Shoftim 追悼と贖い | 聖書とイェシュアの教え

聖書とイェシュアの教え

イエスはユダヤ教のラビでした。
ではイエスの教えを守って生きるとはどう言う事なのでしょう?
ご一緒に学んでみませんか?

 

5分で学ぶ神の律法

 

by Darren N. Huckey

 

追悼と贖い  申命記 16:18-21:9

 

 

 

 

 

 エルサレムにあるヤド・ヴァシェム・ホロコースト博物館を出ると、出口の近くにヘブライ語と英語で書かれた表示板があります。そこには、18世紀に超正統派ユダヤ教を創始した Baal Shem Tov/バール・シェム・トフの言葉が書かれています。

 

忘却は追放につながる。一方、追悼は贖いへ導く秘密である。

 

 これは何を意味するのでしょうか。その意味を探ってみましょう。今週のトーラー・ポーションによると、イスラエルの王は、宇宙の創造主との契約関係に結ばれた、聖なる国の指導者として、その責任を思い出すために、自分自身のためにトーラーを書き写すように命じられています。

 

その王国の王座に就いたら、レビ人の祭司たちの前にある書から自分のために、このみおしえを巻物に書き写し、自分の手もとに置き、一生の間これを読まなければならない。それは、王が自分の神、主を畏れ、このもおしえのすべてのことばと、これらの掟を守り行うことを学ぶためである。それは、王の心が自分の同胞の上に高ぶることのないようにするため、また命令から右にも左にも外れることがなく、彼とその子孫がイスラエルのうちで、長くその王国を治めることができるようにするためである。 (申命記17:18-20)

 

 イスラエルの王はイスラエル国を代表します。ですから、王がトーラーを守ることに熱心であれば、王は義の人とみなされ、国は祝福されます。しかし、王がトーラーの戒めを忘れると、不義の人とみなされ、国は裁かれ、追放されます。

 

 王はイスラエルを代表するので、王の責任の一部は、国民個人の責任でもあります。申命記31:19には、「今、次の歌を書き記し、それをイスラエルの子らに教えなさい」とあります。これは、613あるトーラーの戒めの中で、一番最後の戒めとされています。ユダヤ人全員が何らかの形で、多くの場合、新しいトーラーの巻物の製作費用に献金することによって、自分自身のためにトーラーを書き写すと言う義務を果たせると解釈されています。王がトーラーを勉強するために自分のトーラーを持つ義務があるように、王国の国民にも同じ義務があるのです。

 

 イェシュアを信じる事により、神の王国の市民として迎え入れられた、私たち異邦人弟子達も、 「Shumash/ホマーシュ/トーラーをヘブライ語と英語の両方で記し、注釈を加えた書物」という形でトーラーを所有し、毎日勉強することが大切です。日々の絶え間ない学びによって、トーラーは私たちの心に染み渡り、私たちが「右手にも左手にも、神の命令からそれることなく」、心から主に従うことができるようになるのです。義の人であるメシア・イェシュアにしがみつきながらそうするならば、私たちは、現在の壊れた世界における、メシアの王国の使者となる可能性を持っています。このプロセスを通して、預言者エレミヤが、私たちを待っていると言う希望を垣間見ることができるのです。

 

見よ、その時代が来る―主のことば―。そのとき、わたしはイスラエルの家およびユダの家と、新しい契約と結ぶ。・・・わたしは、わたしの律法を彼らのただ中に置き、彼らの心にこれを書き記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。 (エレミヤ書31:31、33-34)

 

 トーラーが私たちの心に書き記され、人が隣人に教える必要がなくなるその時まで、私たちは毎日トーラーを学び、「右手にも左手にも、戒めからそれることのないように」しなければなりません。しかし、それまでは、トーラーを毎日熱心に学び、私たちの人生における 「良く、完全な神の御意思」を見極め、神が私たちに召されたすべてのことに忠実に従わなければなりません。忘却は追放につながりますが、追悼は贖いを解く鍵なのです。他の人々が忘れてしまったことを思い出すことによって、世界に tikkun/ティクン/修復」をもたらす手助けをしていただけませんか?

 

 

最後まで読んで頂いてありがとうございます。

来週の「5分で学ぶ神の律法」にもご参加下さい!

 

 

 

 

 

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