short×2 vol.1 『涙の香りを探して』
二月十四日、午後十時。いつもの駅で、いつもの時間に、いつもと違う些細な出来事が、始まりだった。
薄暗い冷たい空気の中を、家路を急ぐ人が溢れていた。この時間の駅はいつも、顔を赤くしたサラリーマンや、疲れた顔をした適齢期を過ぎたであろう女性たちで込み合っている。
改修工事を済ませたばかりという小奇麗な駅の建物は、照明のせいか何十年も前からある建物に思える。近代的な無味な造りに煙草とカビの臭いが不似合いに漂う。
今日は上司に飲みに行こうと誘われたが、付き合いで愛想笑いができるほど私は器用ではないのでいつも断っている。適当に残業をして同じ時間に帰る。それが毎日の事だ。いつも耳の穴にねじ込んであるイヤホンもただ虚しく音を鳴らしているだけなのだ。
改札を出てしばらく歩くと、後ろから突然誰かに力いっぱい叩かれた。振返るとそこには見知らぬ女性が目に涙を浮かべて立っている。しかも仁王立ちだ。手には小さな紙袋を持っている。どうやら私はこれで殴られたらしい。さほど痛くない。
怪訝そうな顔をしている私を見て、彼女は一言「これ、あげる。」とだけ言って、紙袋を突きつけてきた。よく見るとその彼女、加藤あいと桜井幸子を足したような、温かいのだけれども、どこかに冷たさもある、華やかだけれどもどこか影のある、美しい人だ。女性らしい、いい香りが彼女から漂っている。
ほんの一瞬彼女の香りに酔ったその隙に、彼女は人の流れの中に消えていった。まるで大河に落とした一滴の香水のように。
夢でなかった事だけはすぐに理解ができた。手元には有名チョコレートショップのロゴが入った紙袋。今日がバレンタインデーであることをすっかり忘れていた私は、この出来事が無ければまた今年も気づかずに過ごすところだったので、なんだか情けなくなり苦笑いをしてしまった。
恐る恐る袋を開けると、中には小さいチョコレートと、パステルブルーの小さい封筒が。「あげる」と言って渡されたものだ。中を見ても文句は無いだろう。私は封を切った。
「今までありがとう。 そばにいてくれて本当に嬉しかった。 そして、ごめんなさい。 やっぱり無理だよ。 わがまま言ってごめんね。気持ちではわかってるんだけど、涙が出てきちゃう。 あなたがいない世界なんて、私には考えられないよ。なので私もすぐに行くね。寂しくないからね。 」
最後にこうあった
「この手紙を読んだ人、ほんとにごめんなさい。あなたになら託せると思ったから。怪しいものじゃないんです。無礼を承知でのお願いです。 このことを伝えてください。 090-××××-3412 蒼井綾」
今なら間に合う。私は走った。人の流れに逆らうように。いつもと逆方向に走る駅は、見知らぬ駅に来てしまったような不安にかられる。
しかしあの香りはもうどこにも見当たらない。なぜか自分を悔やむ気持ちが溢れてくる。
反射的に携帯に手が伸びた。震える手で番号を押したのだった。
頼む、行かないでくれ・・・。
一ヶ月後
私のもとに、一通の封書が届く。見たことの無いデザインの封書には外国の言葉が書かれている。
中には、数字が並んでいて、考えもしなかった言葉が綴られていた。
「ご入会ありがとうございます♪・・・・つきましては入会金として・・・・15万円を期日まで・・・怠りますと、カリフォルニア州条例第・・・
されます♪」
新手の架空請求だった。
おしまい。
薄暗い冷たい空気の中を、家路を急ぐ人が溢れていた。この時間の駅はいつも、顔を赤くしたサラリーマンや、疲れた顔をした適齢期を過ぎたであろう女性たちで込み合っている。
改修工事を済ませたばかりという小奇麗な駅の建物は、照明のせいか何十年も前からある建物に思える。近代的な無味な造りに煙草とカビの臭いが不似合いに漂う。
今日は上司に飲みに行こうと誘われたが、付き合いで愛想笑いができるほど私は器用ではないのでいつも断っている。適当に残業をして同じ時間に帰る。それが毎日の事だ。いつも耳の穴にねじ込んであるイヤホンもただ虚しく音を鳴らしているだけなのだ。
改札を出てしばらく歩くと、後ろから突然誰かに力いっぱい叩かれた。振返るとそこには見知らぬ女性が目に涙を浮かべて立っている。しかも仁王立ちだ。手には小さな紙袋を持っている。どうやら私はこれで殴られたらしい。さほど痛くない。
怪訝そうな顔をしている私を見て、彼女は一言「これ、あげる。」とだけ言って、紙袋を突きつけてきた。よく見るとその彼女、加藤あいと桜井幸子を足したような、温かいのだけれども、どこかに冷たさもある、華やかだけれどもどこか影のある、美しい人だ。女性らしい、いい香りが彼女から漂っている。
ほんの一瞬彼女の香りに酔ったその隙に、彼女は人の流れの中に消えていった。まるで大河に落とした一滴の香水のように。
夢でなかった事だけはすぐに理解ができた。手元には有名チョコレートショップのロゴが入った紙袋。今日がバレンタインデーであることをすっかり忘れていた私は、この出来事が無ければまた今年も気づかずに過ごすところだったので、なんだか情けなくなり苦笑いをしてしまった。
恐る恐る袋を開けると、中には小さいチョコレートと、パステルブルーの小さい封筒が。「あげる」と言って渡されたものだ。中を見ても文句は無いだろう。私は封を切った。
「今までありがとう。 そばにいてくれて本当に嬉しかった。 そして、ごめんなさい。 やっぱり無理だよ。 わがまま言ってごめんね。気持ちではわかってるんだけど、涙が出てきちゃう。 あなたがいない世界なんて、私には考えられないよ。なので私もすぐに行くね。寂しくないからね。 」
最後にこうあった
「この手紙を読んだ人、ほんとにごめんなさい。あなたになら託せると思ったから。怪しいものじゃないんです。無礼を承知でのお願いです。 このことを伝えてください。 090-××××-3412 蒼井綾」
今なら間に合う。私は走った。人の流れに逆らうように。いつもと逆方向に走る駅は、見知らぬ駅に来てしまったような不安にかられる。
しかしあの香りはもうどこにも見当たらない。なぜか自分を悔やむ気持ちが溢れてくる。
反射的に携帯に手が伸びた。震える手で番号を押したのだった。
頼む、行かないでくれ・・・。
一ヶ月後
私のもとに、一通の封書が届く。見たことの無いデザインの封書には外国の言葉が書かれている。
中には、数字が並んでいて、考えもしなかった言葉が綴られていた。
「ご入会ありがとうございます♪・・・・つきましては入会金として・・・・15万円を期日まで・・・怠りますと、カリフォルニア州条例第・・・
されます♪」
新手の架空請求だった。
おしまい。