大川豊総裁 借金8000万円も動じず「貧乏でも勝ち上がれるシステムを作りたい」 | also171のブログ

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大川豊総裁 借金8000万円も動じず「貧乏でも勝ち上がれるシステムを作りたい」
 江頭2:50を筆頭にお笑い界で唯一無二の芸人を輩出し続けている大川興業が、今年で結成から約30周年を迎えた。大川興業の設立者である大川豊総裁がリアルライブ編集部だけに、現在の心境や今後の展望を明かした。

 「絶えず前進なんで、あんまり何周年ていうのは感覚ないですよ。意識がなくて」と意外とあっけらかん。大川興業は1983年に大川豊総裁が明治大学在学中に5~6人で結成したパフォーマンス集団で、1985年に法人化し、大川興業株式会社を設立した。

 「大学時代に、オシャレな学生たちの仲間に入れない人たちの間で結成したのが初まりで、貧乏学生が集まってテレビに出ればお金になるっていう、単純な考えだった(笑)」と結成秘話を明かした。

 結成当時は、校内やストリート、居酒屋などでパフォーマンスを披露していたようで、「たぶん、一気コールは俺たちが元祖ですよ。俺たちが居酒屋で一気コールをやっていたのを、サラリーマンや他の学生が真似して、スゴいブームになって。歌舞伎町では謎の集団って呼ばれていたんですけど、段々と名前が知られて、他の大学の学園祭に呼ばれたり、テレビの視聴者参加番組に出演するようになりましたね。最初の頃は、俺たちの存在が都市伝説になってたらしいですからね(笑)。上半身学ラン、下半身スッポンポンで走ってたりしてましたから」と笑い飛ばした。

 テレビに出演するようになってからは、「当時、アルバイトの時給が500円ぐらいだったんですけど、テレビに1回出演すると3万円ですから、かなりおいしい。視聴者参加番組に出演すると、時々サイパン旅行やバリ島旅行が当たったりして…。みんな、稼いだ金で授業料払ったりしてました」と環境がガラリと変わったという。

 その後、大川総裁は就職活動に励むが、153社落ちて内定を獲ることはできなかった。「たぶん、日本一の記録ホルダーですよ。今でも破られていないと思うんですけど(笑)。トヨタだろうが、三菱だろうが、ソニーだろうが受けましたよ。大手町に自転車を置いて、面接会場を回ったのを憶えています」と振り返った。就活後、自分で仕事を生み出した方が早いと考え、自ら代表取締役となり大川興業株式会社を設立した。