生殖医療が発展し、精子凍結をする男性が増える一方で、精子の質が世界的に落ちている。父親の加齢により、精子の状態は落ちてしまう。生まれてくる子どものリスクを指摘する研究もある。 【写真】 32歳男性が3万円で精子凍結、精子を採取するカップはこちら *  *  * ■44歳の夫と妊活中の女性が受けた衝撃  田島弘子さん(仮名・38)は、2人目の子どもを望んで妊活中だ。不妊治療を経て、長男を授かったのは3年前。出産直後は、「1人でも子どもに恵まれただけで十分」と思っていたが、息子が成長するにつれ、「この子にきょうだいをつくってあげたい」という思いが夫婦ともに強くなった。  夫は6歳年上で、現在44歳。二人の年齢を考えると、タイムリミットが迫っていると感じた。2度目の体外受精は実らず、焦りもあった。  そんな時、ふと目にした記事に衝撃を受けた。そこには、ある調査から導き出された傾向として、「高齢の父親から生まれた子どもは、自閉症などの発達障害が生じやすくなる可能性がある」とあったのだ。  卵子の加齢が、妊娠率の低下や流産率の増加など、妊娠・出産に影響が大きいことは知っていた。だが、精子の加齢については、そこまで考えたことがなかった。男性の年齢も、多少影響はあるだろうとは思っていたが、60代、70代で子どもができた男性の話も聞いたことがある。「女性に比べて大きな影響がないのだろう」と思っていたから、先の記事は大きな驚きだった。 ■何があってもおかしくない年齢  幸い、精液検査の結果では、夫の精子には特に大きな異常は見られなかった。だが、記事を見て以来、漠然とした不安感がつきまとっている。「無事に出産できたとしても、何があってもおかしくない年齢なのだ」。そんな気持ちが強くなった。  父親の加齢が、子どもの神経発達障害のリスクを上げるという結果は、いくつもの世界中の疫学調査で出ている。なかでも、発達障害の一つである自閉スペクトラム症(ASD)と両親の加齢との関係については、世界5カ国、約600万人を対象に行われた、最大規模のメタ解析(2016年、Molecular Psychiatry)があり、母親より父親のほうが子どもの自閉スペクトラム症の増加に大きく関わることが示され、大きな注目を集めた。さらに、同調査では、父親の加齢が、自閉スペクトラム症以外にも、統合失調症や低IQ、双極性障害や社会性低下、出生時低体重などに影響するとされている。

 

 

■加齢で“コピーミス”は増える 「こうした調査を裏付けるデータとして、父親の加齢が精子の遺伝子の働きに影響し、子どもの発達障害のリスクになることは、マウスの実験で改めて明らかになりました」  こう話すのは、『脳からみた自閉症』などの著書で知られ、東北大学で副学長を務めている大隅典子教授(神経発生学)だ。  そもそも、生殖細胞の作られ方は精子と卵子で大きく異なる。  卵子の元になる卵母細胞は、女児がまだ母体内にいる胎生5カ月頃が最も多く、約700万個作られる。その後急速にその数が減少し、出生時には約200万個となり、排卵が起こり始める思春期頃には、30万個まで減少。うち、排卵する卵子の数は400~500個と1%以下とされる。卵母細胞の数は増加することはなく、35歳頃を過ぎると急速に減少し、卵母細胞の数が約1000個以下になると閉経する。  これに対し、精子は幹細胞が分裂して自己複製し、精母細胞を経て膨大な数が随時産生される。この時、加齢とともにDNA合成時の“コピーミス”が増え、遺伝子変異した精子となる。 ■放出されるたび「フレッシュ」ではない  さらに大隅教授が率いる研究チームは、父親の加齢によって精子形成におけるヒストン修飾や精子DNAメチル化が変化することで精子の“劣化”が進み、それが遺伝子に影響することを発表してきた。最近の調査によって、これらに加え、遺伝子の働きを調整する「マイクロRNA」も変化し、神経発達障害関連遺伝子の制御に関わることを明らかにしたばかりだ。つまり精子も、老化によって後天的に遺伝子の“働き”が変わるのだ。 「父親が40歳を過ぎて生まれた子どもは、自閉症などの発達障害が生じやすくなるという海外の研究発表を、改めて裏付ける結果となりました。例えば皮膚の幹細胞も老化していくように、精子の幹細胞も老化していく。体全体が老化するなかで、精子だけは放出されるたびにフレッシュというイメージがあるとしたら、それは間違っているのです」(大隅教授)  そのうえ、近年、世界的に精液の質が低下していることが明らかになっている。順天堂大学の辻村晃教授の調査で示されているように、「これから子どもを希望する男性の4人に1人は、すでに精液所見が悪化している傾向にある」という驚きのデータもある。

 

■1970年代と比べヒトの精子は6割減  2022年には、ヒトの精子の減少が加速し、「1970年代と比べると6割も減っている」という調査結果が発表された。これは1回の射精に含まれる精子の数を調べたもので、「欧米男性の精子の濃度が40年で半減した」との調査結果(2017年発表)で世界に衝撃を与えた研究の続報だ。  2017年発表の調査では、北米、ヨーロッパ、オーストラリア、ニュージーランドの男性の精子を分析したところ、1973年から2011年までに50%以上減少していた。  その後、同じ研究者が率いるチームが、2014年から2019年までに公開された精子サンプルの研究結果を分析し、以前のデータに付け加えた。すると、精子の総数は1970年代に比べて62%減少していたことが判明。さらに、1年ごとの減少率は2000年以降、2倍になっていることがわかった。つまり、精子が減少するスピードは加速しているというのだ。 ■環境とライフスタイルの変化  男性不妊に詳しい、泌尿器科医の小堀善友医師(プライベートケアクリニック東京院長)は言う。 「何が精子を減少させているのかについては、現時点では、はっきりした答えが存在しません。原因は一つではなく、時代とともに社会状況や生活様式が大きく変化するなかで、さまざまな要因が絡み合っていると考えています」  小堀医師が「原因として考えられる」と指摘するのは、環境の変化とライフスタイルの変化だ。  例えば、日本国内の研究で、大気汚染の原因であるPM2.5が精子の所見に悪影響を及ぼすというデータがある。大気汚染や温暖化などといった環境的な要因が、精子に影響している可能性もある。また、例えば肥満や睡眠不足など、老化のストレスを増やすような生活習慣が精子の所見を悪化させ、精子の中のDNAを損傷することもわかってきている。 「生活習慣に気を配ることで、自分の精子の所見を一定程度、改善させることはできるでしょう。それでも、加齢による精子の劣化があることは認識したほうがいい。  35歳を過ぎると、男性も子どもができづらくなるという現実があります。人生100年時代などといわれ、ともすれば生殖年齢も上がっていると思うかもしれませんが、それは違う。人間が生殖できる時間は昔から限られており、精子や卵子は私たちの体で、早い段階で老化が進むのです」(小堀医師)

 

 

■生殖補助医療のリスクとは  前出の大隅教授は、「加齢は次世代の発達障害につながるリスクがある」という先の研究結果を受け、昨今の不妊治療の広がりを踏まえつつ、「高年齢での妊娠・出産を技術的に可能にする、体外受精をはじめとした生殖補助医療のリスクについて、今一度考えるべき」と指摘する。  その背景の一つが、京都大学の研究チームが2023年11月に発表した、「生殖補助医療のリスクが子ども世代、さらに孫世代にまで伝わる可能性がある」という調査結果だ。  京都大学の篠原隆司教授らがマウスを用いて実験したところ、精子を卵子に直接注入する顕微授精(卵細胞質内精子注入法)を使ったマウスの子に行動異常が見られたほか、子は正常に見えても孫以降の世代に先天奇形などの異常が見られたという。マウスを用いた実験だが、マウスと同じ哺乳類であるヒトも、同様の仕組みで次世代に影響する可能性があるという。 「生殖補助医療は一部に保険が適用され、“リスクが低い”と捉える人が増え、ハードルが下がってきています。ただし、生物学的に見れば、体外で受精卵を培養することも含めて、中長期的に本当に安全な技術と言えるのか、まだわからないことも大きい」(大隅教授)  日本産科婦人科学会のデータによれば、顕微授精で生まれる子どもの数は横ばいの傾向にあるが、凍結した受精卵を用いた胚移植は年々増加している。 「凍結融解が受精卵にもたらす影響について、世代を超えた検証がなされているとは言い難く、精子凍結にもそれと同じことが言えます。生殖補助医療について、リスクが次世代以降に伝わる可能性もあることはもっと知られるべきです」(同) ■70代で子どもを望む人も  晩婚化、晩産化が進む現代において、凍結技術の応用や生殖補助医療は、妊娠の可能性を広げてくれる。子どもを望む人々の頼みの綱でもある。だが、リスクが十分に解明されているとは言い難いことも認識しておく必要がある。  先述の小堀医師は、「高齢になって子どもを持つことが、技術的に可能になったからこその課題もある」と言う。「子どもがほしい」と小堀医師の元を訪れる高齢男性は、決して少なくない。60代のみならず、70代も一定数いるという。 「高年齢で子どもを授かっても、成年まで育てられるのかという疑問はどうしても残る。そういう意味でも、生殖補助医療についての議論はより深めていく必要があるのです