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☆まけうまブログ★

徒然なるままに日暮らしスマホに向かひて心に浮かぶよしなしごとを競べ馬の有様とともに書きつらねる自己満ブログ。
前半はよしなしごと、後半はレース回顧。
競馬道は一にも二にも検証の積み重ね。怠ればハズレ馬券が山と成す。

ブログネタ:1人旅に行くならどこがいい? 参加中

最近は地下鉄も来るようになったJR横浜線沿線のだいぶ鄙びた駅近くに住む、自称・天気予想士(本業は気象予報士)の家に遊びに行った時…
棚の上に置いてあるCDのジャケットにふと目が行った。

[な、なんだこれは?]

背広姿に眼鏡と帽子かぶった怪しげな爺さんが、めっちゃ満面のスマイルで蛇皮線みたいなのを構えている。

[いい絵面でしょ]

天気予想士は、ニヤリと笑う。

[聴いてみる?]

奴はおもむろにコンポにCDを入れて再生する。
ベタベタすぎるほどの沖縄音が流れ出し、しわがれたなんとも味のある歌声の島歌が流れてくる。

なんだか、もう…
つい笑い出して止まらなくなるような、妙に切なくもご陽気な雰囲気が横浜の街外れの宵闇にまったりと響き渡る。

この爺さんこそ、沖縄音楽の超大御所・登川誠仁。
アルバムのタイトルは…
[スピリチュアル ユニティ]
当時の新作だったようだ。

あの頃は音楽も含めた沖縄文化そのものが今ほど本州に浸透していなかった気がするのだが…
いやはや、このジャケット写真と流れ来る何とも味のある音楽世界のおかげで、登川誠仁という名前がこの一発で記憶の片隅にこびりついて離れなくなってしまったのは言うまでもない。


天気予想士の実家はうちの実家から歩いて50mほどで、幼稚園と小学校と中学校で通算5年ほど同じクラスだった。
ちなみに我々の幼稚園は、真宗大谷派の名刹が経営していて、奴の家から幼稚園までは寺の石垣を乗り越えれば15秒で着く。
関白豊臣秀次の側室として京に上ったのも束の間、秀次の謀叛の疑いに連座して一族ともども三条河原で処刑されてしまった最上義光の末娘・駒姫の菩提寺として建立された寺で、左甚五郎だかその弟子だかが作った[見ざる、言わざる、聞かざる(猿)]の彫刻が屋根の隅にあり、天然記念物の大銀杏の木が山門の右手に聳える。
由緒も正しいが、うちの隣の駐車場辺りまで全部この寺の所有する土地らしいから、なかなかの大物である。

そんな名刹は我々の遊び場で、屋根に軟式ボールをぶつけては、何人かでグローブでキャッチして遊んでいた。
ちなみに格子の隙間から軒下に潜り込んで、本堂の下を探検したりと、卒園して幼稚園から寺の石垣まで、敷地を全部自分らの庭のように使って遊んでいたのだから、卒園生というのは恐ろしいものだ。

それでも寺の先生たちは誰一人文句を言いに来ない。
鷹揚な時代だったのだな。

我々のせいではないだろうが、寺の屋根はやがて張り替えられ、青銅の渋い屋根色は、新品の10円玉みたいにギラギラになってしまった。

[しかし、なんつぅ趣味の悪い屋根だ!]

[これじゃしばらくボール投げらんねな]

平気でボールをぶつけてたガキのくせに、納得いかねぇなぁと渋い顔で屋根を見上げていた。

[これ時間経つと、雨とか雪で錆びて、あの色になるんだってよ]

[まぢかぁ?]

なぜかガキの世界では、誰か必ずそういう情報を無駄に仕入れてくる。
誰かが知らないことは他の誰かがたいてい知っていて、全員で諜報機関なみの情報を狭い世界で共有することになる。

無論、ガセも多発するが、これは本当だった。
しばらくの間、赤みがかった銅屋根のままだったのが、いつのまにか屋根がくすみ始め、今では幼稚園時代と同じ、青錆びた色合いの屋根に完全に戻っている。

そんな雪に埋もれた世界で生まれ育った自分にとって、沖縄というのは完全に異文化の異世界だった。

[沖縄人と喋ったよ]

婆ちゃんにそんな話をしたら…

[日本語喋るぃんだがよ?]

真顔でそう聞かれた。
昭和47年まで沖縄はアメリカに持って行かれていたのだから、婆ちゃん辺りの年代にはそういう感覚も無理からぬ所かもしれん。

妹ちゃんは職場の慰安旅行で沖縄に行った。

[日本のお菓子どか持って行がねくて大丈夫だが?]

[いや、コンビニくらい普通にあっべ!]

北国の人間にとっては、ほんの少し前までそんな感覚だったのだ。

しかし、どういう訳か我が地元の同級生どもは、どうしようもなく沖縄に惹かれる人間が多いのだ。
天気予想士もそうだし、このブログでおなじみ魚の買い付け業者も何だかいきなり蛇皮線を習い始めてみたり、会長ことIT労使闘争男もマイルが貯まったか何かでぷらっと石垣島に行ってたりする。

そいつらはみんな出羽の国を離れ、東京近郊に在住してる連中。
ストレス社会における故郷回帰の心理が、故郷と全く逆の海のある亜熱帯の風土に惹かれてゆくのが興味深い。
自分はぷらりと行ってみたいと思いつつも、奴らほどの思いはなく、どちらかと言えば、痛烈に惹かれてしまうのは琵琶湖の湖北とか、飛鳥、吉野、熊野辺りの風景。

同じ故郷を持つ同士。

けれど奥州という風土には、実は全く民族の源流が違う人々が根を下ろし棲みついているのではないか、という気がしてくる。


いつだったか、沖縄フェイバリット組に[飲むべ!]と銀座に呼び出されたことがある。
みゆき通りにある沖縄料理屋だった。
もちろん泡盛にオリオンビール、そして沖縄料理。
元カノのまゆさんのお母さんが沖縄の人だったので、よく沖縄料理を弁当箱に詰めたのを貰って食っていたものだ。
そういうあまり関係ない個人的ノスタルジーに浸りつつ…たまにはこんなのも悪くないな。
…と思っていたら、いきなり店のおじさんらしき人が蛇皮線みたいなのを持ってステージのようになった場所に上がって来た。
いきなり店のボルテージが上がり出し、演奏が始まり、歌が流れ、客は総立ちになって踊り出す。

[なんだ、なんだ?]

つられて立ち上がりつつも、唖然としたままついていけない自分を尻目に、やたら楽しげに踊り出す魚の買い付け業者。
徹頭徹尾クールな天気予想士まで、自分と苦笑いの眼を見交わして、手を振りかざし始める。

ライブハウス慣れしてる自分も飛び込むのをためらうほど、客とステージが一体になってうねっている。

ほとんど傍観者になってしまっている自分を、隣のサラリーマンのお兄さんが煽って、踊りの渦に乗せてくる。

こうなったら適当に踊り狂っちまうか!

[オジー自慢のオリオンビール!]

店の渦に合わせて合唱してるうちに、だんだん楽しくなってくる☆

あ~登川誠仁だ、これ…

大箱、小箱のライブでも、これほど一体化した空間になることはなかなかない。
…というか、ここ料理屋じゃんか★
それが沖縄音楽に満たされた店内で、見知らぬ客同士が顔を見交わして踊り狂っていると、完全に沖縄の離島の古民家の夜にトリップしたような気分になる。
夜風の匂いや波の音、まばゆい星空まで、蚊取線香の匂いと一緒に、この空間に運び込まれて来たような気がした。

ライブの空間に飛び込んで始めて、沖縄の空気に奴らが惹かれる感覚がわかるような気がした。

悪くない、うん☆


[バガージマヌパヌス わが島のはなし]を電車の中で読んだのをいつかのブログに書いたけど…
それはみかん畑に陽光降り注ぐ東海道線湯河原辺りの風景の中だった。
作品の世界に合っているようで、何かがズレている。
紛れもなく湯河原は神奈川で、そして内地で…有史以来、日本でなかったことのない風景なのだ。

沖縄で古武道をやっていた大学の先輩は、すれ違うたびに挨拶代わりに必ず技をかけて…

[ぎぇえ~ッ!ギブ、ギブ!]

と叫ぶまで締め上げて去っていった。
まぁ何で毎回自分なのか…その理由は未だにさっぱりわからないのだが。

沖縄を理解しようとしても、きっと永遠に手が届かない何かがある。
文化も、流れる血も、何もかもがまるで違う。
同じ日本という括りにはどうやっても入らない…沖縄は沖縄なのだ。
この本も中途半端な理解を拒絶するような地点で書かれている小説だった。
そんな訳で、あの日電車の中で綴じて以来、まだこの本の続きを開いていない。

もっと沖縄を[感じる]環境で読みたくなる本、ある意味稀有な話だけど★


登川誠仁の[スピリチュアル ユニティ]をAmazonで探したら、廃盤になっていた。
日本の時間の流れは少しばかり早すぎやしませんかねぇ。
マーケットプレイスよりオークションで探して、1000円で落札した。

包装をほどくと、例の背広姿に帽子の何とも言えない味わいのジャケットが飛び出して来て、思わずニヤリとする。

そして聴いていると、眠くなって寝てしまう。

蒼い海の傍でうたたねでもするような感じで…

だから、このブログを書きながら始めて全部聴き通した。

うん。

そろそろ[バガージマヌパヌス]の続きを読んでみるかな。

もう少し深く沖縄を[感じられる]かもしれないね。



タッチミーノットのことは結構このブログに書いたけど…
陣営が非難し続けていた三浦のケツからの騎乗を、擁護する書き方だった。
中山の七夕賞を間近に見ていて、はぁ~また同じことやってるよ、と思ってはいたけど…
勝ったのがイタリアンレッドだから、後で思えば相手が悪い。

[むしろ行かせてもフットワークがバラバラになって伸びないのではないか?]

そう思っていた。

しかし、長期休養を挟んでオープン特別から乗り替わった典さんは、終始この馬を中団よりも前目に位置させる競馬をし続けた。
そして結果が出ようと出まいと、絶対にそのスタイルを変えなかった。

昔、メジロブライトに急かす競馬は合わない、と幹夫さんはクラシック戦線でずっと後ろから行って、届かず無冠に終わった。
WSJSに出場する幹夫さんの代打で、メジロブライトと一緒に中山にやって来たのは名手河内洋。
河内さんは何のためらいもなくメジロブライトを好位につけて3600で圧勝させてしまった。

[この馬、もっと前行かせても平気やぞ]

河内さんの騎乗には最初から確信があったとしか思えない。
名手松永幹夫にしたら、これほどのショックはなかっただろう。
メジロブライトは、その瞬間から河内騎手のお手馬になってしまったのだ。


松永幹夫の同期は横山典弘に熊沢重文。
大ベテランは今も、それぞれのフィールドで第一線を張っている。

そして、典さんはほとんど確信的にタッチミーノットをずっと前に行かせ続けていた…
典さんだけに、この騎乗におそらく間違いはないのだろう。
といっても、タッチミーノットを先行馬にしようと考えた訳ではなさそうだ。
メジロブライトと同じで、この馬の持ち味はあくまで差し。
典さんは、前半を前で流れに乗せつつ、その上で脚を溜める競馬を覚え込ませることで、三浦のように展開に左右されることなく、確実に末を引き出せる脚質に、レースを通して作り変えていったのだろう。
そしていつか必ずどこかでこの騎乗の結果を出してくるはずだった。


金杯でも、典さんは先団の直後6番手のイン辺りにスムーズにつけていた。

テンに位置を取って、追走に脚を使わせずに溜め込む…ずっと典さんが教え込んで来たいつもの競馬。

唯一、長期休養明けを叩いた芦毛のテイエムアンコールがすぐ外にいたのが、何となく不気味だったけど、それも杞憂。

典さんの確信がついに直線で炸裂した瞬間、もう2着以下がどうでもよくなるほどゾクッとした。

やっぱりスゴイ☆
横山典弘の真髄を見せつけられた新春初重賞。

この人にかかったら、自分の見る眼も砂糖菓子の弾丸みたいに甘い。

すんませんでした★


そして三浦の騎乗を非難していた柴崎調教師。
厩舎としては二流と三流の中間くらいだろうけど…
何と言ってもギャロップダイナの主戦、社台の勝負服を纏って海外まで行った騎手だもんな。
その人をして、やはり三浦の騎乗は眼鏡に敵っていなかったということなのだろうね。

[この馬をオープン馬にできなかったら調教師辞めるしかないわ]

柴崎先生、その位息巻いてたらしいけど…
この時代に、厩舎の成績を問わず、ギャロップダイナの柴崎勇と社台の絆はずっと切れずに繋がっていたんだな…と思うと何だかちょっと楽しくなる。

祝・タッチミーノット重賞初制覇♪