10年前のあの時は、わたしは中学校に登校する前で、リビングで朝ご飯を食べていた時でした。
母さんが珍しくTVをつけていて、気づいたらニュース番組が騒がしくなっていて、別の部屋にいた父さんがとんできて、これはえらいことだって騒いでいた。
2機目の衝突はTV中継で、ライヴで見た。
そういえばあの時兄ちゃんと妹はいなかったなぁ。
あれから、10年、アメリカは新たな戦争を初め、核兵器の脅威はなくならず、イスラム教への差別は悪化し、一時期だとしてもアメリカ国民のキリスト教の元への結束は強まった。
同じ敵を持つことによる結束ってのは、なんてつまらなく、悲しいものなんだろう。
イジメはダメだってみんな知っているはずなのに、世界、国家という単位で、同じ原理の結束が行われる。
イジメはなくなるか、なんていう合同討論会に中学の時よく参加したりしたけど(←お、優等生)、なんて無意味な議題だろう。
差別とは、区別して蔑視すること。
差別反対を訴える上で、区別まで批判するのは間違っていて、それは人が努力によって勝ち取ったものまで批判することに繋がり、共産主義でなければならないという主張になってくる。
そんなことを卒論で長々と論じたわけですが間の立証を書いてたらえらい長さになるので省略。
とりあえず、問題は区別ではなく蔑視にある、が、人が区別された時、蔑視なく別のグループを見ることは非常に難しいようだ。
なんだかまとまらなくなってきてしまったけど、
宗教国家のアメリカには、日本には見られない結束があるけれど、それによって広がる闇も大きいということ。
神の名の元に人を従わせることは、同じ神を信じない人を人と思えなくなることが普通に有り得るということ。
アメリカの闇がすごく大きく見える。
人種差別もそんな闇の一部。
今も確かにある人種差別。
50年前に白人黒人の共学が初めて実現したリトルロックセントラル高校(アイハヴアドリームにも同じような話が出てきます)では、未だに白人と黒人の席が別れている。
その高校の前で、人種共学から50年を讃えて演説をするブッシュ大統領。
キング牧師はなんのために死んだのだろうか。
さて、アイハヴアドリーム上演まであと10日。
やるべきことをやろう。
いってきます。