久しぶりのSNSでございます

おかげ様で保育士もやって〼

Tシャツも続けて〼

 

ただ前と違うのは、モチベーションでしょうか

鍛え上げられた昭和魂とサヨナラしました

自分の力量より上の上の上のことをやらなきゃと思ったり、できなかったら努力が足りなかったとガッカリしたり

それが当たり前の私から卒業しました

 

生きてりゃ仕事もプライベートもいろんなことが起こるわけで

自分の何かが足りなかったせいだと試行錯誤しながら笑顔で歩んでいくにはかなりのパワーが必要だった~

でも、そうしなきゃと思ってた~

 

ずっと笑顔を大切にしてたんだけど、これからは純粋な笑顔を大切にしたい

難しい時は難しい自分を認める

きつい時はきつい自分を認める

できない時はできない自分を認める

そして心からの笑顔に戻ったらいい

 

そんな風に気づきをくれたみんなにありがとう

この世の中だからこそ繋がれた世界中のみんなにありがとう

そして今まで本当に頑張ってくれた自分にありがとう

そんな春、嬉しいビックリがあるんだけど、長くなったのでまた次回☆ミ

 

最後はこんな私からお願いです

大分県内のパパママ経験者さんに伝えてほしいのです

 

2年前、大分県のママたちによる大分県のママのための冊子を作りました

おかげさまで創刊号は1万部を超え、各自治体では母子手帳と一緒に配布していただくことができました

その際の皆様のご協力、本当にありがとうございました!

 

そしてこの度第2号に向けて動き始めました

皆さんのリアルな声を反映するため、2号アンケートのご協力をお願いしたいのです

特に私たちの中津近辺の県北エリア、私の実家付近の日田玖珠九重エリアさんに頑張ってほしいな~!(数が少ないので)

 

そこで皆さんに宿題です!

あなたが今閃いた大分県内のパパママさんへこちらのアンケートを回答してもらってくださいm(__)m

どうぞ、未来の子どもたちのために一肌脱いでやってください!!!

大分県内の方はご自分も、そしてお友達へとよろしくお願いします(゚∀゚)

https://forms.gle/rHtHoiNHyM8xZMUw8

森のおくに小さなトラのお家がありました。

そこにはお父さんとお母さん、そしてみんなからあいすちゃんと呼ばれる、あー、いー、すーという3びきの女の子がすんでいました。

 

お父さんはどんなに疲れていてもいっぱいだっこしてくれますし、お母さんは何回もすべり台をすべるあいすちゃんたちをニコニコしながら待っていてくれまます。

あいすちゃんたちはそんな力持ちのお父さんとやさしいお母さんが大すきでした。

  

しかし残念なことにお父さんが病気になってしまいました。

あいすちゃんたちが「お父さん、早く元気になってね」と声をかけると「あぁ。元気になったら肩車でまた散歩に行こうな」と言ってくれました。

しかし、お父さんは元気になることはなく、とうとうお空のお星さまになってしまいました。

 

お母さんとあいすちゃんたちはお父さんに会えなくなってしまったことが悲しくて、いっぱいなきました。

なみだが空っぽになるくらいなきました。

いっぱいないたからでしょう。あいすちゃんたちのお腹が『ぐうー』となりました。

ご飯を食べることもわすれていたのです。

お母さんはやさしくわらって言いました。

「これからは、お母さんがお父さんの分までがんばるわ」

 

お母さんは毎日仕事に行くことになりました。

朝早くからそうじやせんたくをして、朝ご飯を作り、子どもたちを保育園に送った後、走って仕事に出かけます。

仕事中も汗をかきかきがんばります。

仕事がおわるとあいすちゃんたちのおむかえに行って、ご飯を作って食べさせ、おふろに入れて、あいすちゃんたちと布団に入ります。

いっしょじゃないとあいすちゃんたちが寝ないからです。

そして最後に台所をかたづけ、せんたく物をたたんで、明日の準備をするのです。

  

今日も朝が来ました。

「おはよー。朝ですよー」お母さんが起こしても、あいすちゃんたちは反対を向いてムニャムニャムニャ。

昨日の夜、お母さんの取りあいっこをしたり、すぐにねなかったからまだまだねむたいのです。いつもだっこで起こしてもらうあまえんぼう。

朝ご飯を食べていると、うっかりおみそしるをこぼしてしまいました。

やっと着がえが終わったかと思ったら、シャツもズボンも前と後ろが反対のへんてこりん。

お母さんはハーっとため息。

「服が反対!いそいで!早く!」とうとうおこりんぼうお母さんになってしまいました。

でも、あいすちゃんたちはお母さんをこまらせようと思ってへんてこりんに着ているわけではありません。

気をつけていても前と後ろが反対になってしまうのです。

とうとう、すーちゃんの目からなみだがポロリ。

「あーあ。また着がえなおし。イヤになっちゃう」「前と後ろなんかない服があったらいいのに」とあーちゃんといーちゃん。

ちょうどそこを通りかかったお母さん。

前はあいすちゃんたちがどんなに失敗をしても楽しかったのに、今はおこりんぼうになってしまっている自分を残念に思いました。

けれどすぐニコニコになりましたよ。

その夜、お母さんはあいすちゃんたちがねむった後、せっせと何かを作り始めました。

朝がくると…

 

「新しいシャツとズボンがあるよ!」あーちゃんが言うと、「ちょっとがんばって作ってみたのよ」とお母さんがうれしそうに言いました。

「すごーい!」「やったー!」とうれしそうなあいすちゃんたちは、いつものようにお母さんが作ってくれた服を着てみました。

「あーちゃん!いーちゃん!すーちゃん!とっても上手に着がえたわね」お母さんがばんざいをしています。

あいすちゃんたちもビックリ。

「ほんとだ。いつも前と後ろ、へんてこりんなのに」

「うふふ。お母さんね、へんてこりんにならない服を作ってみたの」

「えー?へんてこりんにならない服?」あいすちゃんたちが目をまんまるくして言いました。

「そうよ。前と後ろの形が同じなの。これならぜったいへんてこりんにならないわ」と言って、お母さんはあいすちゃんたちをぎゅーっとだきしめると、みんなのほっぺたがさくらんぼ色になりました。

 

『ピンポーン』

おこりんぼうお母さんからニコニコお母さんにもどったころ、お家にお客さんがやって来ました。

「はーい。どなたですか?」

「となりのライオンです」お母さんがドアをあけると、ライオンのお母さんが立っていました。

「うちの子どもたちが、あいすちゃんたちみたいな服が着たいと言ってきかないんです。うちの子たち、シャツやズボンを前後ろ反対に着てばかりで…。私もいそがしいから、ついおこってしまい、後になっておこったことにがっかりするんです。でも次の朝はまた同じくりかえしで…」

「分かります。分かりますよ。私も同じでしたから。ライオンさんの子どもさんの服も作ってあげましょう」

実は保育園のお友だちが「あいすちゃんたちみたいな服がほしいよー」と、お母さんたちにお願いしていたのです。

 

次の日はシマウマのお母さんが、また次の日はとなり町のゾウのお母さんがお家にやって来ました。

スーパーマーケットではお母さんたち同士、トラのお母さんが作った服をきると、子どもたちが上手に着がえられることはもちろん、自分たちのおこりんぼうがニコニコになるという評判も広がりました。

とうとうお家の前は大行列。

 

ある日、ちょっと変わったお客さんがやって来ました。

薬の研究をしているサイの博士です。

「すみませんが、大人用も作ってもらえませんでしょうか。私は薬のことばかり考えているので、服の前と後ろを反対に着ていることがよくあるのです。私は別にいいのですが、家族がため息をついていて…」

「分かります。分かりますよ。子どもとお母さんだけではなく、みんなが元気になる服となったらうれしいです。大きな服ははじめてですが、まかせてください」お母さんはおとなの服も作るようになりました。

 

また遠い国から手紙も届きました。

『仕事中、空からすてきな服を見かけました。毎朝着がえが大変です。ぜひ、うちの子どもたちの服も作ってもらえませんでしょうか。北の国からトナカイのお父さんより』

「まあ。外国からの注文だわ。でも、どこのくにでも同じよね。ゆうびん屋さんに届けてもらいましょう」お母さんは世界中のみんなのほっぺたがさくらんぼ色になることを考えました。そんなお母さんのほっぺたもさくらんぼ色でした。

 

トラのお母さんは世界中のみんなのほっぺたがさくらんぼ色になるふくやさんになって、今もあいすちゃんたちと楽しくくらしています。

 

あなたもあいすちゃんたちのお服、きてみたいとおもいませんか?

きっとあなたのほっぺたも、おうちの方のほっぺたもさくらんぼ色になることでしょう!

おわり

 

【追伸】

この後絵をつけます。裏表紙には、さくらんぼ色のほっぺたをしているお空のお父さんの描写もいれたいと思っています。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました!

ご感想などコメントいただけますと、これからの励みになります

 

とらのおかあさんが作ったおふく、本当に着てみることもできますよ♪

とらのおかあさんが作ったおふくはこちらから

 あいすちゃんのおふく

 

 

 

 

 

 

 

とらのおかあさんのおうちには

 3びきのおんなのこがいました。

 

 

 

 

 

 

 

 1ばんめのおんなのこはあーちゃん。

ほんとうのなまえはあさひちゃんといいます。

 

 

 

 

 

 

 

 2ばんめのおんなのこはいーちゃん。

ほんとうのなまえはいずみちゃんといいます。

 

 

 

 

 

 

 

 3ばんめのおんなのこはすーちゃん。

ほんとうのなまえはすばるちゃんといいます。

 

 

 

 

 

 

 

 3びきのなまえをくっつけると

あーいーすーで

アイスになります。

 

 

 

 

 

 

 

 すこしむかしのことばであいすとは

あいをそそぐこと。

こころからたいせつにおもうこと。

 

 

 

 

 

 

 

 そんなあいすちゃんたち、きょうもおきがえ。

あーちゃんはフワフワスベスベ

やわらかくってきもちいいこのおふくをきてからは

まいにちこればかりきています。


あらあーちゃん、きょうもそのおふくきたのね。

でもあーちゃん、おやつをいっぱいたべたでしょう。

からだがおおきくなって、おふくがすこーし

きつくなってきたみたい。

 

 

 

 

 

 

 

 じゃあ、こんなのどーお?

おかあさんはきるひとはもちろん、

おやまもうみもおそらもニコニコになるオーガニックコットンで

フワフワスベスベやわらかくってきもちいいおふくをつくりました。

 

 

 

 

 

 

 

 いーちゃんは、

おふくにまえとうしろがあることをしってから

なぜかぜったいうしろをまえにしてきています。


あらいーちゃん、

またまえとうしろをはんたいにきたの?

ほんとにへんてこりんがすきないーちゃんね。

 

 

 

 

 

 

 

 じゃあ、こんなのどーお?

おかあさんはまえとうしろがない

どちらでもじょうずにきられるおふくをつくりました。

 

 

 

 

 

 

 

 すーちゃんは、

おふくにおもてとうらがあることをしってから

なぜかぜったいうらがえしにきています。


あらすーちゃん、

またおもてとうらをはんたいにきたの?

ほんとにへんてこりんがすきなすーちゃんね。

 

 

 

 

 

 

 

 じゃあ、こんなのどーお?

おかあさんはおもてとうらがない

どちらでもじょうずにきられるおふくをつくりました。

 

 

 

 

 

 

 

 あるひ、はじめてかがみをみました。

「せなかのしましまもよう、とってもかわいい!」

それからあいすちゃんたちはおふくを

きなくなりました。おきにいりのしましまが

かくれてしまうからです。


あらあーちゃん、いーちゃん、すーちゃん、

またはだかんぼうなの?

おふくはあせをすったり、からだを

けがからまもってくれるのよ。

 

 

 

 

 

 

 

 じゃあ、こんなのどーお?

おかあさんはとらもようの

おふくをつくりました。


あいすちゃんたち、

つぎはおふくをどんなふうに

きてみるのでしょうね。

 

 

 

 

 

 

 

 さむがりいーちゃん

(なんまいもきちゃった!!!)


よこむきすーちゃん

(すこしくるしい!!!)


さかさまあーちゃん

(ズボンみたいにはいちゃった!!!)


〜おしまい〜

↓なんと表紙は次に作るおふくだったんです!

 

最後まで読んでいただきありがとうございました!

ご感想などコメントいただけますと、これからの励みになります

 

あいすちゃんのおふく、本当に着てみることもできますよ♪

あいすちゃんのおふくはこちらから

今日は結婚式記念日(入籍は別日)。

13年前の秋晴れの日、ドレスと祝福に包まれた。

興味のある方は過去記事でどうぞ

プログラマの新郎、固まる

プログラマの選曲

木村拓哉主演ドラマ『エンジン』

 

そんな今日をどうしよう。

せっかくだから日々を重ねてきた労をねぎらいたいものだ、と一人考える。

結果、ホテルウェディングでは中華料理を選んだことを思い出し、中華ディナーと決定。(私たちは中華好き)

平日なので娘たちの宿題もあるし、持ち帰りで。

中華スープも頼みたいけど、持ち帰りはNGかと思い片手鍋持参。

案の定、持って行って正解だった!!!

 

私:「今日は中華料理パーティよ~」

夫:「何で中華なの?」

私:「結婚記念で」

夫:「結婚記念日じゃないよ」

私:「結婚式記念ね。(細かいっつうの)」

と、いちいちおもしろくない。

好きな中華食べられるんだから、突っかかってくんな。

 

テンション下がり「乾杯!」と言えず「いただきます!」になったけど、家族5人でにぎやかな食事と。

夫は食べ終わったようで退席し、隣りの部屋のテレビを付ける。

母娘で盛り上がっていると、夫がテレビの音量を大きくする。

娘:「あっ、○○だ!」

と子どもたちもテレビの前へ。

そして私は一人ぼっちに。

 

ふと、空(くう)を見つめてしまう。

空腹を満たすためのような4200円を支払ったことに虚しさを感じているわけではない。

腐っても記念日、縁があって5人一緒に祝えることにスペシャルを感じたかっただけ。

しかし夫はアスペルガー。

「誕生日なんて誰でもある。いちいち祝う意味が僕には分からない」とショックなことを言われたこともあった。

私は心震える喜びを誰かと共感したいのだ。

それが普通なら夫婦なのだろう。

私は誰と共感したらいいのだろう。

心が震えたがっている。

この上ない離婚を提示した日、私が仕事から帰ると夫は寝っころんで『あきらさんはアスペルガー』を読んでいた。

出勤前の私が「やっぱり無理なんだよ」とため息を付きながらリビングのテーブルに出した漫画エッセイだ。
特に焦った風ではなく、いつも読んでいるような宇宙関連や環境汚染関連の本を読んでいるのと同じ感じでアスペルガー本を読んでいた。
私の一大決心などは問題ではなく、このままの夫婦でいるか離婚をすべきかの参考資料として、淡々と読んでいるのだ。
夜中はこの1カ月間はまっているスリザリオというミミズみたいなのがエサを食べながら大きくなるゲームをしている。
改心なんて言葉はない。

都合によってアスペルガーを盾にし、都合によってアスペルガーなんて知らんぷり。

私は彼の母じゃない。

そんな50過ぎのおっさんはいらん。

私は子どもと幸せになるために歩いていきたい。

やはりアスペルガーはアスペルガー。

奇跡が起きたと思ったけど、幻(まぼろし)だった。

働かない、文句ばかりの中学生のような夫はもういらない。

慰謝料・養育費なんて請求しないから終わってくれと伝えた。

これまでのりこえてきた私には、一人親の苦労も前向きに頑張っていける自信がある。

心のモヤモヤが爽快に晴れた。

 

 

 

夫がアスペルガーではないかと思うようになり、いろいろな本を読んだ。

どの本にも『病気ではなく個性であるため、家族や周りが理解すべき』とあった。

仕事もせず、何でも気の向くまま、したい放題の夫。

でもアスペルガーという個性だから、妻である私が理解すべきなのだと。

 

心身共に満たされることのない日々。

子どもなら分かってくれるはず、と子育てに力を注ごうとしてきた。

それでも上手くいくことばかりではないのが育児。

喜びも悲しみも共感しあうことができないどころか、何かにつれ揚げ足をとろうとしてくる夫に、私もゆずれないところは真っ向勝負で臨んできた。

しかし、いくら心を込めて話しても思いは通じず、出てくるのは大声と涙ばかり。

逆に淡々と言葉を連ね、理屈でたたみかけてくる夫。

私は悔しさ、もどかしさから、夫を叩いたり、腕に噛みついたりと、今までにない経験をすることも。

自分は間違ってないのに、自分は間違っている。

どんどん自信をなくしていった。

 

むなしさという、心のぽっかりが大きくなる日々。

外出先で楽しそうに食事しているよその夫婦をみかけるのが切なかった。

 

しかし、結婚相手として彼を選んだのは私で、これは自分が選んだ道

親やきょうだいに言ったところで、心配かけるだけだから言わない

子どもたちにとってはいい父親だったので、いっそのこと離婚もと考えても我慢

 

夫が死んだら、人生を振り返る時に初めて、私がどれだけ大変な毎日を過ごしてきたのか分かるだろう。

『死んだら分かる』

『死んだら分かる』

『死んだら分かる』

この言葉が私の心の支えとなっていた。

幼稚園教諭という職業柄、自閉症等の研修にも数多く参加し、知識もあった。

実際に頑張っている親子とも関わってきて、心身共に強さを要することを痛感してきた。

 

若いうちから、誰にでも“障がい児の母”として生きる確率はあると覚悟していた。


しかし、わが子の障がいは覚悟済みであったが、結婚相手の障がいなんて考えたことなかった

私の課題は覚悟していなかったそこだったのだ。

 

 

結婚して家族になったのに、私は一人の戦士のようだった。

なぜなら、親・きょうだいよりも深く向き合う必要性のある夫婦がゆえ、誰も入ってこなかった夫のテリトリーに当たり前のように入り込んでくる、気持ちもぶつけてくる唯一の存在に。

すぐに私はおもしろくない存在…、夫の心のどこかで攻撃の対象とされてしまった。

 

日常会話は絶対共感しないし、必ず独自のウンチクを入れてくる。

思うようにならない時は「だから君の言うとおりにするとろくなことにならないんだ」と人のせいにする。

 

いつか夫と気持ちが繋がれば…と期待し、裏切られ、傷つく、の繰り返し。

次第に私も自分を守るようになり、感情を込めないドライな対応へと変わっていった。

 

物理的に辛かったことは、夫が仕事を続けられなくなったこと。

再就職しても、体力的にムリだと辞めてしまう。

子どもが生まれれば変わるかと思ったけど、変わらなかった。

いろいろあった結果、私が働くことに。

それでも世間体や引け目を感じず、私に文句を言い続けながら生きていけるのが、夫独自の性格だった。

 

結局、夫は精神的にも体力的にも気の向くまま、私だけがきつさを背負ってきたような日々だった。

夫はしばらく、インド人でもなく、中国人でもなく、アメリカ人とプロジェクトを組んでいた。
そのアメリカ人の彼から言われたそうだ。
「ナゼ シンジナイ。」

仕事中に彼が用件を伝えると、「ホント!?それ」と言い、マシーンで確かめていた夫。


「仕事上、疑うことが日常になってるから…」と妻にポツリ。


以前、インド人プログラマとスキーに行った時、カレーを食べながら質問されていた。
「○○さん(夫)は、1日に何回ウソをつきますか?」
夫はにかみ、新妻大笑い。

彼も疑うことが日常になっていたのであろう。