本日、自分自身の最大の課題である『 観 』に関して
お会いした市議の方から多くの学びを得ました。
当初は別のテーマに沿ってお話ししていたのですが、
私が伝えたい事を述べるものの「 中身が無い事 」を
正確に伝えて下さいました。その流れから『 観 』の話に
自然となり、どのように学び、得た事を活かし、
自分というものを形成していくのか。
そこからポリシーや信念が生まれ、
それが言葉となり人と話す時、
熱意や気持ちが備わって伝わるという事。
そのような事を伝えて頂いたのですが、正直に言うと
物凄く悔しい気持ちがありました。
私は私なりの考えや信念があり、伝えていける、
分かってもらえるというベースがあったからです。
しかし、会社の業務を行うのと違い、自分自身の
『 国家観 』
『 歴史観 』
『 人間観 』
といったものが無いまま
人生を過ごしてきた事がよく分かりました。
おそらく私だけでなく、会社に勤めている多くの方々も
業務に必要な書籍を読み、学びは得ていると思います。
事実、私も管理者として勤務していた際、会社規定に則り
ビジネス書を購入、部下が読めるような体制をとっていました。
しかし、上記観点に関して学ぶ事は少ないのでは無いかと思います。
少なくとも私は会社員時代に、上記『 観 』に関して
上司、部下、同僚と話した記憶はありません。
※それが良いとか、悪いとかでは無く。
別に国家観が無くとも、歴史観が無くとも
人間観は会社組織の中でも醸成されていくと思います。
しかし、いざ組織を離れた時に
何をもって今後の人生を歩むのか
どのような将来にしたいのかと考えた時、
もしくは人から聞かれた時に
『 何 』が自分にあるのか❓
どの会社で何をするのか、という事も根底には
『 日本という国家 』が存在し、仕事をする事が
日本の何かしらに寄与していると思います。
その根幹である、
日本という国家を考える事なく過ごす事が
どれだけ空虚な事なのか。
少なくとも私はそのように考えました。
先ずは正しい歴史認識を得た上で、国家観を醸成させ
最後に人間観を構築していく必要性を感じました。
色々な立場の方から学ぶ事も重要ですし、関連書籍を読み
歪曲された歴史を学び直し、何故今の日本という国が
自虐史観に染まってしまったのか。
そこを見出し、自分自身の『 観 』を
より高いものとし、
誰しもに堂々と
述べれるようにしていきます。