やたら新しい資格などの勉強をしてみたり?本を読んだり。。
衝動買いをして、後悔したり。
といっても、ブランドものを沢山買うとかではなく、後悔するような額でもないですが

で、むかしを思い出しました。
きっかけは、多分、本を読むという行為で感化されたのかな?
小学校のころ、我が家は自分で言うのも微妙ですが、
割と裕福で、祖父が会社を経営していたため、幼稚園も朝は祖父が運転手付きの
で送ってくれる、みたいな毎日でした。祖母は、田舎の昔の人だったので、一番最初に生まれた子を大事にするという慣例を崩さず、
私だけが大層甘やかされ、母には逆に怒られてばかりいた記憶が鮮明です。
妹がいたのですが、散々言われていました。なんでお姉ちゃんばっかりって。
普通の姉妹なら、当たり前の会話。でも、母はえこひいきをしない人。
祖母が私を大事にすればするほど、母は妹を大事にしました。
それだけなら、私はそのままおばあちゃん子になっていたでしょう。。。
でも、ここもよくある話ですが、嫁姑問題が勃発していました。
祖母は、残念な事に、母を泥棒扱いしたり、お金を使わせなかったり、散々だったようです。
母は、私を怒る一方、私に泣きにきていました。
もちろん、怒られたばかりではないんですが

更に、中学校の頃、病気で祖父が自宅で療養していたのですが、
祖母も父も、父の兄弟も、つまり誰も看病しないので、私と母だけで看病しました。
寝たきりの祖父をトイレに連れていったり。。。
内情を知らない小学校にいるアホな子(すみません)は、
私が裕福(に見えて)かつ、先生に気に入られているという理由で、
陰で意地悪をしていました。友達が別でいたので、助かっていましたが、本当に大変でした。
紺色の麦わら帽子がチョークの粉で真っ白になっていたり、
なんてことは今も忘れることが出来ません。
何度も、よこしまな方向へ、ただぐれたいと思いました。
でも、母を一人には出来ませんでした。何度も離婚すればいいのにと思いました。
でも、その反面、離婚したら妹の学費はどうなるんだろう、という想いもありました。
大人になって、当時事情を詳しく知らなかった妹と、
ある程度知っていたが、基本は判らず、労働もしなかった為に私を憎むことで力に変えた妹と、
ぐるぐる考えてばかりで、実行できなかった私には、
本当に悲しいくらい、大きな差が開きました。
でも、良かったといえるのかは判らないけれど、
しなければならなかった事や、何があっても驚かないだろうという経験は、
良くも悪くも私の人生に大きな影響を及ぼしていると思うし、
特に中学校時代の友達が、都会に出てからもずっと仲が続いているのは、
当時、私には友達しかいなかったから、友達を心の支えにして生きた為だ。
その友達は、宝物だ。
そう、言い切る事が出来てしまうくらいの存在だったし、今もそうで、
だから、続くのでしょうか。どういったって、昔の事は変えられない。
でも、これからは変えられる。
そう思って、ぐれもせず、生きてきました。でも、時々なんだろうと思う事があるのですね。。
色々なことがあるけれど、明日に希望をもって、自分の力で歩きたいと
説に願っています。
何だか回顧録みたくなってしまいました。
こうして記録する事で、自分が当時感じていたことを忘れたくなかった、
あるいは、完全に消化し、そして風化させたかった。
お読み頂いて、有難うございました(*v.v)。
次回からは、普通のブログに戻る事と思います。笑。
