私は親の顔色見てばかりで育った。母親は普段は普通に世話をしてくれる一見普通の母親。でも本性は、子供を自分の持ちものと思っている。自分の都合は全て子供は従わなければならず、完全にコントロールしていい存在とみなしている。

父親は、昔気質の親に育てられ、「子供は母親が育てるもの」という考え方を持っている。教養もなく中身は完全に子供のまま大人になったので、子供をどう扱っていいかわからないといった様子だった。成熟しきれてないのですぐにきれ、自分勝手で暴力的な人だった。

 

そんな親二人の間に生まれてしまった私は、心はいつも愛情を求めているが、普通の子供なら自動的にもらえるはずなのに、もらえなかった。そうすると、常に愛情をもらえる努力をしてしまう。

 

それは、コントロールしたい母親の言いなりになり、いい子を演じる事だった。

母親が喜ぶからがり勉になり学年でトップの成績を取る。家のお手伝いをする。母の趣味に興味があるふりをする。

本当は私は頭がいい方じゃない。勉強はする理由もなかった。別に将来の夢もないし、大学に行きたいとかも思ってなかった。というか、私なんて何者にもなれるわけない、とあきらめていた。

 

母も私に勉強させたい理由は、私がいい成績を取って、将来いい職業に就いて欲しいというものではなかった。ただ、私を使って近所の人や同級生の母たちに自慢したかっただけ。頭の悪い私が母の愛情を感じる為に努力して努力してようやくとった良い成績表を見せても、期待した「よく頑張ったね、すごいね」という言葉はもらえなかった。

 

「一番を取って鼻が高いわ」

あくまで主語は「自分」なんだ、あの人は。

 

母は成績のいい私を気に入っていた。いい自慢の道具になるから。でも少しでも気に障る事を言ってしまったり、口論になって自分の意見を出し過ぎてしまうと豹変する。

道具のくせに私に歯向かいやがって、という気持ちなのかな。

途端に無視が始まる。ご飯をもらえないという罰が2、3日続く。その間私は自室の中で空腹に耐えながらびくびくして過ごした。父も兄も見て見ぬふり。助けてくれない。

 

どんなだったかも覚えてないくらいどうでもいい些細な口論なのに、毎回こんな罰を与えられていた。最終的には訳もわからず私が謝る事もあった。ごめんなさい。と言って、何が?と聞かれ、「何がごめんなさいなんだっけ?」って思ったのを覚えてる。私はただ、罰をやめてほしくて謝った。

ご飯をもらえないと死ぬと思ったから。愛情を受けて保護してもらわないと子供の私には命の危機だと思ったから。だから望まないのに親の望むように行動するようになっていった。親の望むようにしても愛情がもらえるわけではないんだけどその時はわかるはずもない。

 

そうするうちに、自分の考えというものを持たなくなったんだと思う。自分の意見を持ってはいけない、とさえ思っていたのかもしれない。

 

子供の頃、学校で何度も聞かれた「将来の夢は?」の質問に私は答えられた事がない。夢なんてなかった。何にもなりたいと思わなかった。思う能力がなかった。

 

こうやって自分の事を「考える、思う、夢見る」という経験をせずに育った私は、人の心にも鈍感だった。自分が何も思っていないから、他人が何かを思っている、という事がわからないのだ。

だから今考えると、だけれどもたくさんの人を傷つけたと思う。「心無い言葉」というけれど、本当に私には心がなかった。

 

それは性格が悪いというのはちょっと違った。これを言ったら傷つく、これをしたら傷つく、という思考に至れない。そこまで考えが及ばない。そういう感じ。

 

以前、付き合っていた彼氏に、わざとひどい事を言われた。なぜそんな事をするのかと理由を聞くと、私がひどい事を言った仕返しだという。私はひどい事を言った覚えがない、気づかぬ内にしてしまった事だ。でも傷つける為にわざと言ったあなたの方がひどい!と言い返すと、

「気づかず言ったお前の方がひどいんじゃないの?」

と言われ、ハッとした。私はいつも気づかないうちに色んな人をいっぱい傷つけて来たのかもしれない、とその時ようやく気付いた。

 

私はずっと自分をかえりみずに生きてきてしまった。自分が何をしたいのか、それを感じ取る能力がない。子供の頃親に、自分の自由意思を制限されたせいだと思っている。

平穏な家で、自分は親に守られる存在だと信じ、のびのび育つ事が出来たら私はきっと今違う人生を歩んでいただろう。

 

親が大事にしない私をどうやって私自身が大事に思う事ができる?

 

でも周りを見回すと親のせいで大変な人生になってしまってる人いっぱいいる。重症度は違うけど、本当にたくさんいすぎてこの世はどうなってる?と思う。

私の重症度は10段階で6くらいかな。兄は8くらい。父に殴られ、成績も悪くて母の自慢の道具にもなれなかったから。その話はまた今度書こうかな。