痛みの代弁 | wiggin's truth

痛みの代弁

 
「他人の痛みを知る」ってのはさ
痛みの種類や度合いを分析してみせることじゃない。
ましてや、他人が痛がってる様子を眺めながら
一緒になって「痛いよ痛いよ」と叫ぶことでもない。

「他人の痛みを知る」ってのはさ
痛がってる人が「欲すること」
そして「忌避すること」を見極め、察することだと思うよ。


「同じ痛みを体験してみないと解らない」
ってのは、ある意味「真」であるとは思う。
何故「ある意味」なのかと云えば、
痛みってのもイロイロあるからだ。

いや、痛みの種類がイロイロある、と云うよりは
「痛みに対する接し方」がイロイロある、と言うべきかな。

痛みを忌避する人に対してならば
その痛みに触れ、理解してあげたいと思う。
しかし、痛みを欲する人に対しては
その痛みに付き合ってやる理由がひとつも思い浮かばない。
「好きでやってるんだから勝手にしなさい」としか言えない。

同情に安らぎを覚える人。
同情を断固として拒む人。
その違いがどの辺にあるのか察してみれば
いろんなことが見えてくるだろう。



痛みを抱えた人が欲しいものは何か。
痛みを抱えた人が嫌がるものは何か。

同じ痛みを追体験しなくても察することは可能だ。
いや、察しに欠けた人間は、同じ痛みを体験しても
「まったく違う感覚」を抱くだけだろうと思う。


簡単なことでは無いように思える。
かといって難しい訳でも無いように思える。

なんらかの痛みを抱えて
それを本気で消し去るべく奮闘した経験がある者が
「痛みを知る者である」と俺は信じている。





 photo by wiggin





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