最近、生きているのが苦しい。思春期がぶり返しているのだ。病状が悪化しているのが理由のひとつだろうが、下等な酒に酔っ払って「死にたい、死にたい」と頭を抱えるような寝入りばなが続いている。知人が軒並み夢を諦め就職したり結婚したりというのが続いて正直、気力が萎えている。
それにしても、もう2月なのか・・・。大学時代の知人達との新年会で話しに出ていて気になっていたいくつかの作品などを見てみる。なかでも國分功一郎の『暇と退屈の倫理学』には驚いた。これはまさに思春期に私が考えていた問題そのものだ。理論の経過は違えど、結論も一緒だった。でも、これは多分、当時、みんな同じように考えていたことに他ならない。つまり、90年代的問題ってことで、こんなこと今更言ってんなよって気がする。言いたいことはいっぱいあるけど、それはまた今度。
そしてやっぱり90年代は最高だったんだ。90年代の音楽ばかり聴いている昨今だ。あの頃、許せなかったブリットポップも今や愛おしくて仕方がないよ。

十数年越しの宿題がある。あえて深く考えないようにしていた問題があって、それについて、ちゃんと考えなくてはならなくなった気がしている。私は高円寺に住んでいるのだけれど、普通に町を歩いたり、飲み屋に行ったりしていても、こういう運動http://uzomuzo.com/の気運が高まっていてるのを肌で感じたりするのです。私がずっと以前から、考えないようにしていた「政治」の問題についてやはり、自分的に結論を出さないと気持ち悪い。それは要するに「なぜ僕は選挙で投票しないか」ということの回答になるだろう。ここ10年近く、回避してきた問題だけれども、何となくヒントになるであろうものには見当が付いている。そしてほとんど直感でしかないけど解答もすでに自分の中にある。

サルトルとカミュの論争を読み返すこと。



私は決して、行動しない。その理由を言葉にすること。
http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/800/106738.html

最高だ。田中慎弥という作家については全然知らなかったけど、俄然、読みたくなる会見内容だ! 39歳独身、定職に就いたことがない、母親と二人暮らし・・・云々という作者のプライバシーが主にワイドショー的に話題になっているという、この国の民度の低さに呆然とする。日本文学は世界に冠たる偉大なものなのだが、それを誇る国民は稀有な存在だ。反吐が出るよ。そして西村賢太の時と同様、同時受賞者である円城塔に関してはメディアは完璧スルーしている・・・。アホか! 朝吹真理子も円城塔も物凄い才能なんだよ? この国の一般メディアはいつから文化的なリテラシーを完全放棄しちゃったんですかね? これが大衆の反逆という奴なら本当にこんな国に生きているのが恥ずかしいよ・・・。
『Mr.Boo! インベーダー作戦』を観る。本当に素晴らしいなあ! 面白すぎる。そして相変わらず主題歌が最高の名曲である。調べたら、『Mr.Boo!』シリーズの主題歌作って歌ってるのって全部、サミュエル・ホイなのですね。すごいなぁ・・・! 



赤ん坊の誕生前
玉皇大帝に聞いたんだ
食うためには
髪を振り乱して働けと
金持ちの連中め
貧乏な俺をコケにするがいい
もう うんざりだ

契約書にサインして
神様に金を払って
赤ん坊の誕生を待つ

赤ん坊は成長し
立派な青年となった
結婚式の当日は
姑の機嫌取り
婿はお気楽
嫁は米びつをあさってる
大事なのは酒の席

契約書で身を売り
子供の洗礼の金を払う
すべては我が子のため

香港の生活は
条例でかんじがらめ
電気、水道は値上がりし
夫婦はヘトヘトだ
入院費はもっと高いぞ
子育ても大変だ
学費はケチれない

毎日我が身を削り
もうボロボロだ
アミダ様にすがるだけ

毎日我が身を削り
もうボロボロだ
アミダ様お助けください

明けましておめでとうございます。今年はいい年になるだろう・・・。そしていい映画が観られるといいですね。去年もいろいろ観たけど小粒だけど良作って感じの作品に恵まれていた一年だった気がします。10作選ぶとしたら以下の通り。

⑩『スーパー!』
エレン・ペイジの狂いっぷりにびっくりしてる間に、とんでもないテーマに踏み込んでいく破壊力ある映画でした。コメディ仕立てなのに笑いが引きつるビターな味わい。


⑨『コリン』
ゾンビ映画でのおなじみのシチュエーションを、ゾンビ視点で捉えた、ありそうでなかった新しいゾンビ映画。拙い部分もあるけど、すごく大好きな作品です。


⑧『グリーン・ホーネット』
監督ミシェル・ゴンドリー、主演セス・ローゲンで『グリーン・ホーネット』とは・・・去年もっとも謎だった映画なのだが、観てみたらまさかの傑作で本当に驚いた。


⑦『イリュージョニスト』
『ベルヴィル・ランデブー』の監督の新作・・・というより、完全にジャック・タチの新作として観た。ユロ氏に憧れ続けた私の部屋にはいまだに『ぼくの伯父さん』のポスターが貼られているのだ。涙なくして観られない傑作だったです。


⑥『悪魔を見た』
またも韓流トラウマ路線。イ・ビョンホンとチェ・ミンシクが出ていて面白くないわけがない。監督がキム・ジウンなので、ちょっとストーリー的に破綻してたり、甘い部分がなくもないけど、エゲつなさには磨きがかかっていて最高だった。


⑤『イップマン 葉問』
誰だって、こういう映画が観たかったはずじゃないか! ということを思い出して目頭が熱くなりました。ドニー・イェンの映画は長らく日本公開されてなかったはずだけど、これで状況が変わった感がありました。


④『アジョシ』
キム・ジウン監督の下で完全にダークサイドに落ちたイ・ビョンホンに留まらず、かつて韓流四天王の一角として日本のオバサマをキャーキャー言わせていたウォンビンが、殺戮マシーンと化して、鬼畜ヤクザどもを大虐殺する最高に燃えるエンターテイメント映画。


③『宇宙人ポール』
これは本当に傑作。サイモン・ペグとニック・フロストが主演(ポールの声はセス・ローゲン)、監督は『スーパーバッド 童貞ウォーズ』のグレッグ・モットーラとくれば間違いないのは決まっている。巷で言われてるようにスピルバーグやSF映画のパロディと思いきや、ストーリーは『イージー・ライダー』という点が非常に面白かった。


②『メアリー&マックス』
個人的にグッとくるシーンがたくさんあって嗚咽を漏らしそうになった。弱い者たちへの突き放した視点と、優しさが共存する奇妙な味わいのクレイ・アニメ。アスペルガー症候群、広場恐怖症、吃音、イマジナリー・フレンド、アルコール中毒、過食症など現代の病苦が詰め込まれており寓話的な残酷さと美しさを湛えた傑作ですが、万人はお勧めできるとは言い難いかもしれないです。


①『ピラニア3D』
やっぱりこれが一番楽しかった。最高としか言いようがない。これはちゃんと映画館でメガネかけて3Dで観なきゃダメ。最高に低俗で馬鹿で知能指数もIQも低くて、深遠なテーマとか奥深い感動とか全くこれっぽっちもないけど、そんなものはスクリーン所狭しと溢れかえった美女(の裸)と阿呆(が酷い目に会うとこ)とピラニアと阿鼻叫喚の地獄絵図の前では邪魔なだけだ。観ている間、本当に幸福な気分に浸れる稀有な大傑作でした!
今年は例年に較べて色々な本を読んだ一年だったと思う。今年買った本をさらっと眺めてみても、どれも結構感慨深いものがある。今年は、社会的には大変な一年だったけれど、その波を受けて自己の精神にとっても非常にマイルストーンとなる一年でもあった。多くの人がそうだったと思うけれど、読む本とそれに対する自分の印象が、明らかにそういう社会的な事象の影響を受けているということに今更ながらに気づいた。そういうわけで2011年における極私的愛読書10冊を挙げてみます。

⑩市川春子『25時のバカンス』(講談社)
獺祭陋屋詩話-25
今年とても話題になった漫画です。極めて叙情的なハードSFです。短編集ですが、どの作品も心震える 傑作です。

⑨ダグラス・アダムス/マーク・カーワディン『これが見納め 絶滅危惧の生きものたち、最後の光景』(みすず書房)
$獺祭陋屋詩話
あの『銀河ヒッチハイク・ガイド』のダグラス・アダムスが世界中の絶滅危惧種の動物たちを見に行く旅のドキュメント。あの皮肉なユーモアたっぷりで描かれるスクリューボール・コメディ。

⑧しまおまほ『ガールフレンド』(Pヴァイン・ブックス)
$獺祭陋屋詩話
しまおさんと同世代の私にとっては他人事とは思えない90年代東京のお話、祖父島尾敏雄、祖母ミホ、叔母マヤ、父伸三に関する思い出話、そのどれもが本当に楽しくて、しかも感銘を受ける。文芸評論家はなぜ、この人に島尾家サーガとでもいうべき壮大な話を聴き取りに行かないのか・・・と真剣に思う。

⑦渡辺温『アンドロギュノスの裔』(創元推理文庫)
獺祭陋屋詩話-アンドロギュノス
この本は衝撃的だった。あの渡辺温の全作品が文庫一冊に纏まったのだ。大正浪漫ここに極まれり! 江戸川乱歩よりも断然大好きで色々探して読み耽っていたのは大学生の頃だった。「可哀想な姉」は何度読んでも素晴らしいと思う。

⑥磯崎憲一郎『赤の他人の瓜二つ』(講談社)
$獺祭陋屋詩話-赤の他人
今年書かれた小説では頭ひとつ抜きん出た素晴らしさだったと思う。「文学や小説にしか表現できないもの」を、「文学や小説にしか表現できない方法」で表現した作品だと思う。だから映画化や舞台化することは絶対に不可能だ。出来ればもっともっと読んでいたかった。読み終わってしまうのが本気で嫌だと思った。

⑤関川夏央『子規、最後の八年』(講談社)
$獺祭陋屋詩話-子規
個人的な正岡子規ブームでした。これは子規の晩年を中軸に明治時代という日本の「青春時代」を包括的に描写する一冊です。『坊ちゃんの時代』の前編だと思って差し支えない。正岡子規の存在の重要さを知るとともに、夏目漱石という人間が、当時、どれだけ異端的な存在だったかということについて考えさせられた。

④『ちくま文学の森8 怠けものの話』(筑摩書房)
$獺祭陋屋詩話-なまけもの
とてつもなく影響を受けた一冊。人生を変えた・・・と言っても過言ではない。これから私のことを評するときはスカブラと評していただきたい。大好きな荻原魚雷さんの『本と怠け者』とセットで何度も読み返した。

③諏訪哲史『りすん』(講談社文庫)
$獺祭陋屋詩話-りすん
今年最も泣けた小説。賛否両論あるのは良く分かる。そういう作品。私は途轍もなく好き。電車の中で読んでいて泣けて泣けて仕方なくて途中で降りざるを得なかった。妹萌の人にもお勧めです。傑作也。

②伊藤比呂美『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』(講談社文庫)
$獺祭陋屋詩話-地蔵
②というか同率一位。はっきり言って衝撃を受けたし、影響も受けた。その語りの快楽たるや・・・とにかく一人でも多くの人に読んで欲しいと思って、本好きの知人に会うと必ずお勧めした。それくらい圧倒的な文体なのである。

①クリストファー・スモール『ミュージッキング 音楽は<行為>である』(水声社)
$獺祭陋屋詩話-ミュージッキング
これは私のそれまでの思想を根本から変えてしまった。音楽についての本なのだけれど、それだけに留まらず、芸術、所有、社会、人間関係、価値、社会構造といったものの捉え方がフレームごと一変してしまった。つまり「芸術」などというものは存在しない。故にそれら「作品」と呼ばれるものを「所有」することなど出来ない。「体験」を所有することなど論外であり、「作品」はそれ自体が「芸術」としての価値を有しているとは言えない。「芸術」とは「作品」を含む、その場で起こっている「何か」である。テクスト分析に対する疑念や、作品における作者と読者の優位性など、それまで何となく分からなかった問題が一挙に解決した。そういう意味で今年読んだ本の中で最も重要な一冊は紛れもなくこの一冊なのである。
年の瀬になるといつも溜息が漏れる。こんなご時勢だ。人ひとり生きていくのも大変なのに、今年は未曾有の天変地異(ほんとは未曾有でも何でもないんだけどね)。まったく性懲りもなく生き延びて、やっぱり相も変らぬ、やさぐれ生活。病は静かにゆっくりと進行中。三十路も半ばに近付いて、今更ぶり返してきた思春期。そっちはどうだい上手くいってるか? こっちはこうさ、どうにもならんよ。今のとこはまあ、そんな感じなんだ。なんてフレーズも白髪が目立つようになってきた今日び、まったく様にならん。がっくり肩をおろし、蜘蛛の糸を掴むかのように、音楽を聴く。

そんな感じだった。昨年までのワールド・ミュージック熱は冷め気味に。この一年は90年代ロックかヒップホップばかり聴いていた。ほとんど救いを求めるような気持ちで音楽を求めていたような時もあって、そういう時に昔好きだったCDなんかを引っ張り出して聴いていた。でもそんな気分でいるのは良くないことだ。『ネヴァーマインド』20周年記念盤というゲロ吐きそうな代物を横目に見つつ、何か新しいものを探していた。そして、新しい音楽は、存在した。素晴らしいことだ。素晴らしい音楽が生み出された一年だった。今年は、それがかすかな救いであり、希望だ。

今年の個人的愛聴盤。

⑩Kanye West『My Beautiful Dark Twisted Fantasy』
2010年の作品なんだけど、今年の前半はほとんどこればかり聴いてた気がする。↓の30分のショートフィルムで完全にやられた。こないだ出てたジェイZとのアルバムも良かったです。


⑨Iron & Wine『Kiss Each Other Clean』
何かどんどん地味になっていっている気がするが・・・。ニック・ドレイクを思い出す物寂しいフォークは、しんみりと安酒を呷りながら深夜に聴くのに最高なのです。


⑧bon iver『bon iver』
各メディアでも話題騒然。これが現在進行形のロックの最先端なのでしょう。これもやはり私にはフォークに聴こえる。サッド・コアの成れの果てか? ともかく静かに朽ち果てていくような気分で聴きながら眠るときにお誂え向きだと思う。


⑦vintage trouble『the bomb shelter sessions』
詳細はよく分からない。でも↓のパフォーマンス見てください。最高じゃないか! 


⑥S.L.A.C.K『我時想う愛』
すごく良いと思う。最近出た『この島の上で』っていう震災をテーマにしたEPも凄く良かった。


⑤re:plus『ordinary landscape』
こういうの流行ってるらしいよ。クラブ界隈で? 全然知らないけど、視聴機で↓の曲聴いたとき鳥肌が立った。


④seun anikulapo kuti & egypt 80『from africa with fury : rise』
フェラ・クティの遺伝子を最も色濃く受け継いだ息子シェウンが父のバンド、エジプト80を率いての2枚目。びっくりした。まるで70年代のフェラのアルバムみたい。アフロ・ビートの命脈はここにある。


③住所不定無職『tokyo pop'n'poll standard no.1 from tokyo!!!』
もう最高! 言うことなし。ガールズバンドに必要なものは全部揃ってる。去年も書いたけどバンド名だけが、ちょっとどうかと思うが、もう全然気にならなくなった。近所の箱でライブやってたら観に行こうと思うのは、このバンドくらいのものです。


②sam ock『simplesteps』
この思わず殴りたくなる風貌(失礼!)の韓国系アメリカ人のサム・オック君はメリーランド大学で音楽を学ぶ若干21歳の青年。音楽の流通経路や産業構造というものが決定的に変わっていくんだなぁ・・・というのを、ここら辺のアンダー・グラウンドのヒップホップを聴いていると実感します。サム・オック君のアルバムは暖かくて、優しくて、ちょっと間抜けで、でもカッコ良くて大好き。


①tUnE yArDs『WHOKILL』
これは・・・凄い。↓のPVを観て衝撃を受け、アルバム買ったら、全曲凄かった。誰もが思い浮かべると思うけど、当然、私もスリッツを思い浮かべた。それくらいの存在感。宅録ローファイ感バリバリなのに、チープな印象は微塵も受けない壮大さ。そして歌詞もいいんだよ・・・。日本でどれだけ認知度があるのかよく知らないけど、2011年ベスト・アルバムの特集で彼女に触れていないロック雑誌があったとしたら、その雑誌は存在価値がないと断言してよいと思うね。

獺祭陋屋詩話-柴犬



最近、電車の中に貼ってある図書カードの広告・・・。
なんという愛くるしさ! 発狂しそう!
炬燵に入って、マフラーしてるとは、何だかよくわからんが完璧じゃないか!

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「所有」ということについて考えている。
頭に「グローバル化した世界における」とか「電子情報化社会における」とか付けた上での、現代社会あるいは未来社会における「所有」という概念についてだ。つまるところ、現行の「所有」という概念は更新されなければならないのではないか、という疑念がどうにも拭い去れなくなっているのだ。
我が陋屋の棚に収まりきらぬ本やCDやDVDの存在感に苦慮するたびに、今までもそれはそこはかとなく感じていたことだった。はたして我々は「作品」を「所有」出来うるものなのか? 映画を映画館で観ていて、「映画」とは「コンテンツ」ではなく「体験」なのだと感じることは多々ある。その体験は決してDVDで鑑賞しても味わうことの出来ないものだ。そしてその体験は「所有」できないものなのだ。
『文化系のためのヒップホップ入門』を読む。素晴らしい一冊である。ヒップホップとは音楽ジャンルである以上にゲームでありコンペティションであるという結論に至るのですが、当然、クリストファー・スモールの『ミュージッキング』への言及もされている。そう、音楽とは「行為」である。音楽は「聴く」ものではないのだ。だから音楽を「作品」として「所有」するということは本来、不可能なのではないのか? 
そして最近、私は「俳諧」に興味を持っている。「俳諧」は正岡子規による「俳句」によって滅んでしまった芸術だ。複数の人間が、五七五、七七、五七五・・・・・・と詠んで繋いでいく。ただ単に個人が詠むだけではない。宗匠と呼ばれる一座の進行役が詠まれた句についてあれこれ添削などしつつ練りに練って一句が完成するのである。執筆とよばれる記録役がその完成した句を記録する。このようにして繋いでいく、その場のやりとりこそ「俳諧」の妙であり、そもそも「連歌」の下世話バージョンに過ぎなかった俳諧を芸術の域にまで高めたのが松尾芭蕉その人だ。我々は「俳諧」の本質であるその場を体験することは出来ない。残された「作品」をもってそれを「俳諧」として批評することも出来ない。芭蕉自身「文台ひきおろせばすなはち反故也」と語っている。

だから、そうなのだ、私は少し疲れてしまった。孤独でなければならないと思っていた。言葉はそのようなある種の拒絶の中からしか生まれ得ないと思っていたのだ。だが結論から言えば、そのような閉塞からは何も生まれなかったのだ。そんな閉じた回路の中では、どんな言葉も「腐れ茸のように崩れてしまう」。

だから、少しだけ、心を開いてみようかな、と思う昨今なのである。
『恋の罪』を観た。
『冷たい熱帯魚』の衝撃も記憶に新しいというのに、またこんな圧倒的な映画を目の当たりにさせられて絶句するしかない。東電OL殺人事件にインスパイアされたと伝えられていたけれど、その種のドキュメンタリーチックな期待はしない方が良い。その点は『冷たい熱帯魚』における愛犬家連続殺人事件との関係よりは希薄なのだ。もっと根源的な問題を突きつけられていると感じたけれど、それを言葉にすると、途端に陳腐になってしまう。そして、この映画の中で重要なモチーフとして取り上げられる田村隆一の「帰途」という有名な詩が、まさにその感覚を明瞭に代弁しているのだ。

帰途

言葉なんかおぼえるんじゃなかった
言葉のない世界
意味が意味にならない世界に生きてたら
どんなによかったか

あなたが美しい言葉に復讐されても
そいつは ぼくとは無関係だ
きみが静かな意味に血を流したところで
そいつも無関係だ

あなたのやさしい眼のなかにある涙
きみの沈黙の舌からおちてくる痛苦
ぼくたちの世界にもし言葉がなかったら
ぼくはただそれを眺めて立ち去るだろう

あなたの涙に 果実の核ほどの意味があるか
きみの一滴の血に この世界の夕暮れの
ふるえるような夕焼けのひびきがあるか

言葉なんかおぼえるんじゃなかった
日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
ぼくはきみの血のなかにたったひとりで帰ってくる



田村隆一という現代詩の中で最も重要な詩人(現代詩文庫の第一巻はこの人だ!)のあまりにも有名なこの詩の意味を、私はこの映画を観て初めて理解した気がした。
是枝裕和、黒沢清、園子温。この三人は現代日本における最高の映画作家だと思うのだけれど、昨今の園子温監督の勢いは尋常ではない。新作である古谷実原作の『ヒミズ』を年明け早々に公開するようなのだけれど、予告編をみただけでこれがまた途轍もない傑作の予感がする。


壇一雄の証言。

ある日、太宰治、中原中也、壇一雄、草野心平が四人で飲んでいると、中原中也が太宰治に絡みだした。その際の中原中也の台詞、「何だ、おめえは。青鯖(あおさば)が空に浮かんだような顔をしやがって。全体、おめえは何の花が好きなんだい」。先輩の中也に気兼ねして困りきっていた太宰は「モ、モ、ノ、ハナ」と媚びた口調で悲しげに答える。すると中也は「ちぇっ、だからおめえは」と吐き捨てて大乱闘。中原中也・草野心平の詩人チームと太宰治・壇一雄の無頼派作家チームのタッグマッチと化す。とはいえ太宰はいつの間にやら逃げ出し、壇一雄は草野心平の髪を引っ張りまわし、店のガラスを粉々にし、店を飛び出し近くの家の陰に隠れて拾った丸太をふりかぶり詩人チームを待ち受けていた。しかし中也達は違う出口から姿をくらましていたという。
その後、ある雪の夜、太宰、中也、壇の三人で飲んだときも、やはり中也が太宰に絡みだし、また太宰は逃げ帰った。すると中原中也は、今度は太宰の家まで乗り込んでいき、「太宰は寝てる」と奥さん(小山初代だ!)が止めるのを「起こせばいいじゃねぇか」と押し入る。さすがにぶち切れた壇一雄に雪の上に放り投げられると、「わかったよ、おめえは強え」と恨めしそうに言い、娼家に泊まり(ちなみに三円のところを粘りに粘って一円にまで値切ったという・・・)、雪道を嘯くように「汚れつちまつた悲しみに 今日も小雪の降りかかる」と自らの詩を低吟して歩き、車を拾って川上徹太郎の家へ向かった。

中原中也は相当、性格の悪い無軌道な人間だったようで、夭折の天才詩人というイメージから想像も出来ない傲岸不遜ぶりである。むしろ無頼派よりも無頼なのではあるまいか。しかしそれにしても「青鯖が空に浮かんだような顔」って・・・。