これから誰も知らない『大いなる旅路』の物語を語ろう・・・

時は蜀建興5年(西暦227年)。かつて「臣亮申す」で始まる『出師の表』をしたため、北伐へと向かった蜀の丞相、諸葛亮孔明のように奥多摩へと勝ち目の無い戦いに幾度と無く挑んだ男の子のストーリーです。

既に今年だけでも3度の北伐をして、お高い『年券』をご購入しているにもかかわらず、1匹もお魚が釣れていない悲しみにもめげず4度目の戦いに挑んだのは未だ初夏の頃でした。

兎に角、奥多摩に来て早々にクナイを設置して、身軽な状態で日原へと向かうのも悪クナイ!
もちろん東京へ来たのだから、夢の国『千葉県』のキャスト代表として都知事へのご挨拶も忘れてやいませんでした。

何処と無くブルガリアを彷彿とさせる景色が懐かしい・・・

今回目指すのはいつもは行かない日原川の中流域の誰も居ない場所で独り釣り糸を垂らすことでした。

途中には危険なトンネルなどもありました。

「うわぁぁ〜ぁあ!!」

インディー・ジョーンズを彷彿とさせる空中トロッコ列車などもあり、危険がいっぱいでした。

しかも今回入ろうと思っていたどちらかというと登山客で賑わう川乗筋は

運悪く『通行止め』でした。

奥多摩は普段生活している地域では凡そ考えられないような、『行き止まり』や『通行止め』など、人類の叡智を持ってしても抗えない力が働いている危険な場所なのです。
それでも僕は諦めずに、さらなる上流を目指し入渓場所を目指しました。

小1時間ばかり歩いて漸く辿り着いた釣り場で思う存分、フライフィッシングを堪能することにしました。

しかし、それは大自然が織りなす複雑怪奇な罠でもありました。

こんな釣り日和だっていうのに、先日渓流靴をラバーソールに変えたことで思った以上に足元が滑るのでした。

思うような釣りができない現実に直面した僕は往復2時間以上かけたフィールドで僅か15分も経たないうちに釣りを止めてしまいました。

しかも小さなフライは全く何処を流れているのかさえも分からないし、フライに糸を通すのに物凄く時間が掛かるのです。
悲しいことに、この時初めて眼鏡を掛けない裸眼の方が手元の細かい作業がよく見える現実に気付かされたのであります・・・
僕は県民ファーストでは無い都会の洗礼を受けて、渇いた喉を奥多摩の恵みで潤わせました。

僕の心は沈黙したままで、ただ川は僕の心を縫うように流れ続けていました。
to be continued・・・