに従う結果は、もちろん、私の責任である。
2000年9月10日私の心に起こったこの変化は、今、振り返ってみると価値ある楽しい人生のへの第一歩だつた。
#責任
私の足が急に止まった。雨あがりの銀座四丁目交差点歩道を歩いていた。歩道のみずたまりに私の顔が映つた。誰かが、きっと私の肩から重い荷物を取り去ったように軽くなった。
「そうだ。この世に生まれる前に「良い心と悪い心を入れてください」と神仏にお願いしたことはない。したがつて、悪い心の存在は私の責任ではない。安心していい。自分で自分を責めることは馬鹿げている。やめよう」そう気ずいた瞬間。
それまで両肩にのしかかつていた自責の念の重圧が、ウソのように消えてしまつたから、うれしくなった。
とはいっても、善悪どちらの声に従うかという決定権は私がもっている。それに従う結果は、もちろん、私の責任である。
2000年9月10日私の心に起こったこの変化は、今、振り返ってみると価値ある楽しい人生のへの第一歩だつた。
#責任
