私はこの春から、色んな事に取り組まなければなりません。なぜなら、本格的に将来を考える時期だからです。
正直私は、入学した当時は満足のいく大学へも行けずにこれからどうすりゃいいんだという気持ちでいました。
はっきり言うと、ひねくれていました。
偏差値が高いわけでもない、知名度もない、コネもない、就職先も決していいところばかりではない。
何のために大学通ってんだって、ずっとそんな気分でした。
でも、この2年で考え方は180度近く変わりました。
逆に、何にそんな期待していたのだ、と思うようになったのです。
いい大学へ行けば将来が約束されていたのか?もっとうまく人と付き合ってくればもっといい運命に出会えたのか?
絶対違う。そうじゃないし、何かにすがろうとしてた自分はとても無力でダサい。
社会学を学んで気づいたことがある、確かに親の投資に支えられ、ここまで平和に暮らし勉学にも励むことができた者もいる。
逆に、親の低所得や低学歴に苦しみながら生きてきたものもいる。自分は何て無知な存在なんだろう。大事なのは、どんな肩書を持っているかではなく、どんな生き方をし、どのような人間に成長したのかということなのに。
そのことにもっと早く気が付いていれば、無駄なことに悩み苦しむことはなかったのかな。なんてたまに思いますが、私は未熟な自分が意外と嫌いではないのです。あの時の自分がいたから今があるんだなあ~とか、しんみりするタイプです。
私は今、酔っ払っているので自分で何を言っているかよくわかっていませんが、たった2年でも少しずつ、少しずつでも変われた自分に拍手を送りたいくらいです。大げさですが、泣きそうです。
きっと私が2年かかって出したこの答えなんて、所詮はどっかの天才がクールに1行くらいで語る程度のことだと思いますが、私にとって世紀の大発見。人生を変える運命だったのです。
すごく神経質だった自分は何かに吹っ切れ、物事をすごく楽観的に考えるようになりました。
もちろん、楽観主義に弊害は付き物で、悩みがなさそうだとか自由でいいなとか嫌味を言われます。日常茶飯事です。
でも、他人に何を言われようが私は今の生き方や考え方にしっくりきているから、このまま今を全力で生きたい。
それが私の本望なのであります。
もっと深いことは、今後このブログにて色々話していければいいな、と思います。
なんせ、ここに私を知る人は恐らく一人もいませんから。
20歳の人間にだって、毎日気づきがあり、喜びがあり、悲しみがあります。
人それぞれが何かを抱えて生きていることには意味があると信じて生きています。
もっともっと色んな人を知りたいし、知られたい。そんな思いで今日も胸がいっぱいです。
また会いましょう。
