『引退ブログ Vol.4 #27 清水朝陽』(武修館高等学校出身)
『引退ブログ Vol.3 #26 共田野安』(George Eliot Secondary出身)
『引退ブログ Vol.2 AS 飯見拓未』(早稲田実業学校出身)
2022年3月7日午前2時55分
まだ高校の卒業式も終えていない私は、この部活での初練習を迎えようをしていました。これから始まる4年間の生活に希望を抱き、、
なんてことはなくこれから始まる地獄に絶望感を抱きつつ、初日から「やめたい」というワードだけが浮かんできます。
ホッケーをやめたら、ホッケーをやめたら、、
そんな淡い希望だけを胸に私の大学生活はスタートしました。
思えば、アイスホッケーにそこまで熱意はありませんでした。一番の理由はもちろん私はアイスホッケーが下手だからです。そしてアイスホッケーが好きではありません。むしろ嫌いです。特に私のGKというポジションに理由があります。一失点の重みやミスした時のあの背中に寒気が走るような、そんな感覚が大嫌いでした。
何よりGKのうまさはチームの戦力に直結します。そうです。下手な私はこれまでのホッケー人生で8割の試合は負けていると思います。好きになる理由がないですね。笑
この17年間のうち数回は本気で部活を辞めさせてほしいと両親に泣きながらお願いしましたが、あと数年あと数年と騙し騙し続けてきました。
中学では同期に恵まれホッケーより、仲間といる時間が好きで乗り越えられた気がします。
高校では同期が私以外全員、初心者という稀有な環境の中で、初めてながらもその直向きに努力する背中に、何度も勇気をもらい無事に3年間をまっとうできました。
これでようやくホッケーはやめられる。そう考えてたある日、体育会からのお誘いを受けます。上手であればきっとホッケーをやることは楽しかったでしょう。しかし残念ながら私にそこまでの技術も体格もモチベーションも全てありませんでした。2秒でやるわけないと判断しました。
しかし体育会側にも並々ならぬ事情がありました。私が入部しないと、GKが一人きりになってしまうのです。GKが一人というのは練習もままならず、試合ですら常に安定しません。どうしてここまで実力のない自分が勧誘を受けてるかわかりませんでしたが、今思えばコーチ陣も練習でGK一人は効率が落ちるから、もし怪我をしたら大変だから誘っていたんだと思います。いわゆる練習要員ってやつですね。結局誘いを断りきれなかった私は入部を承諾してしまいました。
一年生。毎朝私が3時に起きて練習する中、同級生は無事に迎えたキャンパスライフを謳歌しています。寮でもうまく馴染めず、ホッケーにもやる気のない自分は早くやめて楽しいことがしたいと願う日々でした。
そんな中チームが秋リーグを迎えようとしていた頃、唯一のGK千葉さんが怪我をしてしまいました。
秋リーグ全試合に出場することになってしまった私は、30数年ぶりの6位と早稲田として恥ずかしい結果を残してしまいました。誰が見ても自分に非があったのは間違いなかったです。もちろんどうにかしてくれよ飯見、GKのお前がそんなんじゃ勝てるわけないだろと思われていたことも、GKが飯見じゃそりゃ勝てるわけないよな、、そう諦めの姿勢で思われていたことも知ってます。けどこちらの言い分としてこっちは実力ないの前提でそれでも練習要員として呼ばれたわけだからそりゃ勝てるわけないだろ!と自分に言い聞かせないとやってられませんでした。こうなったら早くやめてやる。ついに勇気を出し監督コーチに相談する中、一年最後の大会、インカレが迫ってました。
インカレは少し違いました。四年生の集大成でありいろんな感情が重なり合ったあの瞬間、全員が試合に勝つことを考えてる中、自分だけは辞めることを考えていた。それが恥ずかしくて、何よりあんなにかっこいい姿勢を見せてくれた四年生に自分はなんて態度で試合に臨んでいたんだろうとそんな気持ちでいっぱいでした。このままでは本当に迷惑をかけたままだと、もう少しだけ続けてみることを決意します。
2年目を迎え、練習にも寮にも慣れてきた私は、だんだんと居心地の良さを覚え始めます。
それまで「どうしてこんなに自分だけ辛いんだろうか。どうしてみんな助けてくれないんだろう、見てくれないんだろう」そう卑屈すぎる態度をしていた私でしたが、実は周りを見ていなかった、見ようとしていなかったのは私自身であることを思い知らされます。
同期はもちろん特に先輩である千葉さんや金井神さん、林かんたさんなどがここまで面倒を見て、優しい言葉をかけてくれていたことに今更ながら気づかされたのです。
一年の秋リーグでも何やってんだよとチームメイトは自分を責めてくる敵だと思っていましたが、ともに戦う仲間なんだと、チームメイトとは素晴らしいものなんだと思うようになりました。
それから自分の中で何か恩返しはできないか。ホッケーとしての実力ない自分だけどどんな形でも何かお礼がしたい。何かが明らかに変わり始めていました。
それまで自分のことを練習要員としてしか考えてなかった自分は、初めて試合に出てチームに貢献したいと思うようになり、その日から自分なりに努力するようになりました。大嫌いだった走りも筋トレも自分なりに頑張ったつもりです。初めて陸トレでチーム上位に入った時は忘れもしません。相変わらずホッケーは上手くなりませんでしたが、それでもチームに何か貢献できないか自分なりに探し行動することは気持ちが良かったです。
そんな三年生の秋でした。鮮明に覚えてるのはvs中央大学、試合前のアップ中だったこと。試合前余計なことでチームに心配をかけたくないと必死で隠しましたが、その瞬間頭が真っ白になり、倒れそうになるのを我慢していました。
実は私は生まれつき心内膜症欠損症という病気を持っています。それまで何回か症状が出てことはありましたがそれでも常人と変わらない運動ができていました。もちろんハンデはありましたが走りが遅いとかは純粋に自分の努力不足です。違和感を覚え病院に向かい、様々な検査を終え入院をしたあの日。先生は言いました「もうホッケーすることはできないよ。」先生曰く私には新たに心筋症の疑いがあり、これ以上スポーツをするのは危険だというのです。私は安心しました。もうホッケーしなくて済む!辞めることは自分にとっての悲願。こんなに嬉しいことはありません。それなのにあの日、病院の枕はびちょびちょに濡れていました。
嬉しいはずなのに、こんなに悲しい自分で自分がわかりません。
中学の頃から嫌というほど走ったあの時間も、毎朝起きて練習したあの時間も、ホッケーのために使ったこの16年間。
まだ何も残せてないことに気づきました。こんだけ時間を費やしてまだ親に先輩に活躍してる姿を見せれてない。チームにも恩返しできてない。
これまでの全てを否定されて気がして今までやってきたことはなんだったのかよくわからなくなりました。それでも捨てることはできないくらいこのアイスホッケー部は大切な場所になっていました。同期も後輩たちも見捨てることはできません。ホッケーできなくてもチームをサポートする。気づけば今までやってきたことではありませんか。最後の一年アナリストとしてチームを引っ張ることを決意します。
最後の一年。50年ぶりに負けた早慶戦を糧に、二度とこんな思いを後輩にはさせたくない。笑顔でこの一年を締めくくる。私たち同期の頭にはこれしかありません。この一年の同期の活躍は目まぐるしかったです。MGを束ねるまいか。DFを牽引するのあ。FWをまとめるあさひ。全てのバランスが完璧でした。
ここで一つの疑問が生まれます。じゃあ俺は何をすればいい?
四年生としてアナリストなんていう今までもなかったポジションとして何ができるのだろうか。悩みに悩みましたが、思い出したのはどんな時でもチームを想って行動していた歴代の四年生の姿です。私は誰よりもチームのために時間を使うこと。その姿勢を見せることを決めました。それがきっと「四年生」なんだと。
もちろんプレーはできない分、他の面で努力します。練習試合の動画はもちろんみます。コーチとのコミュニケーションも大事です。常に何を求めているのか把握します。そして何より重要なのが後輩たちに時間をかけるということ。はっきり言ってアナリストとしての仕事は私より後輩の飯塚の方が何倍も力になってくれました。自分にしかできないこと。それはきっと一人一人のパフォーマンスを最大限に発揮させてあげること。そのために常に練習からコンディションやメンタル面の状態を把握し、常にコミュニケーションをとり続けました。もちろん失敗したこともありましたが、今年のチームはとても真面目でいい子ばかりでした。可愛くて大好きな後輩たちの力になるためにどんな些細なことでも助けてあげたいその一心でこの1年間やり通すことができました。
その分一生懸命体を張り辛い陸トレをこなす後輩たちをみて、自分はなんで一緒にやってあげられないのか。どうして自分だけ楽な思いをしているのか罪悪感は募るばかり、GKは大塚一人で毎日全員のシュートを止め続け、なんで練習要員の自分が練習ですら力になれないのか歯痒い気持ちももちろんあり、そんな感情をグッと堪え支え続けた1年間。
結果はインカレベスト8と目標には届きませんでしたが、後悔は全くありません。
気づけばこの1年間チームメイトのためにと頑張ってきました。自分の中ではかなり誰かの役に立てた自負があります。私が一番このチームの中で人を助けたそんな自負すらありました。
けど思い返せばその原動力は常にチームメイトがくれたものでした。このチームのためこの場所を守るために支えていたはずがずっと支えられていたのは自分だと気づきました。
プレーも何もできない自分を、早稲田大学アイスホッケー部の飯見拓未としてこの場所に居続けさせてくれたのは、紛れもなくチームメイトでした。
私の一番の理想を言えば、たくさんのシュートを止め続けて、試合にも出てチームを勝利に導くGK。そんな千葉さんやとわみたいな、かっこいいヒーローでした。
当然それは夢物語でしたが、それでも誰かのために影で支え続ける。そんなヒーローもいるとそう信じてやってこれました。4人のMGたちなんかもそうなんだと思います。
そして何より両親もそんなヒーローでした。一番の理想としてのかっこよくプレーする私を両親に見せることはできなかったけど、それでもこの17年間楽しくなかったわけではないし、アイスホッケーをしていなかったら会えなかった人もたくさんいました。
いつかのホッケーができなくなったあの日。優しく責任感の強い父と母は思ったと思います。丈夫な体で産んであげれなくてごめんと。けどそんなことはありません。確かにこんな病気を持って生まれる確率なんて高くはないと思うし、なんでそれがよりにもよって自分なのか考えたこともあります。
けどそんな確率よりもこんな優しくて優しい父と母のもとに生まれてくることができた確率の方が何百倍も低かったと思うし、こうして2人の間に生まれて来れてよかったと心から思います。17年間たくさん心配をかけ、たくさん時間を使ってくれてありがとう。
正直今でもアイスホッケーを好きとは残念ながらいうことはできません。もう一回4年前からやり直せると言われても絶対やり直したくないです。二度とごめんです。
それでもこの4年間は間違いなく私の宝物であり、楽しかった思い出として何度でも思い出すと思います。
4年前のあの日ホッケーをやめたら、ホッケーをやめたら、、
そう考えることしかできなかった自分に今なら
ちょっとだけ後悔するよ
そう伝えたいです。
ありがとう早稲田大学アイスホッケー部。
まいかへ
まいかは高校の同級生で同期の仲では1番長い付き合いになります。
毎朝早いのにきてくれてありがとう。いつも同期の間に入ってくれてありがとう。
何度も強い言葉で励ましてくれてありがとう
病気のとき、引き止めてくれてありがとう。いつも一緒に泣いてくれてありがとう。
のあへ
一年の九月にのあが入ってくれて大学生活は変わりました。
自分のやりたいことや信念にまっすぐなのあが大好きです。たまに真っ直ぐすぎて眩しくて、ちょっと嫉妬しちゃうほどでした
まいかと2人で必死に同期の輪を保ってくれてありがとう
ほんとはFWやりたいはずなのにDFやってくれてありがとう。ずっと隣で走ってくれてありがとう。
あさひへ
あさひは正直1番苦手なタイプで、本当だったらあまり関わりたくないような人種でした。
きっとあさひも俺のことをそう想ってたと思います。それでも実は泣き虫でクールなようで人一倍他人との繋がりを気にしてくれてるあさひが大好きです。
キャプテンとして1年間引っ張ってくれてありがとう。間違いなく最高のキャプテンでした。
多分二人で遊ぶとかそんな仲ではないけど、それでも間違いなく大切な友人です。
この学年から、とある理由で推薦で入って来る人がいなくなってしまいました。いろんなところで早稲田は終わったな、ハズレ年だなはとよく言われていました。
それでもこの1年間確かにこの部活を大きく変えることができたのはこの同期がいたからです。どう変化したかなんて深く関わった20数人しかわからないと思うけどそれでも、この同期たちと残せたものはとてもとても大きなものだったと確信してます。こんなめんどくさい自分を受け入れてくれて、支えてくれて最後の景色を一緒に見れて幸せでした。
4年間ありがとう!







