日本保守党 有本香 代表代行がプレゼン(主催:ニコニコ)

(2026年2月2日 ニコニコニュース【衆院選2026 選挙公約】)

 

私たちが知らされていない4つの核心

私たちの日常は今、「深刻な人手不足」や「多文化共生」という耳当たりの良い言葉で溢れかえっている。

しかし、そのクリーンな響きの裏側で、国家の土台を揺るがしかねない巨大な欺瞞が進行していることに、どれほどの国民が気づいているだろうか。

 

日本保守党の有本香氏が指摘するように、現在の政府方針は単なる労働力不足への対応ではない。

そこには、国民に真実を伏せたまま既定路線を突き進む、姑息な官僚的レトリックと構造的な矛盾が塗り込められている。

本稿では、この「移民政策」という美名の陰に隠された4つの不都合な真実を暴いていく。

核心1:世界第4位の「隠れ移民大国」という実態

政府は「我が国は移民政策をとらない」と繰り返し強弁してきた。

しかし、この言葉自体が巧妙に仕組まれた定義の歪曲に基づいている。

政府がいう「移民」とは、入国時点から永住が約束された極めて限定的な層を指すが、これは国際標準から大きく乖離した「日本独自の勝手な定義」に過ぎない。

 

欺瞞の国際比較: 

国際的な統計基準に照らせば、日本はすでに世界第4位の「移民流入大国」へと変貌を遂げている。

 

「育成就労」へのスライド: 

これまでの「技能実習制度」は、建前上は国際貢献のための技術移転であった。

しかし、来年から施行される「育成就労」制度は、その欺瞞をさらに深めるものだ。

転職を認め、家族帯同すら可能にするこの仕組みは、一時的な滞在ではなく、事実上の「定住型移民」へのなし崩し的な転換である。

かつての「実習が終われば帰国する」という公約は、国民の目から隠されたまま、永住へのパスポートへとすり替えられたのだ。

 

「日本政府は移民の定義を歪めています。国際的な定義に則れば、日本はすでに世界第4位の移民大国になっている。政府は国民を騙しているのです」

 

核心2:人為的に作り出された「人手不足」のカラクリ

「人手不足だから外国人に頼るしかない」という論理は、今や疑う余地のない真実のように語られている。

だが、統計を冷徹に分析すれば、別の風景が見えてくる。

 

過去最高の就業者数: 

実は、現在の日本における就業者数は7,000万人を超え、歴史上最高を記録している。

これほど多くの働き手がいる中で、なぜ「人手不足」が叫ばれるのか。

 

働く意欲を削ぐ足かせ: 

最低賃金が上昇しても据え置かれたままの「103万円の壁」や、一律の制限を強いる「働き方改革」が、労働意欲のある日本人の手足を縛っている。

現に、正規・非正規合わせて約290万人もの人々が「もっと働きたい」と訴えているのだ。

 

市場メカニズムの破壊: 

特定の分野で人が足りないならば、本来は市場原理に従って賃金が上昇し、労働条件が改善されるべきである。

しかし、政府が「安い労働力」として外国人を注入し続けることで、日本人の賃金上昇は抑え込まれ、低賃金構造が固定化される。

つまり、現在の「人手不足」は、政治が意図的に作り出した不自然な欠乏状態なのである。

核心3:コストとしての移民——社会保障システム崩壊の足音

政府はかつて、外国人労働者の受け入れが「社会保障の支え手」になると喧伝した。

しかし、現実のデータは、その期待を無残に打ち砕いている。

 

国民健康保険の危機: 

日本人を含む全体の納付率が93%であるのに対し、外国人の納付率はわずか63%にとどまる。

中には半分以下の地域さえ存在する。「支え手」になるどころか、制度そのものを食いつぶす「持出過多」の要因となっているのが現実だ。

 

「ネット・マイナス」の衝撃: 

オランダで発表された研究データによれば、特定の移民層が定住した場合、その生涯における納税額(経済貢献)よりも、受給する福祉や行政サービス(社会的コスト)の方が上回るという結果が出ている。

つまり、移民は「安価な労働力」どころか、長期的には国家に巨額の負債をもたらす「高コストな存在」になり得るのだ。

目先の企業利益のために受け入れた労働力のツケは、将来の日本人の増税という形で、次世代の若者たちに重くのしかかることになる。

核心4:後戻りできない「変容」——歴史が教える国家の末路

移民問題の最も恐ろしい点は、その「非可逆性」にある。

一度、社会のルールやアイデンティティを共有しない層が一定数を超えれば、国家は二度と元の姿に戻ることはできない。

 

歴史の警鐘: 

かのローマ帝国も、武力による侵攻ではなく、ゲルマン民族の大移動という「移民問題」によって内部から変質し、崩壊へと向かった。

それは急激な侵略ではなく、「郷に従わない」人々が自らのコミュニティを拡大し、既存の国家システムを無効化していく緩やかなプロセスであった。

 

「多文化共生」という虚像: 

美しい理想論として語られる多文化共生だが、それが社会全体の幸福に寄与した成功例を、私たちは世界のどこに見出すことができるだろうか。

現実にあるのは、欧州諸国に見られるような分断と軋轢、そして社会システムの機能不全である。

 

「多文化共生でみんなが幸せになった国、社会、その成功例を是非教えて欲しい。そんなことはありません。一度仕組みが変われば、日本は元の日本に戻ることができなくなります」

結論:私たちは「綺麗事」で未来を売っていないか

移民政策を巡る議論において、私たちは「綺麗事」という名の思考停止に陥ってはならない。

タブーを恐れ、議論を避けている間に、日本の輪郭は静かに、しかし確実に壊されていく。

今、必要なのは排外主義への傾倒ではなく、日本の将来に対する冷徹な責任感に基づいた「ゼロベースの見直し」である。

場当たり的な政策によって目先の安価な労働力を買い、その代償として子孫に崩壊した社会システムを譲り渡すことは、明白な背任行為と言わざるを得ない。

 

「目先の利便性と引き換えに、私たちは子孫にどのような日本を残そうとしているのか?」

 

この問いから目を逸らし続けたとき、私たちは「日本が日本でなくなる日」を、自らの手で引き寄せた当事者となるだろう。