「なんで教えてくれないの?」

 

そんな声が聞こえてきそうで、少しナーバスになって考えていましたが、試したいことがあって最近やっていることがあります。

 

 

というのも、『復習』という行為・作業に関して、どこまで指導者の指示や与えが必要なのかということ。

 

「授業を聞いたら分かった気になるのだけれど、しばらくしたら何のことやら・・・」

よくこういうことって聞きますよね。

 

でも人間の脳みそって、一度聞いたことや「フムフム」となったことに対して、それほど簡単に「バイバイ」とはならないはずなんです。

 

 

 

勿論思い出すきっかけは必要で、ご家庭で子供たちがよくお母さんに注意される事柄だって、潜在的には「やらない方がいい」と分かっているのに、いつの間にかしてしまっていて、結局また怒られてしまうわけです。

 

勉強にもそんなことが起こっているんじゃないかって、思うわけです。

 

 

ちょっとしたヒントや補助線を引くだけで「ハッ」となって手元の問題が進むことだってありますし、いろいろと試して「もしかして・・・」が生まれることだってあります。

 

今試したいのは特に後者の方の感覚。

 

 

算数・数学に限らず「学習」は経験から生まれます。

 

 

まずその「経験」の価値を上げること。

簡単なところでいえば、学校や塾の授業の聞き方を変える。

どうしたら内容を聞き逃さないのか、自分の価値観で構わないので沢山試してみる。

 

 

次に「経験」を積み重ねること。

分かりやすいものでいえば九九なんかもそれで、最初は音楽にのせて覚えたり、語呂合わせで覚えたりしますが、それはあくまで取っ掛かりで、たくさんの計算問題をときながら、「ロクシチ シジュウニ」と頭で何度も何度も思い出すことで、「6×7」をみれば「42」が自然と現れます。

 

小6で多く取り扱う約分なんかもその一つですよね。

最初は小さな公約数にしか気づけなくても、練習すればするほどに、経験を積めば積むほどに精度もスピードも上がってきます。

 

僕たちが生徒たちに問題を解くスピードで負けないのは、この経験の積み上げによるところが大きい。

 

 

そして最後に「経験」を引っ張り出すこと。

勿論経験ですから一度やっていることが前提ですが、それを思い出させる機会を与えること。

 

今僕が試したいことはこの最後の部分。

現時点ではやはり低学年のほうが価値が高そうに感じます。

 

学年が上がるほどに教科に対する固定的な感覚が生み出されてしまっています。

 

それが学年が下がるごとに、普段はいろいろなことに面倒がるような子供たちも、一つ一つ自分で解決する気持ちよさを感じ取れることが良いのか、「経験」の引き出しを楽しんでいるように見えます。

 

 

ただ道具や準備、僕自身の学びも必要なので、大変は大変なのですが。

 

これが安定的に学びの刺激になると、ちょっと楽しいことが起こりそう。。。

 

検証を進めてみます。