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追憶の骨 (bones)

音楽や映像だけでは残せない、あの時の僕たち。

(報道ステーション 3月31日)

「私のわがままです。」


3月31日、古館伊知郎が降板の挨拶をして「報道ステーション」は終了、4月から「報道STATION」という別番組が始まる事になった。

正直な感想を言うと、興醒めした最終回だった。

「私のわがまま」という言葉を、一体誰が信じるのか…?

古館伊知郎は次を引き継ぐ富川アナを褒めちぎり、小川彩佳は継続、いかにもそれっぽい言葉の裏で、視聴率を落としたくないテレビ局の思惑が透けて見えるような最終回だった。



(報道ステーション 2015年3月24日)


古館降板の原因は、何といっても「安倍晋三の圧力」だ。

古館伊知郎が否定すればするほど、「それが事実なのだ」と視聴者が再認識する構図が出来上がっている。

「モノが言えない空気に水を差す」と言いながら、モノを言わずに降板した姿勢に、僕は正直、興醒めした。



もちろん報道ステーションはよく頑張っていたし、数々の特集や特番(とくに原発)は素晴らしい内容で、僕が最も信頼していたニュース番組だ。

そういえば、僕のテレビはいつもテレビ朝日がついている。

定期的に見る番組はすべて録画している僕にとって、オンタイムで見るテレビは「報道ステーション」だけ、なので朝、何気に見るテレビはそのままテレビ朝日なのだ。

しかし、これはもっと昔からの習慣だろう…。

そう、この習慣は「ニュースステーション」から続いているのだ。

そう思ったら、無性に久米宏の「ニュースステーション最終回」が見たくなった。動画を探したら、一部を編集したモノが見つかった。


(ニュースステーション 2004年3月26日)


U2の「Where the street have no name」とCGを使った印象的なオープニングに、当時の記憶が蘇る。

「ニュースステーション最終回」は、アークヒルズの桜で始まった。そう、報道ステーション最終回と全く同じなのだ。


(ニュースステーション 2004年3月26日)

… あっ、渡辺真理だ!

この時、久米宏はこんな発言をしている。

「日本の民間放送は原則として、すべて戦後生まれました。日本の民間放送、民放は戦争を知りません。国民を戦争に向かってミスリードした過去が、民間放送にはありません。これからも、そういう事がない事を祈っております。」

久しぶりに聞いた久米宏のコメントには、妙な説得力がある。

… そうだ・・。

元々報道を目指していた久米宏は、「ニュースステーション」をやるためにTBSを辞めたのだ…、それを思い出した。さらに気になって、ちょっと調べてみた。

「いや、番組はなくなるって聞いていますから。存在しない番組に司会者が存在するわけないでしょ」

後続番組の「報道ステーション」、古館伊知郎へのコメントを求められた久米宏は、当時こんな回答をした。結構話題になったので、記憶のある方も多いかもしれない。

久米宏は報道ステーションを後継番組だと思っていない。

これは一見冷たいようだけど、考えれば、「自分の番組は終わり、後は自分たちで考えて好きにやってね」という意味かもしれない。

一方、古館伊知郎は最後のコメントで「私はその後を受け継ぎました」と言っている。恐らく、テレビ朝日側も同じ思いだったのだろう。

ここに大きな齟齬、というより乖離がある。

高い視聴率とスポンサー契約、報道ステーションは最後まで「ニュースステーション路線」を外すことができなかった…、ということなのだろう。


(報道ステーション 3月31日)

最終回は興醒めな内容だったけれど、古館伊知郎には敬意を表したい。

番組開始当初はマイルドで、正直に言うとイマイチだった報道ステーションは、福島原発事故で変わったと思う。

相当な苦情と圧力、嫌がらせがスタッフにまで及んでいたという話もある。厳しい時代を迎えたことは間違いない。

しかし、ひょっとして、復活するんじゃないか…。

なんて、僕は密かな希望を持っている。なぜなら、久米宏も一度降板して、休養してから復活しているのだ。

そういう「したたかさ」が、今、求められている。


(ニュースステーション 2004年3月26日)

<おわり>

 古館伊知郎最後のコメント
 ニュースステーション最終回