いろんなこと考える。

差別のある世界に触れると、自分が差別されているわけではななくとも、とっても傷つく。



自分は差別主義者ではないと思っていても、差別する人たちの視線を感じると気にしてしまう。結局自分も差別主義者なのではないかと感じてしまう。



その他人の困難を自分のものとして引き受けていけるのか、とてもじゃないけれど私はまだ自信がない。



でも応えたい気持ちがあるのも事実。



最近では慣れてきたのか前ほど臆病じゃない自分も。



あ~、どうすればいいんだろ~ガーン


※いみわかんないと思うけれど、独り言だと思って聞き流してくださ~いニコニコ
もうお祭りに四回も行ってきたよ~ニコニコ

一つ目はジャックド祭。人力舎の社長が南部町出身だとかで毎年芸人の方々が。今年はドランクドラゴンと東京03。これがまっったくびっっくりするほど笑えず。よっぽど素人の方がおもしろかったんじゃないかな~。

それから十和田湖湖水祭。これはよかったドキドキ1200発の花火が湖面に映り顔を明るく照らす、何ともムード溢れるお祭りでしたドキドキ

そして東北六魂祭。ナビなしで乗り込み、現地の人に道を聞き、ただで車をとめて地下鉄でいくプランを練ってもらい、かつ後をつけられ、間違ったルートに入ったら並走してきて、助手席の私の横に運転手のいかつい父さんがあらわれると思いきや、現われたのは昔ヤンチャでした系の若い母ちゃん、「誘導するから付いてきて~」。本当に助かりました。ありがとうございました。お祭りは混んでいたけれど祭ムードいっぱいで夏先取り気分あっぷアップ

そして三沢の七夕祭。八戸に比べると小さいけれど、空手ファイトがあって、かなり本格的でなかなかに盛り上がりました。なんだか市民の気質の違いを見た感じにひひ

来月は三社大祭が!なんと今年はミッキーマウスがパレードに参加してくれるんだってニコニコ

日本にいる時間も少なくなってきているけれど、夏を楽しんでみんなと良い時を過ごしていきたいキラキラ

私の親友はかれこれドイツに5年もいたのですが、彼女にしか話せない、というかわかってもらえない話があります。




いつもそういう話を細かい心で2人で話すのが私たちにとっての楽しみの一つです。




最近アメリカ人の友だちとよく遊ぶのですが、臆することなく、自身を楽しんだ状態で、伝えて、そして相手もそれを受けてさらに盛り上がって・・・これって他言語に限らず会話の理想だと思うのです。




会う回数も週に2,3回という頻度なので、かなりなじんできて違和感も減ってきたように感じていました。




留学を希望するくらいなのでもちろんそういう順応した自分というのは、「出会いたい新たな自分」ということで、とっても喜ばしいものなのです。




他言語で言いたいことがばしっと決まった瞬間ってたまらないよね!なんて友だちと話してたりもします。




・・・が、三沢から帰ってきて頭の中の独り言が全部英語で、なんだか感覚も少しだけいつもと違ったりして・・・というのを感じた瞬間、まだ出国もしていないのにとってもとっても日本が恋しくなってしまいました。同時に、本来の自分がどこかにいってしまいそうな気がしてとっても怖くなってしまいました。




昔付き合っていた人の両親はオーストラリアに移住して20年の日本人で、日本人なんだけど様式や価値観が少し違うように感じました。




順応するということは必要なこと、喜ばしいことである一方で、自分が育ってきた環境や価値観との決別、とまではいきませんが、かい離を伴うものなのだと思います。すなわちアイデンティティがゆらぐという事態が起きるんですね。




親友がいいことを言っていました。今は2つの価値観の間で振り子のように揺れている状態で、時とともにある一定の点に収束すると。すなわちそれが新たな自分のアイデンティティになるのではないかと思います。




でも完全に染まってしまうのは悲しいな。


将来外国に住まなければならなくなったら私日本人じゃなくなっちゃうような気がする。




カナダには行って勉強してくるけれど、将来はこのままずっと地元で家族と暮らしていきたいな~なんて思いが強くなってしまいました。