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訃報:元長崎市長の本島さん 体験に基づき弱者目線毎日新聞 92歳で31日、亡くなった元長崎市長、本島等(もとしま・ひとし)さん。世界に平和を訴える被爆地の市長が天皇の戦争責任に言及し、テロで重傷を負ったことは衝撃度で現代史に残る。1995年の市長選落選後は論文「広島よ、おごるなかれ」で加害責任を軽視する日本の反核兵器運動に異を唱えた。こうした言動で反戦を訴えた反骨の政治家や論客と記憶されるだろう。 隠れキリシタンの末裔(まつえい)で非嫡出子。差別や貧困から脱出するため政界へ。清濁を併せのみ、面倒見は抜群で保守政治家の実力者となった。弱さを認め、愚者を演じた処世術は自分への自信に裏打ちされ、大衆に愛される天賦の才があった。 本島さんの核をなすのは、弱者への共感だった。「平和市長」と呼ばれ、弱者だった被爆者の援護に尽くした。被爆地と被爆者を熟知し、被爆者でなくとも被爆を語れる希有(けう)な存在だった。カトリック信者としての宗教観から銃撃犯さえ許す一方、原爆投下という被害を強調するあまり軽視されてきた加害責任は問い続けた。 戦争責任発言の発端である議会答弁は前段で天皇の戦争責任を指摘したが、後段では責任を不問にした戦後処理を受け入れると明言した。天皇の責任追及を意図したのではなく、戦争で踏みにじられた一兵卒が抱いた実感を吐露し、日本の戦争責任を検証すれば天皇も責任を免れないという客観的な認識を示しただけだった。 本島さんの真骨頂は自らの体験に基づく主張であり、戦争に翻弄(ほんろう)された弱者の目線だった。「戦場へ行かず人殺しせずに済んだが、自由も人権もなかった。正義の戦争はありえない。戦後育ちの政治家や学者が『力は正義』と勇ましい理論を展開するが、痛みがうかがえず『戦争なんて大したことない』と聞こえる。自分たちは戦争に行かないんだ。でも支持が増える野蛮な時代に帰りつつある」 近年は「平和が吹けば飛ぶ存在になった」と心を痛めていた本島さん。出自や宗教での差別、戦争で味わった弱者の痛み。強者になれず理想と妥協に揺れた為政者の痛み。集団的自衛権行使が容認され、ヘイトスピーチ(憎悪表現)が吹き荒れる今、忘れてはいけない痛みを教えてくれる、かけがえのない先達を失った。【横田信行】