今回は歴史のコーナです。。。。。。。。。。。。。。

いいえ
。。。まあ少しだけですね。
まずは、皆さんに小さい質問です。リヨンのイルミネーションはどうしてですかご存知ですか。
ヨーロッパの中世からリヨン人が聖マリアを崇拝していました。
しかし、フランスのルネサンス期に1550年から1643までペストにリヨンの人口の半分ぐらいが死なせました。
切望のどん底になっていたから(無能な医学)、リヨン市の有力者もリヨン市民もペストを止めてくださいませとマリアに祈りましてペストが止まった。
それでは約束を守っていて二つのマリアの彫像が建っていまして、毎年、9月8日に(クリスト教の祭りの日)、「Fourvière」の小聖堂でマリアに祈っていました。
あの時代はまだまだイルミネーションがありませんでした。
そうこの「祭り」が200年後ぐらい行ないました。
1848年から「Fourbière」の古い小聖堂の鐘楼を修復が始まりました。
1852年にこの改修した小聖堂の鐘楼の上で新しい聖マリアの彫像が開会式を行なうきでした。もちろん、9月8日に開会式を行なうつもりでした。
でも、当日は大雨やソーヌ川などですから開会式を取り消しました。
それでは12月8日の朝(他のクリスト教の祭りの日)が決められました。有力者はベンガル花火を計画していますけど、また雨が降っていました。
だから、また、取り消したがりました。
しかし、当日の晩には突然雨がやんでいました。
で、リヨン市民は自分で窓の上で小さいグラスの中でカンデラをつけました。(Lampionーランピヨン)と言います。
ですから、リヨンでは毎年に1852年12月8日はイルミネーションの日になりました。
現在はリヨン市にも「Fête des lumières」(光の祭り)というがあります。
実は、この「光の祭り」と「イルミネーション」は「本当の」リヨン人の心の中で全然違っています。

「光の祭り」は一般的に3、4日間続いて、「イルミネーション」が1日間だけ:12月8日。
リヨン人の心の為に別の問題が起こりました:「光の祭り」の時にはリヨン市はとても大変になっていますよ。人々が大変な多くなっています。
大通りでも全然動くことができません。



そん下はある撮った写真。この粗悪な写真はすみません。
私のカメラは夜の時の写真について下手です。
その下の写真はリヨンの隣の街の市役所の正面に「光の祭り」の間に撮りました。
その下の写真はクリスマスの時に通りのイルミネーションです。
私が忘れた歴史的事件を調べたお知らせ:
http://www.lyonweb.net/agenda/e/771/Les-legendes-et-l-histoire-vraie-des-Illuminations-ou-de-la-Fete-des-lumieres.htm (フランス語だけです)
もちろん
:http://fr.wikipedia.org/wiki/F%C3%AAte_des_Lumi%C3%A8res_%28Lyon%29(こちらでも日本語がありません)







