わたしは振付の稽古中で、昼過ぎから何度かあったメールも着信も全く気付かないまま夜遅くに稽古を終えて、事務所に戻って母に電話をした時、知りました。
一旦思考が停止した後、12月、おばあちゃんのところへ二度行こうとしてやめてしまったことを、とてもとても悔やみました。
一度は母とスケジュールが合わなくて、二度目は別の予定を入れてしまって、毎年正月には実家で会うからまぁいっかって、
まぁいっかって、なんだよな
なんで、なんで行かなかったんだろう
12月2日に90歳の誕生日で、だからそれもあって会いに行こうとしてたんだけど、電話の一本すら、誕生日おめでとうの一言すら言わずに、
なんてことしちゃったんだろう
兄弟の中で、90歳になったおばあちゃんに会わなかったのはわたしだけで、
今月は大して忙しかったわけでもないのに、
なんでだよ…
幼稚園の頃から、小唄を習ってました。
実家の裏に住んでたおばあちゃんに。
おばあちゃんのお三味線に合わせてわたしが一言、いや、一文字歌う度に、
あぁもぅっ!下手っ!
って毎度怒られる。
嫌だったなー本当に。
唄をとっくにやめた高校生の頃、妹が中学でバンドを組んでボーカルをやり始めて、妹の歌う姿を見ながら、おばあちゃん歌教える人選完全にミスってたよって思いつつ、長女に生まれたことを呪いました。笑
でも、唄より遅れて教えてくれた鼓のお稽古は、センスあるって褒めてくれて、おばあちゃんが人を褒めることは滅多にないから、とにかく嬉しかったなぁ。
高校は、おばあちゃんちから通っていました。
引っ越した実家より学校に近かったっていうのと、実家にいたくない、所謂そういう時期が、大抵の若者の例に漏れずわたしにもあり、おばあちゃんと暮らしていました。
例えば親に怒られて家を飛び出しておばあちゃんちに行くと、あんまり怒りなさんなと孫の味方をしてくれるような、そんな優しいおばあちゃん像は全くなく、
親と一緒になって孫を叱るし、
遊びに行っても、しばらくすると、うるさいから帰りなさいと孫を追い出すし、
孫を可愛がる、というおばあちゃんらしさはない人でした。
でも、実家に住みたくないと言ったら、一緒に暮らしてくれる人でした。
高校生という、多感で、繊細で、生き方を模索し始め、毎日を迷いの中で過ごしていた時代に、「おかえり」と言ってくれた人でした。
大学生で一人暮らしを始め、ダンスにあけくれ、劇団に入ってからは、会う度に、「お金ないんでしょ」と決まり文句のように言われてました。その度にお小遣いをくれました。
何か良いもの買いなさいと言われても、わたしはそのお小遣いで何か特別なものを買ったことはなく、ただただ生活費とレッスン費に消えていきました。
それもわかってて、咲はお金ないから、といつも言われてました。
唯一、20歳の誕生日に、何か買ってきなさいと言われて渡されたお金で、tommy girlのダウンコートを買いました。
良いもの買うと物持ちするとは本当で、いまだに着ています。
わたしには一度だって、わたしの活動を応援してるなんて言ったことないのに、
ヘルパーさんに、「舞台に立ちたい」のチラシを見せては、わたしの写真を指さして、「これうちの孫なの」って嬉しそうに話してたんだって。
自分も芸事で生きてきた人だから、なんだかんだ嬉しく思ってくれてたのだろうか。
この前妹が最後に会った時は、あんたは就職して心配ないね、心配なのは咲だね、あの子お金ないでしょ、って言われたってさ。
結局一番心配なのは咲だって、でもわたしは会いにも行かないで、最後まで心配かけて、情けないよ。
1年半前の七夕に、おばあちゃんが住んでた老人ホームのお祭りで、ソーラン節を踊った。
それが、わたしのダンスを見せられた最後だったな。
隣のおばあさんやヘルパーさんに、「あれうちの孫よ」って言ってるのが踊りながらでもわかって、なんだ喜んでるじゃんて、嬉しかったよ。
もっともっと、見て欲しかった。
地元で公演をうつことだって、老人ホームに出向いて踊ったり歌ったりすることだって、全然不可能じゃなかったのに、まさかこんな急にいなくなるなんて思わなかった。
90歳のばあさんを前に、まさかってのも変な話かもしれないが、老人ホームでは誰より元気だったし、なぜか、あと5年10年生きててもおかしくないって思ってた。
入院もせず、突然倒れて、そのまま会えなくなってしまうなんて、考えもしなかった。
いや、予想できたはずだからこそ、会える時に会わなかったことを悔やんでるのか。
おばあちゃんのいない生まれて初めての正月が、これからやってくる今日が、辛い。
おばあちゃんの顔は、とてもとても安らかで、少し笑ってるみたいで、そんでもってすっごい綺麗で、化粧をしたら、若い時の写真にそっくりでした。
そっか、おばあちゃんて美人だったんだなー。
妹に似ていました。わたしは似てない。ぬーん。
綺麗すぎるから、もう死んでるってわかってても、焼き場でのお別れが辛すぎた。
棺に、おばあちゃんがいつもヘルパーさんに見せてたっていう、2つ折りになった舞台に立ちたいのチラシを入れました。
ありがとう おばあちゃん
さようなら おばあちゃん
何度も何度も心の中で呟いて、お別れしました。
そういう事が色々終わって、
これからわたしのすることは、年内の仕事を納めに行くことだと思いました。
わたしがいないと稽古場が困るとかそういう考えではなく、わたしの仕事をきちっと終えて帰ってくることが、この辛い年末を締めくくるのに必要なことだったから。
稽古場までの道中、なるべく急いで行こうとしてたら、これでもかってくらい乗り継ぎとかが上手く行って、後押しされてるような気がして嬉しかった。
稽古場では、自分でもびっくりするくらい、無理してるとかではなく落ち着いてる自分がいて、安心した。
2015年最後に起きた、悲しい出来事。
私事ではございますが、全てを書き連ねてきたブログですので、失礼致しました。
ありがとう おばあちゃん
さようなら おばあちゃん
咲の命のある限り、おばあちゃんの孫であることに恥じない人生を送ります。






































