学ぶために勉強し、行うために学ぶ | 聖書とイェシュアの教え

聖書とイェシュアの教え

イエスはユダヤ教のラビでした。
ではイエスの教えを守って生きるとはどう言う事なのでしょう?
ご一緒に学んでみませんか?

 

学ぶために勉強し、行うために学ぶ

 

 

  

 

 ユダヤ教の思想では、勉強の目的は知識の習得ではありません。 

 

「もし、あなたがたがわたしの掟に従って歩み、わたしの命令を守り、それらを行うなら」 (レビ記 26:3) 

 

(1) 掟に従って歩む 

(2) 命令を守る 

(3) それを行う 

 

 この 3 つの違いは何でしょうか? 

 

 ユダヤ教の賢人達の一人であるラシは、「掟に従って歩む」とは、トーラーを集中的に勉強すること、「命令を守る」とは、トーラーをどのようにして正しく守られるかを学ぶこと、「それを行う」 とは、トーラーの教えを実行することだと教えています。

 

 言い換えれば、私たちは学ぶためにトー ラ ーを勉強し、その教えを実行するために学ぶのです。 私たちは聖書を学ぶためだけに聖書を研究することがありますが、聖書が私たちに命じていることを実行に移しているでしょうか。私たちは神のみ言葉を耳にし、そのメッセージを理解しても、 それを実践に移さないことがよくあります。これは特にトーラーにおける律法に関して当てはまり ます。 

 

 キリスト教の学説の中には、トーラーの律法は文字通りの意味を持つものではなく、霊的な意味を持つものだと解釈している説があります。これは、律法は実際に守るべきものではなく、霊的な教訓として理解されるべきものだということを意味しています。初期の教会の文献では、律法の霊的な意味について述べながら、実際に律法を守ることを人々に勧めない傾向がありました。このような考え方は、初期の教会時代における哲学思想の影響によるものでした。哲学的世界観では、知識の習得それ自体が価値ある目標だとされていたからです。 

 

 ユダヤ教の思想では、勉強の目的は単に知識を得るためだけではありません。知識と学習は、神により良く仕えるための手段なのです。したがって、ユダヤ教の思想では、私たちは学ぶために勉強し、行うために学ぶのです。