今日は結婚式記念日(入籍は別日)。

13年前の秋晴れの日、ドレスと祝福に包まれた。

興味のある方は過去記事でどうぞ

プログラマの新郎、固まる

プログラマの選曲

木村拓哉主演ドラマ『エンジン』

 

そんな今日をどうしよう。

せっかくだから日々を重ねてきた労をねぎらいたいものだ、と一人考える。

結果、ホテルウェディングでは中華料理を選んだことを思い出し、中華ディナーと決定。(私たちは中華好き)

平日なので娘たちの宿題もあるし、持ち帰りで。

中華スープも頼みたいけど、持ち帰りはNGかと思い片手鍋持参。

案の定、持って行って正解だった!!!

 

私:「今日は中華料理パーティよ~」

夫:「何で中華なの?」

私:「結婚記念で」

夫:「結婚記念日じゃないよ」

私:「結婚式記念ね。(細かいっつうの)」

と、いちいちおもしろくない。

好きな中華食べられるんだから、突っかかってくんな。

 

テンション下がり「乾杯!」と言えず「いただきます!」になったけど、家族5人でにぎやかな食事と。

夫は食べ終わったようで退席し、隣りの部屋のテレビを付ける。

母娘で盛り上がっていると、夫がテレビの音量を大きくする。

娘:「あっ、○○だ!」

と子どもたちもテレビの前へ。

そして私は一人ぼっちに。

 

ふと、空(くう)を見つめてしまう。

空腹を満たすためのような4200円を支払ったことに虚しさを感じているわけではない。

腐っても記念日、縁があって5人一緒に祝えることにスペシャルを感じたかっただけ。

しかし夫はアスペルガー。

「誕生日なんて誰でもある。いちいち祝う意味が僕には分からない」とショックなことを言われたこともあった。

私は心震える喜びを誰かと共感したいのだ。

それが普通なら夫婦なのだろう。

私は誰と共感したらいいのだろう。

心が震えたがっている。

この上ない離婚を提示した日、私が仕事から帰ると夫は寝っころんで『あきらさんはアスペルガー』を読んでいた。

出勤前の私が「やっぱり無理なんだよ」とため息を付きながらリビングのテーブルに出した漫画エッセイだ。
特に焦った風ではなく、いつも読んでいるような宇宙関連や環境汚染関連の本を読んでいるのと同じ感じでアスペルガー本を読んでいた。
私の一大決心などは問題ではなく、このままの夫婦でいるか離婚をすべきかの参考資料として、淡々と読んでいるのだ。
夜中はこの1カ月間はまっているスリザリオというミミズみたいなのがエサを食べながら大きくなるゲームをしている。
改心なんて言葉はない。

都合によってアスペルガーを盾にし、都合によってアスペルガーなんて知らんぷり。

私は彼の母じゃない。

そんな50過ぎのおっさんはいらん。

私は子どもと幸せになるために歩いていきたい。

やはりアスペルガーはアスペルガー。

奇跡が起きたと思ったけど、幻(まぼろし)だった。

働かない、文句ばかりの中学生のような夫はもういらない。

慰謝料・養育費なんて請求しないから終わってくれと伝えた。

これまでのりこえてきた私には、一人親の苦労も前向きに頑張っていける自信がある。

心のモヤモヤが爽快に晴れた。

 

 

 

ようこそカサンドラ

夫がアスペルガーではないかと思うようになり、いろいろな本を読んだ。

どの本にも『病気ではなく個性であるため、家族や周りが理解すべき』とあった。

仕事もせず、何でも気の向くまま、したい放題の夫。

でもアスペルガーという個性だから、妻である私が理解すべきなのだと。

 

心身共に満たされることのない日々。

子どもなら分かってくれるはず、と子育てに力を注ごうとしてきた。

それでも上手くいくことばかりではないのが育児。

喜びも悲しみも共感しあうことができないどころか、何かにつれ揚げ足をとろうとしてくる夫に、私もゆずれないところは真っ向勝負で臨んできた。

しかし、いくら心を込めて話しても思いは通じず、出てくるのは大声と涙ばかり。

逆に淡々と言葉を連ね、理屈でたたみかけてくる夫。

私は悔しさ、もどかしさから、夫を叩いたり、腕に噛みついたりと、今までにない経験をすることも。

自分は間違ってないのに、自分は間違っている。

どんどん自信をなくしていった。

 

むなしさという、心のぽっかりが大きくなる日々。

外出先で楽しそうに食事しているよその夫婦をみかけるのが切なかった。

 

しかし、結婚相手として彼を選んだのは私で、これは自分が選んだ道

親やきょうだいに言ったところで、心配かけるだけだから言わない

子どもたちにとってはいい父親だったので、いっそのこと離婚もと考えても我慢

 

夫が死んだら、人生を振り返る時に初めて、私がどれだけ大変な毎日を過ごしてきたのか分かるだろう。

『死んだら分かる』

『死んだら分かる』

『死んだら分かる』

この言葉が私の心の支えとなっていた。

私の課題

幼稚園教諭という職業柄、自閉症等の研修にも数多く参加し、知識もあった。

実際に頑張っている親子とも関わってきて、心身共に強さを要することを痛感してきた。

 

若いうちから、誰にでも“障がい児の母”として生きる確率はあると覚悟していた。


しかし、わが子の障がいは覚悟済みであったが、結婚相手の障がいなんて考えたことなかった

私の課題は覚悟していなかったそこだったのだ。

 

 

暗黒の日々

結婚して家族になったのに、私は一人の戦士のようだった。

なぜなら、親・きょうだいよりも深く向き合う必要性のある夫婦がゆえ、誰も入ってこなかった夫のテリトリーに当たり前のように入り込んでくる、気持ちもぶつけてくる唯一の存在に。

すぐに私はおもしろくない存在…、夫の心のどこかで攻撃の対象とされてしまった。

 

日常会話は絶対共感しないし、必ず独自のウンチクを入れてくる。

思うようにならない時は「だから君の言うとおりにするとろくなことにならないんだ」と人のせいにする。

 

いつか夫と気持ちが繋がれば…と期待し、裏切られ、傷つく、の繰り返し。

次第に私も自分を守るようになり、感情を込めないドライな対応へと変わっていった。

 

物理的に辛かったことは、夫が仕事を続けられなくなったこと。

再就職しても、体力的にムリだと辞めてしまう。

子どもが生まれれば変わるかと思ったけど、変わらなかった。

いろいろあった結果、私が働くことに。

それでも世間体や引け目を感じず、私に文句を言い続けながら生きていけるのが、夫独自の性格だった。

 

結局、夫は精神的にも体力的にも気の向くまま、私だけがきつさを背負ってきたような日々だった。

これまで出会ったことのない人柄の夫に興味を抱き、あれよあれよとスピード結婚。

プログラマの妻となった私は、二人で生きる喜びと、それ以上の悲しみ・怒りを味わうこととなる。

そんな出来事を軽くネタにすることで、心のポッカリを埋められればと綴り始めたこのブログであった。

 

更新しなくなってからも、山あり谷ありジェットコースターのような日々。

長女に続き、次女・三女と授かった。

その間、彼の特殊な人柄はアスペルガー症候群だと診断されるも、彼の生き方が変わることはなかった。

 

しかし、この春、夫は変わろうと努力をするようになる。

そして今、私の心のポッカリが小さくなってきている。

 

アスペルガーだからとあきらめていた毎日は、アスペルガーとのよりよい毎日と変化している。

のどから手が出るほど欲しかった今の生活。

12年間、アスペルガーに振り回されてきた自分の証として、再びこのブログに綴っていきたい。

疑い深いプログラマ

夫はしばらく、インド人でもなく、中国人でもなく、アメリカ人とプロジェクトを組んでいた。
そのアメリカ人の彼から言われたそうだ。
「ナゼ シンジナイ。」

仕事中に彼が用件を伝えると、「ホント!?それ」と言い、マシーンで確かめていた夫。


「仕事上、疑うことが日常になってるから…」と妻にポツリ。


以前、インド人プログラマとスキーに行った時、カレーを食べながら質問されていた。
「○○さん(夫)は、1日に何回ウソをつきますか?」
夫はにかみ、新妻大笑い。

彼も疑うことが日常になっていたのであろう。

前も通ったことがある道路を再び通る。
前も思ったことだが、今回は夫に言ってみた。

妻:「ここ、惹かれない?」
夫:「何で分かったと?」

ということで寄り道。


まず目に飛び込んできたのが…
アンテナ
巨大アンテナ。

送電線や携帯のアンテナの近くに住むのを嫌う夫に聞いてみた。
妻:「身体に悪いんじゃない???」
夫は少し難しいことを言いながらも、大丈夫なことを意味する返答をした。
自分にとって理解し難い単語が入ると、シャットダウンしてしまう新妻。


次に見たものは…
人工衛星
人工衛星。

本物なのに、幼稚園の劇の大道具にしか見えない新妻。
妻:「私の方が上手く金紙貼れるよ」
夫:「…」


次に見たものは…
コンピューター室
コンピューター室。

真剣に見入る夫。
新妻、3秒で移動。


さて、寄り道先は…
沖縄宇宙通信所
宇宙人と交信してそうなネーミング。


こんな寄り道だったが、ご満悦の夫。
メモ帳・クリアファイル・ポスターのお土産もらってご満悦の新妻。
いい気分で元の道に戻った。