毎日に「美(雅)」を取り戻す流れが来ています
メイクセラピスト宮之内美津です。
シンプルライフの元祖といわれているウィリアム・モリスさんの言葉で
「役にたたないもの、美しいと思わないものを、家に置いてはならない」
というものがあります。
デザイナーにして思想家・詩人でもあったウィリアム・モリスは急激な工業化による社会や環境へのさまざまな弊害が問題となっていたのを憂い、
伝統的な職人の手仕事の復活と、自然と親しむ素朴な暮らしを追求し、それによって社会を変革することを訴える「アーツ&クラフツ運動」を提唱しました。
当時の問題とは
・粗悪な工業生産品の氾濫による伝統技術の喪失
・労働の疎外
・テムズ河が悪臭を放ち、ストリートチルドレンが溢れ
と、今にも当てはまるものですね。
「毎日使うものにこそ、美しいものを」
というのがアーツ&クラフツ運動の願いだったそうです。
・・・今の日本にも当てはまりませんか?
本当に気にいった訳でもない、特に思い入れのないものを「とりあえず安いから」買っておく。
これを続けると、自分が本当に欲しいものはなんだろう?っていうのが分からなくなってきて
ついには「自分が何をしたいのか分からない」なんてことにもなってきます。
話は違いますが、メイクセラピーは「なりたい自分になる」ためのツールです。
カウンセリングを行って、どういう印象の人間になりたいのかを深く見ていきます。
例えば、「エレガントになりたい」と言ったクライアントさんがいらっしゃっても、どうしてエレガントを望むのか?を掘り下げていくと、実はお母さんがエレガントで在りなさいという思いが強かったために、それをそのまま踏襲していた、という事に気付いたりします。
となると自分の意思ではないので、カウンセリングの中で解放していくと、本当の自分の思いというのが出てきますね。
「元気でスポーティーな私でいたい」
という風に☆
来られた時のクライアントさんの印象からは全く想像出来ない印象であっても
「これが本当の自分が望んでいたことだったんだ」
と自覚できた時点で、お顔が変わり始めます☆
これを日常に定着させるためにメイクの力を借ります。
つまり「元気でスポーティー」な印象にメイクで外見の「印象」を変えます。
色は多用しなくても、スーパーナチュラルメイクで素顔のようなメイクでも、印象ってガラッと変えられるんです☆
↓コチラ
閉じこめていた気持ちに光を当てて・・・
今までどうしたらきれいに見れるかも分からないまま流行のメイクをしている状態とは、全く違う人生が展開していきます。
そのうちにメイクをしなくても同じ印象でいられるようになります。
この変化って本当に不思議で、生命の輝きが燦燦と出てくるので圧巻のひと時、メイクセラピストで良かった~というか、顔の事を勉強していて良かった☆思う瞬間です♪
漫然とメイクしているのと、朝「元気でスポーティに!」意識設定するのでは、その後の人生の展開が大きく違ってきます。魂が望む方向に導かれます(^^)
とにかく、本当に望む自分でいることって、本当にパワフルなんですね。
☆ありのまま☆という状態は、地球と調和しているからです。
ありのまま、といっても、そのまま野放図にしておくのは漫然と意識を使っていることになります。
メイクをするしないではなく「自分なんていつも眉もぼさぼさだし・・・」と「ナチュラルが好き」という理由をつけて、単にほったらかしているケースの場合
「自分は自分の人生を演出する力を持っていない」という現実を創造していることになるからです。
自分が美しく在ることは、自己顕示欲から行われるときは「我欲」でありますが
「ありのままの自分でいる」事で美しく在ることは
最大限の自分でいる(美しく在る)事が多くの人の為になる事を理解しているので、
「思いやり」が源(みなもと)です。
必ずしも世間で言われる美人の条件をクリアしている必要はなく、命がきちんと輝いているかどうか。
この状態の美は、人に沢山の力を分けられるし、自分自身も、自然に楽にいられます。
本当の自分が望む自分でいるから、力が出てくる。
ナチュラルが好き☆という理由付けの元に実際には自分を等閑(なおざり)にしている状態の時は、きれいになる技術を取り入れる事に抵抗があったりします。
(この理由付けというか、言い訳!本当に多いんですよ~、きれいになるために来ているのに(笑)、その理由もセッション中に明らかになり解放するのですが)
この状態の時は、「自分はきれいになる価値がない」という現実を創造しています。
同じように、モノを買うとき、家に迎え入れる時にも、思い込み(観念)のない状態で自分に問いかけることが大切になってきます。
「安いから」
という理由は、人を思考停止に導きますよね。
どんどん自分に問いかける機会が減っていき、安いから、あると便利そうだから・・・と家にモノがたまって行きます。
結果的に自然界と切り離され、経済至上主義にすっかりからめとられて、何でも「お金」で考えるようになっている自分が残っています。
地球全体のバランスでどうなのか、なんて思いも寄らなくなってしまう。
感性が磨耗してしまうのです。
この結果の最たるもの?が原発事故です。
命ではなく、お金でものを考えた結果。
想定外は現実の生活にはありえないのに、机上のお勉強だけをしてきた人のように、理論上考えられる狭い範囲を勝手に区切って限定して
「ボクのせいじゃないんだもん、だって想定外なんだから」なんていってる状態(笑)
私もそうだったのですが、目先の便利さをフィルターにして、原発の本質から目をつぶり続けていました。
だからこの事故は黙認していた人たちも含め全員の過去の行動による当然の結果なのです。
現在は未来の伏線
過去は現在の伏線ですから(^^)
でも、この原発事故のおかげで、小さなお子さんのいらっしゃる親御さんたちは、給食が危険だと判断しお弁当にしたり、そうでない家でも外食や加工品は危険だということで、家で食べることが増えているようです。
放射能のおかげで、取り寄せた食材を大切に料理する、そういうサイクルが定着せざるを得なくなりつつあるように感じます。
その過程で思うのは、本来、野山や畑で出来たお野菜を食べるというシンプルな生活の中にこそ、一つ一つの行動に愛を込めて、美を求める、というものが育つ余地があったんだなぁと、観じます。
今はまさに
「停止させていた感性を再起動するとき」
そんな風に感じています。
元々日本人は、雅(みやび)を大切にしてきました。
自然と調和した生活を楽しむ感性。
月を一晩中眺めて(愛でて)過ごしたり、そんな豊かなシーンなどは源氏物語などでも頻繁に出てきますね。
雅とは「上品で優美なこと、宮廷風であること」
そして「美しい」とは、バランスが良い事。
愛でるとは愛すること。
もう自然の摂理と切り離して、お金で飾り立てたつかの間の「美」は持続できないことがはっきりしました。
自然界の摂理に従えない生き物は消滅します。
これはどの時代を切り取っても、例外のないことです。
もうおわかりかと思いますが私たちは岐路に立っていますね。
以前の記事に書きましたが、ヨガの先生に「その行動は愛を込めて行ったか?」ということを良く確認させられます。
私たちは自然を「愛でる」楽しみを、本来は愛をそのまま現実に体現するという基本的な生き様であったにも関わらず
娯楽として扱い、経済効率という「便利さ」のなかに捨ててしまいました。
そして、人の本質的なものから切り離されていってしまったように思います。
本質的なものとは、自然との調和、地球の生命のサイクルの中で生きることです。
野山や畑で出来たお野菜を食べるというシンプルな生活が主になっていかざるを得ないこの流れは、
人工的な放射能という救いがたいものが原因ではあるにしても、
自然と共に生きること=シンプルな雅(みやび)を、多くの人が思い出していく
そういう流れに入ったと、観じています。
自然と調和しつつも、エコだからといって色もない香りもない、、といったようにストイックすぎるのではなく
文明の持つ便利さも享受していく、新しい時代の土台を作る年になるでしょう。
一方で、twitterでは
(6.27)ガンダーセン博士「4号機から目を離さないこと。4号機が倒れたら、政府が何を言おうと信じてはいけません。それはもう科学が想像すらしたことのない領域なのです。飛行機に乗って東京を出るときです。」
http://goo.gl/j0hQg
http://matome.naver.jp/odai/2130590017719038501
といったことがささやかれ続けている危険な状態とも隣り合わせですから現実逃避をするつもりもありませんが(^^;
私たちが目をつぶり続けたことで招いたこと。仕方がないです。
どんな時にも雅(みやび)を常にハートで感じて、地球と調和した生活を本当にスタートする年だと思います。
清濁合わせて、両方の統合です。
悪いものだけを見ないように蓋をする事ではなく、雅を体現し続ける。
その繰り返しが、両方の統合を加速させるのでしょう(^^)。
ワクワク・イキイキ・キラキラな2012年を!
魂が共鳴する庭☆醒Sei☆
メイクセラピスト 宮之内美津
http://sei.sunnyday.jp/
シンプルライフの元祖といわれているウィリアム・モリスさんの言葉で
「役にたたないもの、美しいと思わないものを、家に置いてはならない」
というものがあります。
デザイナーにして思想家・詩人でもあったウィリアム・モリスは急激な工業化による社会や環境へのさまざまな弊害が問題となっていたのを憂い、
伝統的な職人の手仕事の復活と、自然と親しむ素朴な暮らしを追求し、それによって社会を変革することを訴える「アーツ&クラフツ運動」を提唱しました。
当時の問題とは
・粗悪な工業生産品の氾濫による伝統技術の喪失
・労働の疎外
・テムズ河が悪臭を放ち、ストリートチルドレンが溢れ
と、今にも当てはまるものですね。
「毎日使うものにこそ、美しいものを」
というのがアーツ&クラフツ運動の願いだったそうです。
・・・今の日本にも当てはまりませんか?
本当に気にいった訳でもない、特に思い入れのないものを「とりあえず安いから」買っておく。
これを続けると、自分が本当に欲しいものはなんだろう?っていうのが分からなくなってきて
ついには「自分が何をしたいのか分からない」なんてことにもなってきます。
話は違いますが、メイクセラピーは「なりたい自分になる」ためのツールです。
カウンセリングを行って、どういう印象の人間になりたいのかを深く見ていきます。
例えば、「エレガントになりたい」と言ったクライアントさんがいらっしゃっても、どうしてエレガントを望むのか?を掘り下げていくと、実はお母さんがエレガントで在りなさいという思いが強かったために、それをそのまま踏襲していた、という事に気付いたりします。
となると自分の意思ではないので、カウンセリングの中で解放していくと、本当の自分の思いというのが出てきますね。
「元気でスポーティーな私でいたい」
という風に☆
来られた時のクライアントさんの印象からは全く想像出来ない印象であっても
「これが本当の自分が望んでいたことだったんだ」
と自覚できた時点で、お顔が変わり始めます☆
これを日常に定着させるためにメイクの力を借ります。
つまり「元気でスポーティー」な印象にメイクで外見の「印象」を変えます。
色は多用しなくても、スーパーナチュラルメイクで素顔のようなメイクでも、印象ってガラッと変えられるんです☆
↓コチラ
閉じこめていた気持ちに光を当てて・・・
http://ameblo.jp/sei-miya369/theme2-10040085613.html
今までどうしたらきれいに見れるかも分からないまま流行のメイクをしている状態とは、全く違う人生が展開していきます。
そのうちにメイクをしなくても同じ印象でいられるようになります。
この変化って本当に不思議で、生命の輝きが燦燦と出てくるので圧巻のひと時、メイクセラピストで良かった~というか、顔の事を勉強していて良かった☆思う瞬間です♪
漫然とメイクしているのと、朝「元気でスポーティに!」意識設定するのでは、その後の人生の展開が大きく違ってきます。魂が望む方向に導かれます(^^)
とにかく、本当に望む自分でいることって、本当にパワフルなんですね。
☆ありのまま☆という状態は、地球と調和しているからです。
ありのまま、といっても、そのまま野放図にしておくのは漫然と意識を使っていることになります。
メイクをするしないではなく「自分なんていつも眉もぼさぼさだし・・・」と「ナチュラルが好き」という理由をつけて、単にほったらかしているケースの場合
「自分は自分の人生を演出する力を持っていない」という現実を創造していることになるからです。
自分が美しく在ることは、自己顕示欲から行われるときは「我欲」でありますが
「ありのままの自分でいる」事で美しく在ることは
最大限の自分でいる(美しく在る)事が多くの人の為になる事を理解しているので、
「思いやり」が源(みなもと)です。
必ずしも世間で言われる美人の条件をクリアしている必要はなく、命がきちんと輝いているかどうか。
この状態の美は、人に沢山の力を分けられるし、自分自身も、自然に楽にいられます。
本当の自分が望む自分でいるから、力が出てくる。
ナチュラルが好き☆という理由付けの元に実際には自分を等閑(なおざり)にしている状態の時は、きれいになる技術を取り入れる事に抵抗があったりします。
(この理由付けというか、言い訳!本当に多いんですよ~、きれいになるために来ているのに(笑)、その理由もセッション中に明らかになり解放するのですが)
この状態の時は、「自分はきれいになる価値がない」という現実を創造しています。
同じように、モノを買うとき、家に迎え入れる時にも、思い込み(観念)のない状態で自分に問いかけることが大切になってきます。
「安いから」
という理由は、人を思考停止に導きますよね。
どんどん自分に問いかける機会が減っていき、安いから、あると便利そうだから・・・と家にモノがたまって行きます。
結果的に自然界と切り離され、経済至上主義にすっかりからめとられて、何でも「お金」で考えるようになっている自分が残っています。
地球全体のバランスでどうなのか、なんて思いも寄らなくなってしまう。
感性が磨耗してしまうのです。
この結果の最たるもの?が原発事故です。
命ではなく、お金でものを考えた結果。
想定外は現実の生活にはありえないのに、机上のお勉強だけをしてきた人のように、理論上考えられる狭い範囲を勝手に区切って限定して
「ボクのせいじゃないんだもん、だって想定外なんだから」なんていってる状態(笑)
私もそうだったのですが、目先の便利さをフィルターにして、原発の本質から目をつぶり続けていました。
だからこの事故は黙認していた人たちも含め全員の過去の行動による当然の結果なのです。
現在は未来の伏線
過去は現在の伏線ですから(^^)
でも、この原発事故のおかげで、小さなお子さんのいらっしゃる親御さんたちは、給食が危険だと判断しお弁当にしたり、そうでない家でも外食や加工品は危険だということで、家で食べることが増えているようです。
放射能のおかげで、取り寄せた食材を大切に料理する、そういうサイクルが定着せざるを得なくなりつつあるように感じます。
その過程で思うのは、本来、野山や畑で出来たお野菜を食べるというシンプルな生活の中にこそ、一つ一つの行動に愛を込めて、美を求める、というものが育つ余地があったんだなぁと、観じます。
今はまさに
「停止させていた感性を再起動するとき」
そんな風に感じています。
元々日本人は、雅(みやび)を大切にしてきました。
自然と調和した生活を楽しむ感性。
月を一晩中眺めて(愛でて)過ごしたり、そんな豊かなシーンなどは源氏物語などでも頻繁に出てきますね。
雅とは「上品で優美なこと、宮廷風であること」
そして「美しい」とは、バランスが良い事。
愛でるとは愛すること。
もう自然の摂理と切り離して、お金で飾り立てたつかの間の「美」は持続できないことがはっきりしました。
自然界の摂理に従えない生き物は消滅します。
これはどの時代を切り取っても、例外のないことです。
もうおわかりかと思いますが私たちは岐路に立っていますね。
以前の記事に書きましたが、ヨガの先生に「その行動は愛を込めて行ったか?」ということを良く確認させられます。
私たちは自然を「愛でる」楽しみを、本来は愛をそのまま現実に体現するという基本的な生き様であったにも関わらず
娯楽として扱い、経済効率という「便利さ」のなかに捨ててしまいました。
そして、人の本質的なものから切り離されていってしまったように思います。
本質的なものとは、自然との調和、地球の生命のサイクルの中で生きることです。
野山や畑で出来たお野菜を食べるというシンプルな生活が主になっていかざるを得ないこの流れは、
人工的な放射能という救いがたいものが原因ではあるにしても、
自然と共に生きること=シンプルな雅(みやび)を、多くの人が思い出していく
そういう流れに入ったと、観じています。
自然と調和しつつも、エコだからといって色もない香りもない、、といったようにストイックすぎるのではなく
文明の持つ便利さも享受していく、新しい時代の土台を作る年になるでしょう。
一方で、twitterでは
(6.27)ガンダーセン博士「4号機から目を離さないこと。4号機が倒れたら、政府が何を言おうと信じてはいけません。それはもう科学が想像すらしたことのない領域なのです。飛行機に乗って東京を出るときです。」
http://goo.gl/j0hQg
http://matome.naver.jp/odai/2130590017719038501
といったことがささやかれ続けている危険な状態とも隣り合わせですから現実逃避をするつもりもありませんが(^^;
私たちが目をつぶり続けたことで招いたこと。仕方がないです。
どんな時にも雅(みやび)を常にハートで感じて、地球と調和した生活を本当にスタートする年だと思います。
清濁合わせて、両方の統合です。
悪いものだけを見ないように蓋をする事ではなく、雅を体現し続ける。
その繰り返しが、両方の統合を加速させるのでしょう(^^)。
ワクワク・イキイキ・キラキラな2012年を!
魂が共鳴する庭☆醒Sei☆
メイクセラピスト 宮之内美津
http://sei.sunnyday.jp/