『支配欲。大いなる軽蔑の恐るべき教師。この教師は諸都市と諸国に面と向かって、「汝、去るべし!」と説教し、かくて諸都市と諸国それ自身のうちから、「我、去るべし!」という絶叫が発せられるに至る、その眼差しの前では、人間は腹ばいになり、身を屈め使役に服し、蛇や豚よりも低劣になり、――ついに大いなる軽蔑が人間のうちから絶叫するに至る。』 フリードリヒ・ニーチェ「ツァラトゥストラ」
  
 私たちの中の不安の種は、人間や法則などでは予期できない自然の侭ならさ、理不尽への恐怖、被支配の苦痛であり、精神の中の国家はその不安の種を我先にと攻撃しようと務める。その中で、狡猾なものは暴力による征服心であり、それが実行できないものが行うのは、空想による圧倒であり、詩人やロマン的小説、映画、ドラマ、漫画、戯画の反撃と復讐がそこにはあるように思われる。「汝、為すべし!」という各国の教典にも見受けられる、あの定言命法にも時の残酷さがあるのは、個々の個体を犠牲に捧げ、体制の城壁を固め礎にする、人柱のような精神の統治にある。 支配する根源が行動領域外にある時に、我ら狡猾な支配者の中でも直情的な者は、最も攻撃しやすい身近なものに敵対心を燃やす。攻撃対象が見つからない場合は、自己自身へと牙を向けて、自分自身を噛みつき攻撃する。そして、自己の中に無きものを自分の五臟六腑から引っ掻き出して、かき回し、その臓物からは栄養に足りないものを算出し求める。その名は「理想」。 理想は翼を持ちながら、大地から遠ざかり、地上の軽蔑すべき愚か者を見回しながら、優越に浸る。「どうだろう!貴公らの場所からではとても追いつけまい!私の景色は貴公らを超越しているのだ!どうだ一つ、貴公らも私の所へと飛んではみまいか?もう、ここ無しじゃ居られないような、楽園を私は知っている!」ああ、彼はもう後戻りはできない!彼は金輪際、地上へ戻ることが出来ない。空の上は、何と居心地のよいことだろう・・。彼らは理想が何もしないことをその空で知る。我々が何を求めていたのか?地上に戻り、二度と自己になろうとは欲さない。そんな地上で起きた阿鼻叫喚は無駄な徒労だと悟る。人間は理想の象を追い求めていたのではなく、それを渇望しなくなる「虚無」こそを欲していたということに彼らの体は気がつく。大掛かりな理想を語るものには気をつけなさい。彼らはその理想によって、この世に復讐をすることで、その征服感を満たしている、一服従者なのだから。彼らは私たちの懷中にも夢を見ながら襲いかかる。この世とあの世の区別がついていない、自由な天使にでもなったような勢いで、自己を聖化した幻想に縋りながら、私たちの富を奪おうと目をギラギラと光らせる。その答えは、歴史は繰り返すというあの箴言にもヒントがあった。その続きをつづるのなら、「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として。その記念碑に記された神話を望むものが我々、人間の中に多数いるということが言えるのではないだろうか・・?」という弁証的問いの形式になる。マルクス主義は趣味に反するのだが、マルクスはやはりヘーゲル的弁証には長けていたと言わざるを得ない。ヘーゲルの止揚には過去から存在してきたストイシズム的学者の手垢がベタベタと付着しているのを見えるだけあって、結ばれている紐が、あちらこちら交差しながら芯をつたって上に伸びているのを見る。この過去の歴史によっての軌跡が私たちの目に映ると、畏敬を感じるし、その畏敬からあの忌まわしき錯覚、絶対知を空想する。この負の遺産は今も、私たちの目に映るたびに悲壮的な痛みを感じさせ、または熱狂的な先人への畏敬を、偲ばれる痛ましい愛すべき犠牲を、そしていよいよ眩しすぎる光で見えなかった認識が見えてくるのだろうか。しかし、我らは認識の太陽には永遠に近づけないのであり、理想は砂上の楼閣として、たった一つの矢一本で射抜かれ、崩れる去ることを今だ知らないのだ。夢と現実の区別がついていないものには、今が夢だという自覚が乏しい。その理想はただの希望に成り下がり、また希望がなくなるや否や、期待という名の諦めへとパラノイアを誘う。譫言のように理想を語るに至り、支配者の存在により汁を吸う寄生蟲へと成り果てる。これが思想家の末路であり、彼らの目に映るのは常に、自己を通してみる人類の記憶の回想であり、それを露骨に見るせいで迷子になり、もはや迷宮からは戻ってこれない。それをどう乗り越えるかが、人間の尺度であるように私には思われる。ある者は虫になり、ある者は動物になるし、ある者は植物になるし、ある者は石にもなる。その自然への恐怖が時に、悪魔的人格を人間の内から呼び覚ます。これがニヒリンの蔓延を、楽園からの追放をまた繰り返す。もうこんなカリカチュア、結構ではなかろうか・・。
  こうして意志は無いこと、如何に記号でしか人間は物を見れないか、もし意志自体それがあるとしたら、全てへの征服と支配欲、それ以外の何ものでもない。そして、我々自身の意志もそれ以外の何者でもない。