私には、大好きな大仏師がいる。


その大仏師の彫る仏像には、余分なエネルギーが感じられない。


どういうことか、というと、その大仏師の想いが入っていない。


その大仏師が、ある時、人生の難題にぶち当たったそう。


それは、人々が何百年も手を合わせ、拝む仏像を自分が作ってよいのだろうか?という疑問を持たれたそう。


悩みながらも、生活の為に仏像を彫り続け、そんなある時、1つの答えを得たそう。


木には仏性があり、元々、仏様が宿っている。自分は余分なものを削ぎ落とし、その仏様を顕わ(あらわ)にしているだけ。


仏像好きな私に、友達が名士と云われている仏師の仏像の写真をくれた。


写真を見ると、仏様のエネルギーは感じず、感じたのは、その名士と云われている仏師のエネルギーだった。私には、その仏像に何の魅力も感じなかった。


その名士と云われている仏師のSNSのサイトを開いて見た。工房でタバコをくわえている姿だった。


私の大好きな大仏師の工房に行ったことがある。その工房は、整理整頓され、塵1つ、埃1つ、落ちていなかった。


仕事の前には、身を整える為に、お弟子さんと共に読経をしている。お弟子さんに強要したわけではなく、自然とお弟子さんも始めたそう。


想いは、重いであり、それは、時に余分なものとなる。


日常の在り方が、その人の生き方であり、それがその人の仕事や人生に反映される。


私も今、ブレスレットを紡ぎ、販売していますが、そこに私の波動は入っていても、想いは何も入っていません。それは、その想いが不要と知っているからです。


何かを製作する、何かを作る。

それが物であっても、料理であっても、その製作者の波動が乗っかってきます。


それをいかに、クリアなもの、余分なものを入れずにするか。


それは、自分と向き合い、自分を研磨し続けるしか方法はありません。


想いは、重い。


一流のプロほど、それらがないように感じた、大仏師との出会いでした。



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佐藤一美
サロン所在地→静岡県榛原郡
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駐車場はあります。
出張可能です。

☆レイキ伝授は随時、受け付けています。