お悩み:独身子なしの私。親に「孫の顔が見たい」と泣かれて以来、自分を責め続けています

独身生活を自分なりに楽しみ、親孝行も欠かさず行っているけれど、母親に「孫の顔が見たい」と泣かれて以来、自分の生き方は間違いで親不孝なのかもしれないと思い悩んでいる……。そこで、親孝行とはどういうものか、親離れ子離れとはどういうことかについてお話しします。

 

▼Anさん(33歳・薬局事務)のお悩み 33歳の独身女です。20代後半は、結婚はおろか彼氏もできないことに焦りを感じ、婚活していました。しかし30を過ぎたあたりから「結婚できないならば、せめて幸せに生きているところを親に見せたい」と思うようになり、仕事や趣味を楽しんで過ごすようになりました。

最近では、親に孫の顔を見せてやりたい気持ちは依然としてあるものの、自由な一人暮らしに慣れてしまいました。結婚生活にはデメリットしか感じられなくなっており、そのことに罪悪感を覚えています。

そのぶん、母の誕生日や母の日に感謝の気持ちを込めてプレゼントを送ったり、元気な姿を見せたりと、自分なりに親孝行してきたつもりです。

しかし先日、母に「孫の顔が見たい!!」と目の前で泣きながら叫ばれてしまいました。

そのときは今すぐ死にたい、誰か殺してくれと絶望し、一人暮らしをしている家に帰宅してからも涙が止まらず一睡もできませんでした。

母を泣かせてしまった、そんなことを言わせてしまった自分。普通の人が普通にできることをできない自分。私は普通の人間ではないのだと感じています。

どんなに他の形で親孝行に励んだとしても、結局、孫の顔を見せてあげられなければ無意味なのかもと感じ、これからの生きていく意味を見失ってしまいました。

孫の顔を見せてあげられないことは、親不孝でしかないのでしょうか。そんなことはない、と言ってくれる人もいますが、母の言葉がこびりついて離れません。

私はどうしていくことが、正解なのでしょうか。元気であること、幸せに生きることが正解だと考えてきましたが、それは母にとっては間違いなのかもしれません。

回答者:藤本シゲユキさん

“モテる男の心理” をふまえた、超・本質的な恋愛&人生指南が大好評! ホストクラブオーナーを経て、女性向けの恋愛カウンセラーになるという異色の経歴の持ち主。2014年からアドバイザー業に専念。男性心理を知りつくした立場から、人生と恋愛の成功率を上げるための的確なアドバイスを行う。

 

 

アドバイス1:「早く孫の顔を早く見せろ」は、親のエゴの押し付けでしかない

せっかく楽しんで過ごしておられたのに、お母さんの一言ですごく傷つかれたんですね。文面からお見受けするに、かなりの罪悪感を覚えていらっしゃるのだと感じました。

まず、これだけは断言させてください。僕たち人間は、全員親の都合でこの世に誕生しています。誰一人、親に産んでくれとは頼んでいません。

スピリチュアルの世界では、子供は親を選んで生まれてきているという説もありますが、そんなこと言われても見えない世界のことだし、選んだ実感なんてありませんよね。

こういった情報のほとんどが、生きている間にはわからないことなので、現実問題として考えるなら、「子供は親の都合で生まれている」「子供は産んでくれと頼んでない」ということになるのです。

なので、「誰のおかげでご飯が食べれてると思ってんの!」と言う親に対して、「そもそも産んでくれって頼んでねえよ!」という反論は、至極真っ当なんですよ。

正論すぎるから、言ってはいけないみたいな風潮があるだけです。

ということは、親は子供を育てる義務がありますよね。何も一生面倒見ろとは言いませんが、先進国の中で一番自己肯定感が低い人間が集まっているこの日本で、せめて独り立ちできる年齢までは子供を養うのが、親である責任ではないでしょうか。

そして子供が独り立ちをしたときに、親は子供にどういう関わり方をすればいいかというと、その子のやりたいことを尊重し、自分のエゴを押し付けないことです。

ここから先、Anさんにとってはおそらく気の悪いことを今からお話ししますので、まず先に謝っておきます。ごめんなさい。

世の中には、Anさんのお母様のように、「早く結婚しろ」「孫の顔を早く見せろ」とうるさい親がたくさんいるようですが、こういった親は、子供を自分の所有物か何かだと勘違いしてるんですよ。

とくに、「孫の顔が早く見たい」という親は、孫ですらも自分の所有物だと勘違いしています。そうじゃないと、このセリフは出てこないです。

もちろん、子供に「早く結婚しろ」「孫の顔を早く見せろ」と言う親全員に悪気があるわけではないので、中には「結婚して出産するのがこの子の幸せである」と本気で思い込んでいるケースもあります。

しかし、これはその人たちの主観であり、何が幸せな生き方なのかは、子どもが決めることであり、親が決めることではないんですよね。

Anさんのお母さんが、どういった気持ちで「孫の顔が見たい」と泣き叫んだのかはわかりません。

でもその理由が、「○○さんの家の娘さんが孫を連れて実家に帰ってきたから」とか、「あなたぐらいの年齢になるとみんな結婚して子供を産んでいるから」というようなものだったとしたら、それはただの嫉妬であり、ないものねだりです。

「クラスのみんながNintendo Switch持ってるから買って!」と親にねだる子供と、なんら変わらないんですよ。

もし、お母さんが本当にAnさんの幸せだけを考えて発言したのであれば、きっと泣き叫んだりはしないはずです。

なぜなら、もし「本当は孫の顔が見たいけどな」と思っていても、娘が1人でも幸せそうに生活している姿を見たら、思うところはあっても押し付けたりはしないからです。

 

 

アドバイス2:親離れ・子離れとは、お互いの人生や生き方を尊重すること

あと、お聞きしたいことがあるのですが、文面からお見受けするに、ものすごくお母さんに気を遣っておられるなと感じました。

昔から、お母さんはAnさんに対して、罪悪感を植え付けるような言い方をすることはなかったでしょうか? そして、お母さんの顔色を必要以上に伺うことは多くなかったでしょうか? そういった積み重ねがあることで、必要以上の罪悪感を覚えてしまった部分はないでしょうか?

なぜこういったことをお聞きするのかというと、親に対して罪悪感が芽生えても、「今すぐ死にたい」「誰か殺してくれと絶望する」という感情に至ることは、あまりないからです。

もちろん、Anさんのお母さんに対するお気持ちは、文面からもすごく伝わってきています。

しかし、お母さんに泣き叫ばれたことで、そこまで自分を追い込んでしまうのは、そこに至るまでの背景が何かしらあるのではないかと思ったんですね。

僕たちは、いつか親離れをしなければなりません。

親離れとは、自分の人生と親の人生を切り離して考えること。そして、親の価値観や意見に縛られず、自分の生きたい人生を自分でクリエイトし、歩んでいくことなんです。

もちろん、親もいつかは子離れしなければなりません。子離れとは、子供の人生に親がいちいち口を挟まないことであり、必要以上に干渉しないことなんです。

親離れ、子離れするということは、お互いの人生や生き方を尊重すること。つまり、お互いの人生にいちいち首を突っ込まないということなんですよ。

お互いが親離れ子離れしていたら、親は「アンタの人生だから好きにすればいいけど、本音を言うといつかは孫の顔が見たい」という言い方になりますし、子供も「今結婚したくないから、まあそのうち気が向いたらね」で終わりです。

実は、親離れ子離れができていない子供や親はものすごく多く、お互いが精神的自立を果たしていないというケースがよくあります。

親を大切にするというのは、親にべったりくっついて甘やかすことではありません。親を一個人として大切にするということなんです。

たとえて言うなら、ものすごくお世話になった恩師に恩返しがしたい、それに身内贔屓をプラスαしたものが、親を大切にすることだと僕は考えます。

よく考えていただきたいのですが、たとえ身内贔屓をプラスしたとしても、恩師に恩返しをするときに、自分の人生を変えてまで相手に尽くしたりしないじゃないですか。

もちろん、親の介護問題にまで物事が発展すると話は変わってきますが、子離れしている親の中には、子供に迷惑をかけないようにする人も多いです。

そこで、「今までさんざん世話になったから、どうしても直接恩返しがしたい」という気持ちで介護をするのであれば、それは子供の決めたことであり選んだことになるので、親を大切にするという行為につながるでしょう。

アドバイス3:誰が何と言おうと、自分が「幸せ」と思える生き方が正解

少し話がそれてしまいましたが、以上のことを踏まえた上で考えると、Anさんのお母さんは子離れができているといえるでしょうか?

「孫の顔を見せてあげられないことは、親不孝でしかないのでしょうか」とご質問されていましたが、ここまでAnさんのことを追い詰めたお母さんの方が、子不幸だと僕は思います。

「母の誕生日や母の日に感謝の気持ちを込めてプレゼントを送ったり、元気な姿を見せたりと、自分なりに親孝行してきたつもりです」と書かれていますが、もう十分にお母さんを大切にされているのではないでしょうか。

それ以上を求めるお母さんの方が酷なことをしているなと思いますし、泣き叫ばれたときに、「これ以上どうしろって言うの? 孫はお母さんを喜ばせるための道具じゃないんだよ」と怒ってもいいところだと思います。

そして、お母さんに対し、必要以上に罪悪感を覚えるAnさんは、親離れができているといえるでしょうか?

「元気であること、幸せに生きることが正解だと考えてきましたが、それは母にとっては間違いなのかもしれません」と書かれていましたが、これから一生、お母さんが望む人生を歩むことがAnさんにとっての幸せなのであれば、それでかまわないと思います。

しかし、そうではないなら、あなたは自分の望む人生を歩むことができないと、これから先幸せにはなれないのです。

たとえその生き方がお母さんにとっての間違いでも、Anさんにとっての正解なら、それがご自分の幸せではないでしょうか。

幸せって主観なんです。

誰がなんと言おうと、自分が幸せだと感じたら、それが幸せなんです。

ただ残念なことに、その幸せを守り抜くためには、ときとして大きな負荷が伴うこともあります。その負荷とは、他の誰かからの反対を振り切る労力です。

そもそも、生き方に正解も不正解もありません。

でも自分の生き方を不正解だと思ってしまうことがあるとすれば、第三者からとやかく言われて不安になるというパターンがほとんどでしょう。でも、そんな雑音に耳をいちいち傾けていたら、自分にとっての「幸せ」は遠のいていくばかりです。

Anさんにとっての正解があるのだとしたら、親離れをして自分の幸せをつかむことなのではないでしょうか。

しかし、それは僕が決めることではありません。Anさんが決めることなのです。

とはいえ、そこまでお母さんに気を遣っているAnさんは、お母さんと接しているとき、幸福度が下がっていないかよく考えてみてください。

そこで、「下がってない」と即答できなければ、認めたくないかもしれませんが、お母さんと接しているときは幸せではないことを意味します。

ちなみに、孫を見せられないことについて、「普通の人が普通にできることをできない自分」と書かれていましたが、ほとんどの人が、考えなしに結婚したり出産したりしているだけです。そのついでに、親に孫を見せているだけです。

その結果、本当の意味で幸せな結婚生活を送っている夫婦が、一体どれだけ世の中にいるでしょうか?

Anさんが、結婚生活にはデメリットしか感じられないと思った理由を、今一度深堀りすることも大切ですよ。