早稲田アイスホッケー BLOG
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『引退ブログ Vol.4 #27 清水朝陽』(武修館高等学校出身)

ブログをご覧の皆様こんにちは、今年度主将を務めました背番号27番の清水朝陽と申します。
長いようで短かったような、短いようで長かったような大学生活が先日の卒業式をもって幕を下ろしました。今思えば入学当初抱いていた大学生活像とは重なるものばかりではありませんでしたが、確かに私自身が歩んだ道のりであり、何にも変えられない貴重な時間を過ごすことができました。

長くなってしまいますが、私が弊校に入るまでの経緯と大学生活での思い出を綴りたいと思います。

私の早稲田との出会いは、幼い頃地元で行われたインカレを見に行ったときに遡ります。その大会で優勝したチームであり、地元の大先輩が活躍されているチームということで臙脂のユニフォームに幼いながら強く憧れを抱いたことを覚えています。しかしながら、各進路選択で早稲田への受験を考えましたが、ホッケーを高いレベルでやりたい思いが勝り、北海道に残ることを選びました。小学校の途中から転校という形で始まった北海道での生活は私の想像の何十倍も充実したものになりました。ホッケーに打ち込めたこと、今でも親友と呼べる友達と出会えたこと、久しぶりに会ったにも関わらず家族のように迎えてくれる方々と出会えたことなど。私の今を形作ってくれた環境と、素敵な方々との出会いがありました。


そして長年の思いが身を結び、憧れの早稲田大学に入学することができました。初年次は大学生活でついにアルバイトというものを経験し、社会の一部になった実感を持ちます。早朝の練習後すぐにシャワーと朝食を済ませ、満員電車に揺られて1限に行き3限で帰宅する。学校がない日にはアルバイトをしたり友人と遊んだりとそんな毎日でした。私の思い描く体育会の大学生像そのものです。部活動では黒川さんがチームに加入する以前のダソムさんのメニューがハードなものも多く、かなり大変な思いをしました。持ち物の連絡係をしていましたが、ハードなメニューの日は持ち物である程度察しがつくため他の誰よりも先に気持ちの準備を始めていました。

2年目からついにゼミの活動が始まりました。体育会の仲間がおらず少し肩身がせまい思いでスタートを切りました。しかし、情に溢れる先輩と同期のおかげで私の学生生活に彩りが加わります。
部活動では、秋リーグで東洋を倒したあの試合は私の競技人生の中でもかなり印象的な試合です。アジアリーガーを多く輩出する強豪校に自分たちでも勝てると結果で証明した瞬間でした。

3年目1番お世話になった方々を最後勝利で送り出せなかったことが、この4年間で最大の後悔かもしれません。多くの時間を共に過ごさせていただいた1学年上の先輩方が、チームのために時間を割き、取り組む姿を見て自分も見習わなくてはと思ったのと同時に最高学年に近づいている実感を持たせてくれました。

そして最後の年です。結果として夏以外目標を達成することはできませんでしたが、私たちが目指した早稲田の在り方は間違っていないと自信を持って言える一年だったと思います。しかしそれに縛られることなく後輩たちの理想のチームを自分たちの手で作って欲しいと思います。本来であれば4年目になるにつれて文章量が増え、それを楽しみにしてくれた方もいると思うのですが、書きはじめたら止まらなそうなのでこれくらいにしたいと思います。

この1年間で、のあの直向きさとたくみの包容力とまいかの献身性がチームに良い影響をどれだけ与えたかは言わずもがなだと思います。今年度のCommitのスローガンに続く挑戦、責任、犠牲の3つを1番体現していたのは3人だと私が証言します。そんな3人の同期でいれたことを本当に嬉しく思います。
それぞれ個人に書きたいところだけど長くなりそうなので、直接話す機会にゆっくりと語りたいと思います。



これからの早稲田を担う後輩たちへ
まずは4年生についてきてくれてありがとう。
2.3年生はそれぞれ被った2.3年、こんな先輩でも支えてくれて本当にありがとう。
特に今年はミーティングの量も増えたし戸惑うことも多かったと思うけれど最後までやり切ってくれて本当に感謝しています。
素直でホッケーに対して真摯に向き合っている姿は自分もやらなきゃと思わせてくれることが多く、みんなにとても助けられました。個人的にみんなに残せたものがあるかはわからないけれども、それでも1年間このチームの主将ができて幸せでした。これからの競技生活でも楽しいことばかりではなく、つらい時ややらなければいけない時が沢山あると思います。最後に笑うために一つ一つを大切に積み上げてください。口を揃えて四年生のためにと取り組んでくれたみんなならどの代になっても、どんな壁にぶつかろうとも仲間と乗り越えられると信じています。
最後に私の恩師から昔学んだある言葉を後輩たちに送りたいと思います。
"リーダーシップとは、仲間に対して執るものであるが同じく自分に対しても執るものである"
この言葉は私が今年度特に大切にしてきた言葉です。仲間を鼓舞し、先頭に立ってみんなを引っ張る存在であると同時に、自分自身を鼓舞し辛いメニューの時、試合で戦わなきゃいけない時、今やる・逃げるな・自分ならできると自分自身を勇気づけることもまたリーダーシップである。そういった言葉です。チームを組織する上で四年生が中心になると思いますが、一人一人が主役になることができるのが我々の強みです。自信を持ってこれからも頑張ってください。応援してます!



両親へ
まずはアイスホッケーをやらせてくれて、大学まで行かせてくれてありがとうございます。兄弟全員がホッケーで忙しない毎日だったと思いますがほぼ毎試合応援に来てくれ、遠征でも応援に駆けつけてくれ、とても励みになりました。競技での思い出を挙げたらきりがありませんが、特に北海道での中高時代は母親のサポートがなければ満足のいくものにはならなかったと思いますし、いつも陰ながら支えてくれた父にも感謝してもしきれません。本当にありがとうございました。

結びになりますが、先輩、同期、後輩、監督・コーチをはじめこれまで私に携わっていただき、支えていただいた皆様にこの場をお借りして深く感謝申し上げます。早稲田のこの部で活動できて幸せでした。ありがとうございました!

今後とも早稲田大学スケート部ホッケー部門への熱いご声援を何卒よろしくお願いいたします!




『引退ブログ Vol.3 #26 共田野安』(George Eliot Secondary出身)

早稲田大学アイスホッケー部元副将の共田野安です。
拓未と真衣伽に続いて、自分も引退ブログを書くことになりました。正直、二人みたいに感動で泣かせられる自信は全くありません。しかも日本語もまだまだなので、どうかお手柔らかにお願いします。


ホッケー人生について
まずは大学4年間の前に、自分のホッケー人生について少し振り返ります。自分がアイスホッケーを始めたのは、父の影響でした。父はカナダ人で、本当にホッケーが大好きな人で、気づけば3歳の頃にはスケートを履いていました。長野のやまびこバスターズに入り、そこからずっとホッケー中心の生活でした。家でも父と練習して、リンクを作ってもらったり、毎日ホッケーに囲まれて育ちました。そして中学2年生の時、カナダに行くことを決めました。ホッケーをやりたいという気持ちもありましたが、それ以上に「カナダに行きたい」という気持ちが強かったと思います。(あと高校受験したくないって気持ちもありました笑)

カナダでは高校に通いながらホッケーアカデミーで3年間プレーし、その後ジュニアリーグに進みました。しかし、そのジュニアの1年間は、自分の人生で一番つらい時期でした。自分がホッケーが好きな理由は仲間と一緒にいるのが楽しいからでした。小・中学校でもチームメートに恵まれ、カナダでもチームの一員として頑張ることが楽しかったです。しかし、ジュニアでは、その仲間が全員競争相手になり、少しでも結果が出なければカットされる世界でした。常に「残れるかどうか」というプレッシャーの中でプレーしていく中、ホッケーがどんどん嫌いになっていきました。なんでやってるのかもわからなくなり、ホッケーをやめたいと思うようになりました。さらに追い討ちをかけるようにシーズンが終わりには試合中にパックが歯に当たり、前歯を4本折りました。その時は本当に「もう人生終わった」と思いました。ホッケーも嫌い、歯もない、何のためにやってるのかもわからない。あの時は、本気でホッケーをやめようと思っていました。


早稲田との出会い
そんな時に、早稲田の存在が出てきました。最初は正直、「受けても絶対受からない」と思いながら受験しました。書類も母にかなり頼って、写真も家で適当に撮ったものを送るくらいの状態でした。シーズンが終わり、カナダに戻って大学を探していた時、早稲田からメールが来ました。そこに「PASS」と書いてあって、最初はそれが合格なのか不合格なのかすらわかりませんでした。でもその後に合格の連絡が来て、「あ、俺なんかが早稲田入れるんだ」と思ったのが始まりでした。ただ、その時の自分にはホッケーを続ける気は全くありませんでした。日本に戻るか、カナダに残るかも迷っていたし、日本語に対しても不安があるような状態でした。しかし、日本に戻りたい気持ちと、東京で生活したい気持ちの一心で早稲田に行くことを決断しました。そしてタイミングで、父に「もうホッケーはやりたくない」と伝えたものの、「ホッケー部に入らないなら早稲田には行かせない」と言われてしまい非常に困惑しました。当時の自分は、ホッケー自体ももう楽しいと思えなくなっており、そのうえ、歯を折ってしまったことで7回の手術を受けることになり、親にはものすごく大きな負担をかけてしまっている状況でした。そんな中で、さらに大学でも部活を続けるとなれば、またお金がかかる。これ以上親に負担をかけたくないという気持ちがずっとあり、本当に悩んでいました。それでもホッケーを続けるべきなのか。何度も何度も自問自答を繰り返しました。そんな中で、お母さんがかけてくれた言葉は今でも忘れられません。「ホッケーをやらせちゃってごめんね。ホッケー中心の高校生活になってしまって、普通の高校生活を送らせてあげられなくてごめんね。歯も折らせちゃってごめんね」その言葉を聞いた時、涙が止まりませんでした。同時に、ここまで自分のために支えてくれた親に、どれだけ心配と負担をかけてきたのかを改めて強く感じ、だからこそ、これまでの親の努力を絶対に無駄にしてはいけない思い直しました。そして最終的に、自分は早稲田のアイスホッケー部に入ることになりました。正直に言えば、その時は前向きな決断だったわけではありません。でも、あの時のその決断が、今の自分につながっているのだと思います。


早稲田での最初の3年間
2022年9月、早稲田大学に入学しました。最初は本当に不安だらけでした。日本語もちゃんと話せるわけではなかったし、寮に入ってちゃんとやっていけるのか、チームのみんなとコミュニケーションを取れるのか、本当に心配でした。でも、入ってすぐに真衣伽、拓未、朝陽に会って、元々知り合いだった先輩方もいて、少しずつこの環境に馴染んでいくことができました。最初は緊張してばかりで、何を話せばいいのかもわからないし、日本語もなかなか出てこないし、正直かなりぎこちなかったと思います。それでもみんなが自然に受け入れてくれて、本当にありがたかったです。特に自分にとって大きかったのは、カナダでも日本でもずっと家族と住んでいた中で、初めて寮生活をして、チームのみんなと同じ空間で生活したことでした。最初は慣れないことばかりでしたが、気づけばその生活がすごく楽しくて、みんなが本当の家族のような存在になっていました。ホッケーをする時間だけじゃなくて、寮で過ごす何気ない時間も全部含めて、自分にとってはすごく大きなものでした。ジュニアの時に失っていた、「仲間と一緒に戦うホッケー」を、早稲田でもう一度取り戻すことができたのも、この最初の3年間だったと思います。

自分はもともと、勝ち負けだけでホッケーをやってきたわけではありません。もちろん勝ちたい気持ちはあるけれど、それ以上に、仲間と一緒に頑張れること、一緒にふざけたり、笑ったり、同じ目標に向かって進んでいけることが本当に好きで、その気持ちだけでここまでホッケーを続けてきました。だからこそ、早稲田のこの環境は、自分にとって本当に特別なものでした。勝ち負けだけじゃなくて、純粋に「ホッケーって楽しいな」と思わせてもらえたし、こんなに楽しい環境でホッケーをやらせてもらえたことに、心から感謝しています。今振り返ると、先輩にとって自分は本当に面倒くさくて、うるさくて、ばかな後輩だったと思います。変なこともたくさん言ったし、先輩方にもたくさん迷惑をかけたと思います。それでも見捨てずに、仲良くしてくれて、受け入れてくれて、本当にありがとうございました。

そして、そんなふうに楽しい時間を過ごしてきたからこそ、最後のインカレで毎年先輩方を勝たせてあげられなかったことは、本当に悔しかったです。先輩たちが本気で頑張っている姿を見てきたからこそ、自分も「この先輩たちに勝って終わってほしい」「いい形で終わらせてあげたい」という気持ちはどんどん強くなっていき、「負け」と言う形で先輩たちが引退していくのを見るのは本当に悲しかったです。インカレで負けた後のMTG、そして早慶戦後のカラオケで毎年泣き、あの時間は、何度経験してもつらいものでした。でも、そのつらさも含めて、この3年間は本当にかけがえのない時間でした。部活や就活で忙しくて、先輩方と会える時間はそこまで多くないですが、それでも自分の中では本当に家族のような存在だと思っています。これから先もまた会いたいでせし、一生続いていく関係でいたいです。そう思える先輩方に出会えたことが、自分にとって早稲田で得た一番大きな財産のひとつだと思います。

4年生での変化
そして4年生になって、自分は大きく変わりました。正確に言えば、変わったのは自分だけではなく、同期も含めてチーム全体だったと思います。一番大きかったのは、3年生の早慶戦で負けたことです。52年ぶりの敗戦。あの悔しさは今でも忘れられません。先輩たちをあの形で終わらせてしまったことが本当に申し訳なかったし、悔しかったです。だからこそ、次の1年は絶対に中途半端にはしたくないと思いました。4年生になった時、人数は少なくて、頼れる先輩ももういない。自分たちがやらなければいけない立場になりました。それまでの3年間は、先輩についていく立場だったけれど、4年生では自分たちが引っ張る側になりました。そこで初めて、自分たちの代でチームを背負うということの重さを本気で感じました。だからこそ、自分も変わらなければならないと思い、トレーニングへの向き合い方、普段の姿勢、チームへの関わり方、表情ひとつまで、自分なりに全部変えるつもりでやってきました。でも、改めてこの1年間を振り返って思うのは、自分だけが変わったわけではなく、4年生全員が本当に変わった1年だったと言うことです。チームに対する気持ちが変わって、4年生全員が本気でこのチームと向き合えた1年だったと思います。

もちろん簡単なことばかりではありませんでした。話し合いもたくさんしたし、ぶつかることもありました。でも、それでも逃げずに、一緒に考えて、一緒に悩んで、一緒に作ってきた1年でした。あの早慶戦の悔しさがあったからこそ、「今年は本気で頑張りたい」と思えたし、その気持ちに同期が一緒に向き合ってくれて、本当にありがたかったです。だからこそ、同期には本当に感謝しています。今年は人数も少なくて、特に3年生、4年生が少ないこともあって、外からは「弱い代」と思われていたと思います。自分たち自身も正直、不安はありました。でも、その中でここまでやってこられたことを、本当に誇りに思っています。同期のことは心から誇りに思うし、このメンバーで4年生をやれたことを本当に嬉しく思っています。
そして、後輩たちにも本当に感謝しています。今年はチームのやり方もかなり変えたし、求めることも増えたと思います。ミーティングも増えたし、練習への向き合い方も変わったし、きついこともたくさんあったと思います。それでもその変化についてきてくれて、本当にありがとうと心の底から思っています。実際に、この1年で後輩たちはみんな本当に変わったし、上手くなったし、成長したと感じています。自分たち4年生だけでここまで来られたわけではなくて、後輩たちがその変化を受け入れて、本気でついてきてくれたからこそ、このチームはここまで来られました。

結果としては、春9位、夏4位、秋5位、インカレベスト8位。目標だったインカレ優勝には届きませんでした。でも、本当に悔いはありません。この1年間、自分たちなりにやれることは全部やったし、積み上げてきたものは全部出し切れたと思っています。それだけは胸を張って言えます。勝てなかった悔しさはもちろんあります。でもそれ以上に、この1年間を同期、後輩、チーム全員で本気でやり切れたこと、そのこと自体が自分にとってすごく大きいです。だからこそ、結果だけではなく、この1年間の過程を自分は誇りに思っています。


後輩へ
正直、自分はすごく頼れる先輩だったかと言われると、たぶん全然そんなことはなかったと思います。ふざけることも多かったし、こちょこちょしたり、うるさかったり、めんどくさい4年生だなって思われていたと思います。それでも最後までついてきてくれて、本当にありがとう。そんな自分でも、みんなと過ごしたこの1年は本当に楽しかったし、みんなが後輩で良かったと心から思っています。練習の時も、試合の時も、普段の何気ない時間も含めて、みんなと一緒に過ごせたことは自分にとってすごく大きかったです。本当はインカレで勝って、もっといい形で終わりたかったし、みんなにもっといい景色を見せたかったです。そこは今でも悔しいです。でも、それでもこのメンバーで最後までやれたことを、自分はすごく嬉しく思っています。みんなのことは本当に家族みたいな存在だと思っています。だからこれからも遠慮せずに連絡してほしいし、就活が落ち着いたらぜひ飲みにも誘ってください。普通に会いたいです。これからは、自分たちの代で、自分たちのチームを作っていってください。周りに何を言われても、自分たちで考えて、自分たちが信じるやり方で進んでいってほしいです。みんななら絶対に大丈夫だと思っています。本当にありがとう。これからもずっと応援しています。


同期へ

たくお
たくお、大好きだよ❤️たくみとは部屋も一緒で、たぶん同期の中で一番長い時間を過ごしたと思います。まず最初に言いたいのは、こんなにめんどくさくてうるさいルームメイトでごめんねってことです笑。イライラする時も絶対あったと思うし、喧嘩もしたけど、それでもここまで一緒にいてくれて本当にありがとう。たくみには、もうひとつちゃんと謝っておきたいことがあります。部活が拓未にとってつらい時もたくさんあったと思うし、プレイヤーではない立場で苦しいこともたくさんあったと思う。でも、自分はそれに毎回は気づけなかったし、そばにいてあげられなかった時もあったと思っています。拓未はあまり表に出さない人で、自分の中で抱え込むところもあるからこそ、そこにもっと気づいてあげられたらよかったなと思っています。本当にごめん。それでも、この4年間ホッケー辞めたい気持ちやプレイヤーじゃない立場もあったけどここまで頑張ってくれて、本当にありがとう。拓未がいたから助けられたことは本当にたくさんあったし、このチームにとっても、自分たち同期にとっても、拓未の存在はめちゃくちゃ大きかったです。これから部長として大変なこともいっぱいあると思うし、きついこともたくさんあると思う。でも、絶対に一人で抱えすぎないでほしい。拓未が立派な社会人になることはもうわかってるけど、だからこそ苦しい時はちゃんと言ってほしい。相談でも、愚痴でも、何でもいいからいつでも連絡してね。同期LINEにもたまにはちゃんと顔出してね。本当にありがとう。これからもよろしく。

マイカチン
マイカチーーーーーーン❤️ 真衣伽は本当に仕事ができて、面倒見も良くて、まさにチームのお母さんみたいな存在でした。俺がうるさくて、ちょっかい出して、特にベトナムでは結構頭にきてた時もあったと思うけど、それでも4年間ちゃんと反応してくれてありがとう笑。真衣伽には、この4年間本当にお世話になりすぎました。マネージャーとして見えないところでもいっぱい支えてくれて、選手と同じかそれ以上にチームのことを考えて動いてくれていたと思います。そういう真衣伽の存在に、何回も助けられました。真衣伽がいたから、この4年間がちゃんと回っていた場面は本当に多かったと思うし、同期として一緒にいてくれたことをすごくありがたく思っています。これからもどうせ飲みに行くと思うし、試合も一緒に見に行きたいし、同期でもいっぱい集まろうね。これから社会人になっても、真衣伽は絶対にすごい人になると思います。だから頑張って、そして俺のこと奢ってね。あと、これからはアイスホッケーじゃなくて恋愛にも一生懸命になってください。絶対に運命の人に出会えると思うし、占い師が言ってたこともきっと叶うと思うので、そこも含めて真衣伽らしく頑張ってください。本当にありがとう。これからもよろしく。

あーちゃん
あーちゃん、可愛いー❤️朝陽はまず、この1年間主将を務めてくれて本当にありがとう。俺らは喧嘩することもあったし、4年生になる前なんて、「俺がこのままうるさい感じで4年生になったら舐められる」みたいなことでぶつかったこともあったと思う。でも、それも全部、朝陽が本気でチームのことを考えてくれていたからだと思っています。いつも先頭に立って、強くキャプテンとしてチームを引っ張ってくれて、本当にありがとう。朝陽が主将としてしっかり立ってくれていたからこそ、自分も副将としてここまでやってこられたし、4年生になってからも自分らしく、思いきりやることができました。朝陽がいなかったら、絶対にここまで続けてこられなかったと思います。普段はあまり感情を見せないし、強い主将っていう印象があるけど、その反面で、本当にチーム思いで、周りのことをちゃんと見ていて、いつも他の人のことを気にかけている朝陽のことを、自分は本当にすごいと思っているし、大好きです。これから社会人になって、日本のどこに行くのかはまだわからないけど、朝陽は絶対に会社でもキャプテンみたいな存在になると思います。でも、俺らのことは忘れないでね。東京じゃなかったらたまには東京にも戻ってきて、またみんなで遊ぼうね。本当にありがとう。これからもよろしく。

家族へ

両親へ
本当にありがとうございました。ここまでホッケーを続けさせてくれて、ずっと支えてくれて、本当に感謝しています。歯も折ったし、たくさん迷惑もかけました。でも、後悔はひとつもありません。本当に楽しいホッケー人生でしたし、自分にとってこのホッケー人生は一生の宝物です。
お父さんへ。
お父さんとはホッケーのことで何度もぶつかって、言い合いになったこともたくさんありました。正直、何回ももう辞めたいと思ったし、お父さんのせいで続けてたとこもありました。でも今になって振り返ると、あの時お父さんが自分を押してでもホッケーを続けさせてくれたことに、本当に感謝しています。ここまで支えてくれて、ホッケーをやらせてくれて、本当にありがとう。
お母さんへ。
今までたくさん心配をかけてごめんね。怪我をした時も、気持ちが落ちていた時も、ホッケーが楽しくないと感じた時も、いろいろ相談してしまって、お母さんには心配ばかりかけてきた気がします。でも、もう大丈夫です。アイスホッケーは本当に楽しかったし、ここまでやってきてよかったと心から思っています。これからは就活も頑張って、ちゃんと社会人になるので、少し安心してください。最近は海外にいてなかなか会えていないけど、たまにはちゃんと会いに行くので、これからもよろしくお願いします。

妹へ。
今まで本当にごめん。自分のホッケーのせいで我慢させたこともたくさんあったと思うし、家族の予定も自分中心になってしまうことが多かったと思います。それでもここまでいてくれて、本当にありがとう。セラは、自分よりちゃんとしていて、優しくて、頭も良くて、面白くて、めんどくさくなくて、うるさくもなくて、本当にすごい妹だと思っています。今は大学生活も始まって、きっといろいろ頑張っていると思うけど、セラはこれからもっとすごいことをしていく人だと思っています。もうこれからは、自分のホッケーも、家族のことも、セラのやりたいことを止めるものは何もないので、自分の人生を思いきり全力で生きてください。いつもめんどくさい兄でごめん。でも、たまには日本にも遊びに来てね。

最後になりますが、この4年間、また、アイスホッケー人生は、自分にとって一生忘れない時間です。仲間と出会えて、本気で何かに向き合えて、本当に幸せでした。今まで支えてくださった皆さん、本当にありがとうございました。




『引退ブログ Vol.2 AS 飯見拓未』(早稲田実業学校出身)

2022年3月7日午前2時55分


まだ高校の卒業式も終えていない私は、この部活での初練習を迎えようをしていました。これから始まる4年間の生活に希望を抱き、、


なんてことはなくこれから始まる地獄に絶望感を抱きつつ、初日から「やめたい」というワードだけが浮かんできます。

ホッケーをやめたら、ホッケーをやめたら、、

そんな淡い希望だけを胸に私の大学生活はスタートしました。


思えば、アイスホッケーにそこまで熱意はありませんでした。一番の理由はもちろん私はアイスホッケーが下手だからです。そしてアイスホッケーが好きではありません。むしろ嫌いです。特に私のGKというポジションに理由があります。一失点の重みやミスした時のあの背中に寒気が走るような、そんな感覚が大嫌いでした。

何よりGKのうまさはチームの戦力に直結します。そうです。下手な私はこれまでのホッケー人生で8割の試合は負けていると思います。好きになる理由がないですね。笑

この17年間のうち数回は本気で部活を辞めさせてほしいと両親に泣きながらお願いしましたが、あと数年あと数年と騙し騙し続けてきました。


中学では同期に恵まれホッケーより、仲間といる時間が好きで乗り越えられた気がします。

高校では同期が私以外全員、初心者という稀有な環境の中で、初めてながらもその直向きに努力する背中に、何度も勇気をもらい無事に3年間をまっとうできました。


これでようやくホッケーはやめられる。そう考えてたある日、体育会からのお誘いを受けます。上手であればきっとホッケーをやることは楽しかったでしょう。しかし残念ながら私にそこまでの技術も体格もモチベーションも全てありませんでした。2秒でやるわけないと判断しました。


しかし体育会側にも並々ならぬ事情がありました。私が入部しないと、GKが一人きりになってしまうのです。GKが一人というのは練習もままならず、試合ですら常に安定しません。どうしてここまで実力のない自分が勧誘を受けてるかわかりませんでしたが、今思えばコーチ陣も練習でGK一人は効率が落ちるから、もし怪我をしたら大変だから誘っていたんだと思います。いわゆる練習要員ってやつですね。結局誘いを断りきれなかった私は入部を承諾してしまいました。


一年生。毎朝私が3時に起きて練習する中、同級生は無事に迎えたキャンパスライフを謳歌しています。寮でもうまく馴染めず、ホッケーにもやる気のない自分は早くやめて楽しいことがしたいと願う日々でした。


そんな中チームが秋リーグを迎えようとしていた頃、唯一のGK千葉さんが怪我をしてしまいました。

秋リーグ全試合に出場することになってしまった私は、30数年ぶりの6位と早稲田として恥ずかしい結果を残してしまいました。誰が見ても自分に非があったのは間違いなかったです。もちろんどうにかしてくれよ飯見、GKのお前がそんなんじゃ勝てるわけないだろと思われていたことも、GKが飯見じゃそりゃ勝てるわけないよな、、そう諦めの姿勢で思われていたことも知ってます。けどこちらの言い分としてこっちは実力ないの前提でそれでも練習要員として呼ばれたわけだからそりゃ勝てるわけないだろ!と自分に言い聞かせないとやってられませんでした。こうなったら早くやめてやる。ついに勇気を出し監督コーチに相談する中、一年最後の大会、インカレが迫ってました。

インカレは少し違いました。四年生の集大成でありいろんな感情が重なり合ったあの瞬間、全員が試合に勝つことを考えてる中、自分だけは辞めることを考えていた。それが恥ずかしくて、何よりあんなにかっこいい姿勢を見せてくれた四年生に自分はなんて態度で試合に臨んでいたんだろうとそんな気持ちでいっぱいでした。このままでは本当に迷惑をかけたままだと、もう少しだけ続けてみることを決意します。


2年目を迎え、練習にも寮にも慣れてきた私は、だんだんと居心地の良さを覚え始めます。

それまで「どうしてこんなに自分だけ辛いんだろうか。どうしてみんな助けてくれないんだろう、見てくれないんだろう」そう卑屈すぎる態度をしていた私でしたが、実は周りを見ていなかった、見ようとしていなかったのは私自身であることを思い知らされます。

同期はもちろん特に先輩である千葉さんや金井神さん、林かんたさんなどがここまで面倒を見て、優しい言葉をかけてくれていたことに今更ながら気づかされたのです。

一年の秋リーグでも何やってんだよとチームメイトは自分を責めてくる敵だと思っていましたが、ともに戦う仲間なんだと、チームメイトとは素晴らしいものなんだと思うようになりました。

それから自分の中で何か恩返しはできないか。ホッケーとしての実力ない自分だけどどんな形でも何かお礼がしたい。何かが明らかに変わり始めていました。


それまで自分のことを練習要員としてしか考えてなかった自分は、初めて試合に出てチームに貢献したいと思うようになり、その日から自分なりに努力するようになりました。大嫌いだった走りも筋トレも自分なりに頑張ったつもりです。初めて陸トレでチーム上位に入った時は忘れもしません。相変わらずホッケーは上手くなりませんでしたが、それでもチームに何か貢献できないか自分なりに探し行動することは気持ちが良かったです。


そんな三年生の秋でした。鮮明に覚えてるのはvs中央大学、試合前のアップ中だったこと。試合前余計なことでチームに心配をかけたくないと必死で隠しましたが、その瞬間頭が真っ白になり、倒れそうになるのを我慢していました。


実は私は生まれつき心内膜症欠損症という病気を持っています。それまで何回か症状が出てことはありましたがそれでも常人と変わらない運動ができていました。もちろんハンデはありましたが走りが遅いとかは純粋に自分の努力不足です。違和感を覚え病院に向かい、様々な検査を終え入院をしたあの日。先生は言いました「もうホッケーすることはできないよ。」先生曰く私には新たに心筋症の疑いがあり、これ以上スポーツをするのは危険だというのです。私は安心しました。もうホッケーしなくて済む!辞めることは自分にとっての悲願。こんなに嬉しいことはありません。それなのにあの日、病院の枕はびちょびちょに濡れていました。


嬉しいはずなのに、こんなに悲しい自分で自分がわかりません。

中学の頃から嫌というほど走ったあの時間も、毎朝起きて練習したあの時間も、ホッケーのために使ったこの16年間。

まだ何も残せてないことに気づきました。こんだけ時間を費やしてまだ親に先輩に活躍してる姿を見せれてない。チームにも恩返しできてない。

これまでの全てを否定されて気がして今までやってきたことはなんだったのかよくわからなくなりました。それでも捨てることはできないくらいこのアイスホッケー部は大切な場所になっていました。同期も後輩たちも見捨てることはできません。ホッケーできなくてもチームをサポートする。気づけば今までやってきたことではありませんか。最後の一年アナリストとしてチームを引っ張ることを決意します。


最後の一年。50年ぶりに負けた早慶戦を糧に、二度とこんな思いを後輩にはさせたくない。笑顔でこの一年を締めくくる。私たち同期の頭にはこれしかありません。この一年の同期の活躍は目まぐるしかったです。MGを束ねるまいか。DFを牽引するのあ。FWをまとめるあさひ。全てのバランスが完璧でした。

ここで一つの疑問が生まれます。じゃあ俺は何をすればいい?

四年生としてアナリストなんていう今までもなかったポジションとして何ができるのだろうか。悩みに悩みましたが、思い出したのはどんな時でもチームを想って行動していた歴代の四年生の姿です。私は誰よりもチームのために時間を使うこと。その姿勢を見せることを決めました。それがきっと「四年生」なんだと。


もちろんプレーはできない分、他の面で努力します。練習試合の動画はもちろんみます。コーチとのコミュニケーションも大事です。常に何を求めているのか把握します。そして何より重要なのが後輩たちに時間をかけるということ。はっきり言ってアナリストとしての仕事は私より後輩の飯塚の方が何倍も力になってくれました。自分にしかできないこと。それはきっと一人一人のパフォーマンスを最大限に発揮させてあげること。そのために常に練習からコンディションやメンタル面の状態を把握し、常にコミュニケーションをとり続けました。もちろん失敗したこともありましたが、今年のチームはとても真面目でいい子ばかりでした。可愛くて大好きな後輩たちの力になるためにどんな些細なことでも助けてあげたいその一心でこの1年間やり通すことができました。

その分一生懸命体を張り辛い陸トレをこなす後輩たちをみて、自分はなんで一緒にやってあげられないのか。どうして自分だけ楽な思いをしているのか罪悪感は募るばかり、GKは大塚一人で毎日全員のシュートを止め続け、なんで練習要員の自分が練習ですら力になれないのか歯痒い気持ちももちろんあり、そんな感情をグッと堪え支え続けた1年間。


結果はインカレベスト8と目標には届きませんでしたが、後悔は全くありません。

気づけばこの1年間チームメイトのためにと頑張ってきました。自分の中ではかなり誰かの役に立てた自負があります。私が一番このチームの中で人を助けたそんな自負すらありました。


けど思い返せばその原動力は常にチームメイトがくれたものでした。このチームのためこの場所を守るために支えていたはずがずっと支えられていたのは自分だと気づきました。


プレーも何もできない自分を、早稲田大学アイスホッケー部の飯見拓未としてこの場所に居続けさせてくれたのは、紛れもなくチームメイトでした。


私の一番の理想を言えば、たくさんのシュートを止め続けて、試合にも出てチームを勝利に導くGK。そんな千葉さんやとわみたいな、かっこいいヒーローでした。


当然それは夢物語でしたが、それでも誰かのために影で支え続ける。そんなヒーローもいるとそう信じてやってこれました。4人のMGたちなんかもそうなんだと思います。


そして何より両親もそんなヒーローでした。一番の理想としてのかっこよくプレーする私を両親に見せることはできなかったけど、それでもこの17年間楽しくなかったわけではないし、アイスホッケーをしていなかったら会えなかった人もたくさんいました。


いつかのホッケーができなくなったあの日。優しく責任感の強い父と母は思ったと思います。丈夫な体で産んであげれなくてごめんと。けどそんなことはありません。確かにこんな病気を持って生まれる確率なんて高くはないと思うし、なんでそれがよりにもよって自分なのか考えたこともあります。

けどそんな確率よりもこんな優しくて優しい父と母のもとに生まれてくることができた確率の方が何百倍も低かったと思うし、こうして2人の間に生まれて来れてよかったと心から思います。17年間たくさん心配をかけ、たくさん時間を使ってくれてありがとう。


正直今でもアイスホッケーを好きとは残念ながらいうことはできません。もう一回4年前からやり直せると言われても絶対やり直したくないです。二度とごめんです。

それでもこの4年間は間違いなく私の宝物であり、楽しかった思い出として何度でも思い出すと思います。

4年前のあの日ホッケーをやめたら、ホッケーをやめたら、、

そう考えることしかできなかった自分に今なら


ちょっとだけ後悔するよ


そう伝えたいです。

ありがとう早稲田大学アイスホッケー部。 










まいかへ

まいかは高校の同級生で同期の仲では1番長い付き合いになります。

毎朝早いのにきてくれてありがとう。いつも同期の間に入ってくれてありがとう。

何度も強い言葉で励ましてくれてありがとう

病気のとき、引き止めてくれてありがとう。いつも一緒に泣いてくれてありがとう。


のあへ

一年の九月にのあが入ってくれて大学生活は変わりました。

自分のやりたいことや信念にまっすぐなのあが大好きです。たまに真っ直ぐすぎて眩しくて、ちょっと嫉妬しちゃうほどでした

まいかと2人で必死に同期の輪を保ってくれてありがとう

ほんとはFWやりたいはずなのにDFやってくれてありがとう。ずっと隣で走ってくれてありがとう。


あさひへ

あさひは正直1番苦手なタイプで、本当だったらあまり関わりたくないような人種でした。

きっとあさひも俺のことをそう想ってたと思います。それでも実は泣き虫でクールなようで人一倍他人との繋がりを気にしてくれてるあさひが大好きです。

キャプテンとして1年間引っ張ってくれてありがとう。間違いなく最高のキャプテンでした。

多分二人で遊ぶとかそんな仲ではないけど、それでも間違いなく大切な友人です。


この学年から、とある理由で推薦で入って来る人がいなくなってしまいました。いろんなところで早稲田は終わったな、ハズレ年だなはとよく言われていました。

それでもこの1年間確かにこの部活を大きく変えることができたのはこの同期がいたからです。どう変化したかなんて深く関わった20数人しかわからないと思うけどそれでも、この同期たちと残せたものはとてもとても大きなものだったと確信してます。こんなめんどくさい自分を受け入れてくれて、支えてくれて最後の景色を一緒に見れて幸せでした。

4年間ありがとう!


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