■ 夕日に映える街 ■
いつの頃かは知らないが、一日は24時間でおしまいだ。
時計の秒針が86,400回動くと明日がやってくる。
その間、空は二度と同じ顔は見せない。
いつも違う顔の空と運命を共にしている私達の住む街もまた、二度と同じ顔は見せない。
街は、空からの光を受けて表情を変えていく、まるで生き物のようだ。
同じ風景に見えていても、良く見ると、少しずつ表情が違う。
それは、たとえ夜になったとしても、太陽の光を反射する月によって、薄明るくその表情を見せてくれる。
とはいえ、電気の恩恵が当たり前のようになってしまった現代、月光が無くても、街は自ら灯かりをともして表情を作り上げようとするから、月灯かりのおかげで見せてくれるぼんやりした街の表情には、なかなか気がつかないかもしれない。
でも、そんな灯かりが消えかかる夜更け頃には、無機質なアルミサッシやガラスに覆われた建物は、ここぞとばかり月光を反射して太陽が顔を出す直前まで、蒼い姿を見せてくれる。
二度と同じ顔を見せてはくれない街の顔、そんな街の七変化に見入ってしまう、特にこの寒い冬場には、なおさら、ずっと見つめていたくなる。
大抵の人は夕日が沈むとき、その沈み行く夕日を眺めることであろう。
昼間は青い空に支配されていることすら気がつかない。
何気ない街の顔も、夕日が沈むころ日に照らされる、その街の顔は褐色に染まり、なんとも温かみのある柔らかい表情を見せてくれる。
「赤とんぼ」
いやいや、こんな歳になって、そんなことは思いつきもしない。
「まるでボイルしたてのロブスター」
なんて、食いしん坊の私は思ってしまうかも知れないが。
そんな褐色の街の顔を眺めていると、心温まり、いつまでもじっとして居たくなる。
そして、86,400分のほんの600秒くらいで、夕日劇場はゆっくりと幕を閉じ、そして月灯かりに照らされる街の顔へと移り変わってゆく。
二度と同じ顔は見せてはくれないのだが。
だけど、そうだからこそ毎日空を、街を眺めていても、飽きることがないのかもしれない。
撮影場所:千葉市美浜区
(c) WIKIWIKI WORKS
2008.12.