Silent Night | 追憶の骨 (bones)

追憶の骨 (bones)

音楽や映像だけでは残せない、あの時の僕たち。




ここ数日、ブログはスマートフォンの記述が続いている。

「オタクにでもなっちゃったの…??」

ブラックボックスのようなこの小さなマシンも、自分が必要とする設定や操作方法は、概ね理解できた。入手してから1週間、今ではすっかり日常のツールになっている。


このスマートフォンだけじゃない…。

今年の冬、僕は久しぶりにいくつかの買い物をした。

例えばリビングに敷くラグ・マット。

4年ぐらい前に買った、少し毛足の長いダーク・ブラウンのラグ・マットは、1年でつぶれてペタペタになってしまい、それから「買い替えなきゃな~」と思いながら、そのまま使い続けていた。

「どうせもたないから、安物でいいか!」と、ネットで3200円で買った2畳用ラグ・マットはなかなか上出来で、リビングが一気に快適になった。ポリエステルの短い毛足は思ったよりもずっとやわらかで、掃除もしやすい。


電気毛布も買った。

と言っても、寝る時に冷えるから…というワケではなく、コタツの代わりにリビングで使おうと前々から考えていたものだ。

寒いときに肩から足までくるまれるように、サイズは一番大きい「掛け敷毛布180×133」、さらに普通の電気毛布では生地も柄もイマイチなので、「ベルベット・フィール」と書いてある、サラサラのモノを選んだ。カラーは、これもダーク・ブラウンだ。


モノが届いて、早速スイッチ・オン…、ところが、あまり温かくならない。

… ありゃ、不良品かな、これ…?

なんて思ったら、これ「室温センサー」がついていて、室温が高いと、温度調節を上げても過度に温まらない仕組みになっているらしい。

暖冬の今年、それでも夜は冷えてくる。すると、実にいい感じで毛布が温まってくる。暖房器具のような過度な熱さがないのが、とてもイイ。

以前はエアコンやファンヒーターを全開にして、おまけに加湿空気清浄機まで使って、部屋でシャツ1枚で過ごしていた僕の冬対策は、東日本大震災ですっかり変わった。

この毛布なら電気代月300円~!、って、もちろんこれだけで1シーズン過ごせるとは思わないが、それでも消費電力の大幅カットにはなるだろう。


「ところで、今回は買い物の話なの…??」

… そんな感じだよね・・・。

実を言うと、今年の冬、僕は物欲に逃げているのだ。

さて、ようやく音楽に行こう。


Ave Verum Corpus / V.A.Mozart

「追憶の骨(bones)」のクリスマス・ソングはこれ。

モーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」、今年はウィーン少年合唱団のヴァージョンにしてみたい。

光が差すような1コーラス目、第一声の入りが人間の声とは思えないほど柔らかくて、それなのに抑えた音量のせいか、緊張感と威厳が漂っている、まさに奇跡が降りてくる瞬間のようだ。

このヴァージョンは、受難の2コーラス目があまりへヴィに感じない。

試しに、去年、一昨年とブログに乗せているバースタインのヴァージョンと聴き比べていてほしい。こっちは2コーラスのコードがへヴィで、あまりの荘厳さに聴くたびにボロ泣きする。

Silent Night (2014)


でも今年は、ちょっとライトにいきたい…、のだ。


2015年は僕にとって、あまりいい年ではなかった。

もちろん個人的に大きなトラブルがあったワケではないけれど、体調のせいか、気分のせいか、踏み出そうと思っていることに、踏み出せないまま1年が過ぎてしまった。

世の中の動きも同様だ。

今まで重くて微動だにしなかったシーソーが、バタっと傾いたような、そして、それを目の前に自分では何もできず、膨大な無力感に苛まれ、さらに良くないのは、その無力感を自分で認めようとしなかった事だ。


無力感の中でいくら考え続けても、無力感の中にいるのにそれを無視し続けても、結局、僕は無力感に飲み込まれてしまう。無力な人間になってしまう。

だから、そんな時は物欲に逃げる。
今までも何回か、そうしてきた。

僕は物欲に逃げていることを自覚して、逃げている。そして、物欲に逃げられる時間は、そう長くない事も知って、逃げている。そして、もうすぐ逃げるのも終わりにする。

まるで懺悔のような、今年のSilent Night

そんなこともある。


<おわり>