食べたものがその人の身体を作る
私が子供のころの日本は食事と言えば、
どこの家庭もご飯とみそ汁、漬物、おかず。それが定番でした。
しかもおやつと言うと友達と遊んでいても、友達のお母さんが作ってくれるふかしイモ、タケノコの皮に入れた梅干し、おにぎりなど・・・。
そして遅くまで外で遊んでいる子がいると
近所のおばさんたちは、「早く帰りなさい」
とまるで自分の子供のように心配して言っていたものです。
ちょうど映画「三丁目の夕日」のような感じです。
私は9歳の時に
「貴方はずっと肉や魚を食べていなかったんだよ」という夢を見て以来、
今でも肉や魚は口にすることができなくなってしまいました。
それ以来食べてないので、すでに半世紀ですね~(苦笑)
給食はとても困りました。
でも先生は私の描く不思議な作文にかなりあきれたのか、
母の一生懸命の説得のせいか・・・やがて黙認されました。
一言で言うとかなりあっさりですが・・・
そこに至るには血と汗と涙(少し大げさかしら?)の歴史です。
そして大学一年の時に行ったアメリカ遊学のとき、
その当時の日本では体験したことのないことを目の当たりにしました。
私がお世話になっていた家庭のナースをやっていた娘さんに夜中連れて行ってもらったところが、深夜営業のドーナツやさん。
彼女に「こんな店日本にある?」と誇らしげにたずねられましたが、
当然その当時の日本は夜中食べ物を口に入れるなどの風習もなかったと記憶しています。
当然私の返事は「日本にはないわ」でした。
「ほらねっ」ていった彼女の顔を今でも思い出します。
そのときの二人の心の中ではまるきり正反対のことが浮かんでいたのですね。私は今は日本はアメリカから見ると遅れていると思われているかもしれない。でも必ず日本のよさを知るときが来るだろうと思っていました。
ところが今日本はそのころのアメリカの食習慣をかなり取り入れています。
ここではたくさんのエピソードがありますが。このくらいにしておきます。
インドでは身体のことをアンナマーヤコーシャと呼び、食物鞘。
身体はその人が食べているものでできていると、はっきり言っています。
さらに激辛のものや肉食は人を攻撃的にし、古いものやつくり置きしたものは人を怠け者にする。
作る人の気持ち、食べるときの気持ち、食べ物の性質がその人をつくる。
この一度限りの人生の航路をともに歩んでくれるこの身体が喜びエネルギーに満ちた食べ物を選ぶ素敵な選択をしてきませんか?
マチュピ