人は生きていくうえで、タイトルの二つを上手くできる付き合い方を仲間たちとせねばいけません。
学習や仕事をする上でも同じことで、この二つの比重を間違えると、お互いの意識や価値観が伝わらないまま過ごすことになります。
そうなると非常に切ないし、ただの時間の浪費になってしまいますよね。
学校で気に食わない同級生・先輩・後輩・先生がいて、「○○ってさ~」「そう、分かる分かる。」ってのは、話す側からすれば共感を求めているので、「だからどうすれば、それが解消されるか」は生まれないんです。
「あの子にもいいところがあってさ」なんてこと言おうものなら、白い目で見られてしまいます。
だから僕はこういうやり取りをするのが滅茶苦茶苦手です(笑)
解消にむかわず、逆に「いじめ」や「反抗」につながることの方が多いようにも思います。
だからと言って、ため込んでいると精神衛生上よくない。
よって悩んでいるときは、「どうしたらいいか」を求めているなら、誰かに相談して「共有」していかなければいけない。
そうでなくて吐き出したいだけなら、それを言ってもあなたの評価を下げずちゃんと認めてくれる仲間にだけ話しをするに留めた方が良いですね。
そういう仲間がいなければ、家族に話すか、我々に話すか、それも厳しければ言うのは諦めましょう。
「諦めろ?」冷たく聞こえますか?それは他人のためだからです。
悩みを全部放銃できる人は、逆に周りの事を考えられていないはずです。
そういう観点で見れば、抱え込むことも人を成長させます。
これ我々の仕事にも言える事なんですよ。
塾の一般的なイメージ、特に大学受験なんかだと、「こっからここまでやりなさい」「やらないなら、それはあなたのせい」というスタンスになりがちです。
だから教室現場でも、どんな働きかけをしても中々動きに繋がらないケースでは、
「やってくれない」
「こんなにやってあげているのに」
「やってもしょうがない」
「自分とは次元が違う」
そんなネガティブな感情になって、「どうしたらいいか?」を御座なりにして「この生徒は無理」と烙印を押しかねない。
そして、烙印を押したいあまりに、周りに共感を求めるわけです。
そこで、「わかる~」で終わっていては、指導者の側が終わってますね。
どれだけ手を打っても最終的に変えてあげられないことはあります。
それでも自分の価値観の外にあって、まだ少し次元の劣るものを認めることができないのでは、いつまでたっても中高生と変わりません。
そう言う人は学校でも職場でも、傷の舐めあいをする様に同じスタンスのもので徒党を組んで、「共感」を求め続けるはずです。
「共有」して解決策や他の人の価値観を取り入れ、頭の中にゴチャゴチャと情報を突っ込んで、それを自分で整頓してみる。
20年以上この仕事をしてきて、様々なことで上手くいかない生徒にぶつかる度に、こうやって考えるようにしてきました。
ですから当然、講師たちにも同じように「解消するには」を大前提に「共有」をしあってほしい。
徒党は組んでほしくない(笑)
生徒たちもおんなじ。
中学生ともなれば色々なモヤモヤが生まれてきます。
それでもほとんど解決できないことはないし、解決策はあるはずなんです。
そんな生徒に僕らは先の明るいイメージを伝えるし、「その悩みや問題は大したことではないんだよ」って伝えます。
いつの瞬間でも良いから彼ら彼女らが
「まっ良いか」
って思ってくれるように。
受験を迎える中3生は特に悩みも多くなるでしょうが、「解消法」を探すことに沢山力をかけようね。
では~![]()