取り残された者の気持ち | whytyのブログ

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僕の方が変わっていなかった

 

スマホを持つことが行動変革になるのだろうか?と疑っていた。持てばラインで連絡が出来・情報が共有できると言ってもその便利さは弱点にならないだろうかと弁解していた。

(それにガラケイが一番使いやすし。それに操作も出来ないスマホは持たない。)

 

4月から会社がフェイスブックを始めた。

(フェイスブックも知らなかった。僕はフェイスをしない。ツイッターはパソコンで見ている。その人のフェイスに入りたいのにフェイスの前でノックもしないでただ眺めている。)

 

明日は環境整備の点検がある日

(あんな厳しい環境整理の審査をしなくもいいのに)

 

気が付いてみると、携帯電話を持っているのは職場では僕一人。

体力は負けても意識はついて行けるはずだった。

 

研修の帰り道

「本人らしさを引き出そう」「認知症があっても人の役に立つように繋ぎ、下支えをしよう」

「あくまで対等に社会に役立つ人」として明るく楽しく介護している実践に完全に打ちのめされた。

 

気が付くと自分の職場でも

「利用者の笑顔と職員の笑顔が多くなるために」と

事業所ごとに大きな台紙が張られており

その目標を実現するためにすでに職員全員が動いている

気付きのメモも多数張られている

事故を無くすために全員が環境整備に意識的に取り組んでいる。

 

一人取り残されていた

 

スマホも出来ない フェイスも出来ない

年よりの出る幕はないみたい

時代遅れに胡坐をかいていたのだろうか

そうに違いない

僕にもまだ席があるとすれば

スローガンのように

笑顔になるにはどうすればいいのだろうか

時間がかかるだろうな。

 

今日で爺が書くブログはしばらく休止します。

読んで下さった方に感謝致します。