5月 6月 7月 火星人+は大殺界というもので
なかなか狂った日々でござった。


お知り合いの生存確認のため家に行ったり、
感度が飛び抜け過ぎていて、彷彿される友人の気配を肩と首の後ろに感じたり。
目に飛び込んでくるそっち側の情報もてんこ盛り。
まあ個人的には楽しかったけどね。異次元フリークス。

現実を生きて生きてないような浮遊の感覚。


これは良くない。

毎晩丑三つ時に目が覚め、散歩をし
ぼうっと月を眺めて音楽を聴きました。

また、懐かしい友人たちとの再会も多かった。
不思議な月だったなぁ。

 

まるで何かを訴えかけてるような言葉の数々、思い出話。
私は7年ほどすっぽり記憶が抜け落ちてるところがあって
その部分を、客観的に教えてくれるやりとり。

 

思っていた記憶と違うことも良くある。
たいてい、良くない印象は、素晴らしく輝かしい日々だった
という風に伝えられ困惑。

 

証人もいる、事実だよ。

 

という事だが、どっちの記憶が正しいのだろうか。
大人になるって面白いな。

 

迫害されている気分の中で、
そのように過去のキラキラしたものが訴えかけてくれるのは
とても幸運だと思った。だいぶ恵まれている。

 

憂いながらも必死で生きていた筈の過去の事。

 

「忘れるはずないさ。みんな覚えてる。
Greenのフロアにレイヴァーの恰好をした
あなたを見たときの衝撃は鮮明に覚えてるし夢かと思った。
今までのことは、何一つ間違いはなかったってこと。」

 

そうなんだね。
今は日々が心苦しく何一つ楽しめない。
自我すら存在しない気がする。
おお、怖い。ゴム人形のようだ。

 

過去からやってきた共に戦ったヒーロー達が集結しているようだよ。
大丈夫よって


私はこんなことずっと思い続けたくないし
いい加減も好い加減。
内部からじわじわと破壊していきたいんだよ。
失敗したゆで卵みたいに何度も何度も
生まれ変わりたいです。

 

楽だろうなぁ。
あの頃、わざわざ真夜中の地下でえげつないくらいの人口光を浴びながら
白夜行に生きていた意味を語り合う。
今だから納得がいくことがたくさんある。

 

もう無理して現実をこなす必要もない、
限界がきているなぁと感じます。

 

好きなものを、ちゃんと好きだと言える人
楽しいと、いまを楽しめる人は、本当に幸せだ

 

前はそうなろうと思ってたけど、実際はそうでもなかったということか。
娑婆と決別し自由に分解された心の、自動修復機能がまた辛い。

 

 

 今日が終わって 明日が来て
 長く儚く 日々は続くさ

 意味なんかないね 意味なんかない
 今にも僕は 泣きそうだよ

 (BabyBlue/FISHMANS)

 

 

記事なんかを書いてるといつもいつも憂い文言になるのだけど
実際はニュートラル状態。一番良い状態を保ってます。


言いたいことを言える環境、泣きたいときに泣ける環境
今それが無くて、いざとなったら何も出てこないことが解せない。

精神と時の部屋が駅前あったら、思いっきり泣きたいよ。
感動したり、懐かしんだり、後悔したり、何度も回想したりして。


昨日感動したのは、イリジウム(クラブ音楽の映像)。
全てが完璧で、素晴らしい空間でした。


虚無と悦の繰り返し。朝夕朝夕。
生き残ったら生き抜かなければならんから
どう生きるかゆっくり考えるのがもう苦痛。


そもそも興味がなかったんだ、って事をハッキリ認めた大殺界。

つまり、仏教的な無の気持ち。
摩擦を繰り返して良い事と悪い事を繰り返し起こしたり
感情を動かしたりという作業が、もう要らないんじゃないか?と悟ってね。


幻想を見せてくれる表現者たちが大好きだ。

厭な感覚もなし、悦の感覚もなし。
目の前で起きていることを眺めるだけ。


できればまた、昔のように突然現れて
誰かの脳裏に鮮明に焼き付いた思い出となりたい。
さようなら娑婆、地獄、現実。

 

また憂い内容だけど、ワクワクしています。
何者でもなくなったら何になろうか考えるのが楽しい。
シャーマン発揮して占い師でもなったろかしらん。


とても、情が深くて優しいですよ。