分隊支援火器からドアガンまで、汎用機関銃の座に居続けたM60 | ジャック天野のガンダイジェスト

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スモールアームズ(小火器)に関するエッセイです。同じアメブロで書いていたブログを継続して、不定期で更新して行きます。

第二次世界大戦、朝鮮戦争まではBAR(ブローニング自動小銃)を軽機関銃として分隊支援火器として使っていたアメリカ軍ですが、ベルト給弾ができないなどの理由から、次期軽機関銃を1940年代から模索していました。とくに、ドイツ陸軍のMG34やMG42には大きな影響を受けたと言われています。さらに、ガス圧作動方式はドイツ空軍のFG42を参考にして、生産性を高めるためにプレス工法を採用することを決定しました。こうしてサコー社が開発して、1957年に完成し、1960年に制式化されたのがM60機関銃でした。ひとりでも運用できますが、通常は給弾兵とペアで、分隊支援火器、拠点防衛機関銃、ヘリなどのドアガン、ベトナム戦争では武装高速艇にまで搭載されました。つまり、汎用機関銃として、アメリカ軍の主力機関銃となったのです。

使用弾薬はM14自動小銃などと共通の7.62mm×51、つまり7.62mmNATO弾でした。BARの箱型弾倉ではなく、金属ベルトで100発ごとの給弾ができました。発射速度は毎分500発程度と比較的遅く、また本体が8キロ以上と重いために、二脚や三脚に据えると、命中精度はかなり高かったようです。ベトナム戦争では分隊支援火器として、またドアガンとして、陸軍を中心に広く使用されました。分隊支援火器としては、個人が携行して、腰だめで発射する、という運用法もあったようです。ベトナム戦ではM16と同じように、初期段階では作動不良が問題になりました。このため、海兵隊ではM60を嫌って、相変わらずBARを使い続ける分隊が多かったようです。また、加熱した銃身を石綿の手袋をはめて交換しなくてはならないのも、M60が海兵隊などに不評だった理由のひとつです。にも関わらず、M60はその後も使い続けられ、現在でも、州兵(予備役)や特殊部隊の一部で使われているようです。

M60の後継としては、FNハースタル社のMAG(米軍名称はM240)やMINIMI(同M249)が使われています。しかし、M240は1958年開発から相当時間が経っているので、7.62mmNATO弾を使う汎用機関銃の後継、つまりM60とM240の両方を代替する機関銃もやがて開発されるでしょう。それまではM60はまだ現役として使われるようです。

M60はおもにはベトナム戦争で使われましたので、ベトナム戦争映画にはかならずと言っていいほど出てきます。「プラトーン」、「フルメタルジャケット」、「地獄の黙示録」、そしてベトナム帰還兵という設定の「ランボー」にも出てきますし、パロディー映画の「ホットショット」にも出てきます。中でも有名なのは、「地獄の黙示録」で、第1騎兵師団のヘリコプターのドアガンを乱射するシーンと、ランボーが最後に無差別発砲をするシーンではないでしょうか。


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