やあ、おはよう(太宰治の声)
次の勤務は来週以降、本日も暇です。最高。


突然出る疲労、三日後の筋肉痛
急に冷静になる、魔法が解ける。


でも、感謝して次へすすもう。

 

去年から良い方向へ乗って流れが繋がっている。
有耶無耶にしていた事象、血反吐を吐くような醜い事象が目の前に現れる。
これは、良い傾向。


それが、プロレス見てたらそうなった、という事だから、プロレスすごい。
半裸の男たちの真剣勝負から、何を感じ取っているんだろうか(笑)。
ファンタジーか?


書いておくと、あとから見返して面白いですね。
どれだけ進んだのか、懐かしく、現時点との比較対象となる。
結局、考え込んでるときにしか文章を書かないので
一連として迷走している感は否めないのだけど(笑)


未来の心配・過去の後悔、そういうもので思考がいっぱいになることがあり
まだ起こってもいない事に関して、妄想を張り巡らせたり、気を病むなんて勿体ない。
実はその必要は全くない。気づいたら不安でいっぱいの堂々巡り。


そういうとき、思考を停止させる。仕事に集中、庭いじりに集中。
個人的には、写経と瞑想は効果抜群であった。
仏陀が実践した「ヴィパッサナー瞑想」は、歩くときの歩数を数えたりする。
呼吸の数を数える、雑念に飛ばされたら1から数えなおし。


集中して雑念を払い、現状をそのまま受け入れ、それに対し何の意味も与えない。
何の感情も伴うことなく、今起こっている事象を、ふわっと視るだけという事らしいです。
それが現実で、生きることだと思うんですよね。シンプルすぎるでしょ。


そうする事で、実は何が問題だったのか、すぐ頭に浮かぶ。
認めたくないとか、自我が崩壊しそうになったり、弱さが浮き彫りになったりするので
怖くてたまらないと思うけど。


「巨根の覚醒」というドキュメント映画で、(話は逸れやすい)
自分の弱さがどんどん目の前に現れ生きていけそうもない主人公のシーンがあった。
ロクでもない人たちが創る泥臭く愛おしい映画。

 

最後解説にて、皆さんは、石ころです。(鑑賞スタイルも石ころになれるものだった)
普段どれだけのものを身に着けていたとしても殆ど無駄な事。
「頑張っても石ころ以下の人生」という言葉は突き刺さりますね。


みんなどうしようもない石ころ、というある種の救い。


メキシコの死生観も華やかで良い。花を鏤めて、頭骨と共に踊り明かす。
死ぬときは、あの世に何も持っていけないのよね。
思想も、物質も、肉体も。


だから、今すぐ何を失っても大丈夫、本来は(極論)
喪失に対し破滅と絶望という意味をつけるなら、今世で生き抜く覚悟にすれば良い。


「般若心経」でいうと、失うものも最初から無かった、という事かな。
(話は逸れやすい)
色即是空、空即是色。

 

体、感覚、イメージ、感情、思考という一連の知覚は
どれも自分に属するものではない。
つまりどこにも自分が存在せず、実体がないのと同じという意味。

今感じている苦しみも、悲しみも、喜びも、幸福も、知覚も肉体も
実態がない、存在していないとする真理。

 

そして、
「完成された完全なる智慧よ、悟りよ、幸あれ」と締められている。
最後の「羯諦」の下りは、意味が特にないとされ、このような解釈となるのには、ほっこりする。


過去には躁鬱傾向があって、上京後一人で生きる喜びと、気合いが入りすぎて完全に過労だった。
会社で救急車に運ばれたり、何度かあったなぁ。
酷いときのは、記憶が殆どないけど(笑)。


仕事だけは出来ていました。医者は珍しいねって言って。
不思議なもので、躁鬱期間は、幼少期の頃の記憶がすっぽりなくなってました。
思い出そうとすると、靄がかかっていて、記憶を探る動きが止まってしまう感じ。


逆に、直近の記憶力がぐんと上がっていた。不思議。
視力も、左目だけ一時的に良くなっていた。自律神経はほんと不思議だらけ。
自律神経を正せばもう少し能力的になるかもしれないね。
ファンタジーだけど。


今が一番楽しく 正しく 最高の人間関係の中で、世界は頗る居心地が良い。
ここまでこれて、本当に良かった。
人生で一番詰んでる時に、内観から湧いてきたこの言葉に、我ながらビビるわ。

プロレス万歳。


ははは・・・呑気。