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お家芸の誇り胸に=山下氏「最高のライバル」-斉藤氏死去時事通信社北京五輪に向けた柔道男子の強化合宿で、選手に声を掛ける斉藤仁監督(右)=2008年7月、東京都北区の味の素ナショナルトレーニングセンター 男子最重量級で五輪を2連覇し、指導者として日本の強化に心血を注いだ。日本柔道界が低迷を極めた3年前に強化担当のトップに就き、昨年は入退院を繰り返しながらロシアでの世界選手権や韓国・仁川アジア大会の現場に足を運んだ。日本を再建する思い一つで体にむち打ってきたが、意志半ばで病に倒れた。54歳。いかにも早過ぎる。 青森県出身。高校、大学は名門国士舘で腕を磨いた。巨漢ながら倒立で腕立て伏せを100回以上こなす身体能力に加えて、技の研究に熱心な努力家だった。 最初で最後の全日本選手権優勝を果たしたのは1988年、27歳の時だった。長年、背中を追っていた山下泰裕氏(現全日本柔道連盟副会長)が大きな壁になっていたため、先輩の現役引退後に悲願を果たした。 その山下氏は斉藤氏に「柔道人生最大で最高のライバル」と感謝する。日本がボイコットしたモスクワ五輪翌年の81年世界選手権で2冠を果たした山下氏は、「心の中に穴があいた」。その時に現れたのが斉藤氏だった。「彼が出てきて私の闘争心がよみがえった」。84年ロサンゼルス五輪で、先に95キロ超級で金メダルを獲得した斉藤氏が「先輩、勝ちました。あすは頼みます」と声を掛けた。翌日、無差別級で負傷を乗り越えて金を手にした山下氏は「一番の思い出」と回想する。

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