答えの出そうにないことを悩み続けられる性質じゃないので、
本に走りました。
本読んでると、思い出します。
学校の授業が大嫌いだったこと。
授業中にひたすら買ってもらった参考書を読んでいたこと。
英語の先生のいやらしい発音が大っ嫌いで、教科書の英文を全部自分で読んでテープに録音して暗記してたこと。
昔話。
咲にとって、人生一発目の衝撃的出会いは、小学校4年生の冬。
兄が通っていた学習塾に連れていってもらった。
鉛筆型に切られた木の板に、『独門塾』(←ソロモンじゅくと読む)と小さく書かれた、どう見ても怪しいとこだった。
先生は骸骨みたいな顔をしていて、ひょろくて長くて、
年齢不詳。
そこに入れられて、ニューコース5年生算数という参考書を渡された。
来週までに1/3読んでこれる?って言われて、
来週までにその本の1/3を読んで、解いて持ってった。
そこで初めて、自己採点という技術を学んだ。
答えっていうのは見たら怒られるもんだと思ってたから衝撃だった。
勉強ってのは、怒られないためとかじゃなくて、やりたいからやるもんなんだって知った。
その時問題が解けたとか何点だったとかそんな快感のためにやるもんじゃなくて、知識欲のためにやるもんなんだって知った。
5年生にあがる前に小学校の算数は終わらせて、中学校にあがる前に中学校の数学と英語を終わらせた。
先生はちっとも褒めてくれなかった。
淡々と、じゃぁ来週までにここまで、と青いサインペンで←を書くだけだった。
自己採点をして、○をつけることは禁止された。
○は意味がなくて、意味があるのは×だけで、×だったところは教材に×と書かれて、2度目に解いても×だと正数字で一と書かれ、教材が汚くなるのが嫌だったら間違えるなくらいな感じだった。
解き終わってもう見直さなくていいページにはサインペンで大きく斜線が引かれ、それだけが褒められている感覚に似たものが得られた。
どんなにたくさん宿題をやっていっても、
じゃぁ次はもっとできるね、と量を増やされるだけで、頑張ったから今日はなし、というようなことは絶対なかった。
中学にあがって、部活に入ったり、友達と遊ぶようになったりして、勉強にかじりつかなくなって、塾をやめた。
先生が教えてくれたのは、みんなの平均にあわせた授業より、自分にあった参考書を読むほうがためになるってこと。
ためになるならそうしろってこと。
うれしいのは人に褒められることより自分が納得することによるということ。
学校の授業は寝てるって言っても怒らなかった。
兄はそのやり方があわなくって、みんなと授業を受けるほうがわかりやすいって、そそくさ塾をやめてった。
自分には大発見で革命的であっても、人には人のやり方があるってことも知った。
そのうち成長して、感覚ややり方を人に合わせるってことも知ったけど、
最近ちょっと、そんな自分らしさを出してみる気になった。
で、戻るけど、
超有名な戯曲、ちょこちょこ知ってるってのもあって一気に読めちゃったけど、
やっぱり司馬りょうたろうが読みたいなぁなんて思ってしまうのは、
修業が足らんのかなぁ
