私の親友はかれこれドイツに5年もいたのですが、彼女にしか話せない、というかわかってもらえない話があります。
いつもそういう話を細かい心で2人で話すのが私たちにとっての楽しみの一つです。
最近アメリカ人の友だちとよく遊ぶのですが、臆することなく、自身を楽しんだ状態で、伝えて、そして相手もそれを受けてさらに盛り上がって・・・これって他言語に限らず会話の理想だと思うのです。
会う回数も週に2,3回という頻度なので、かなりなじんできて違和感も減ってきたように感じていました。
留学を希望するくらいなのでもちろんそういう順応した自分というのは、「出会いたい新たな自分」ということで、とっても喜ばしいものなのです。
他言語で言いたいことがばしっと決まった瞬間ってたまらないよね!なんて友だちと話してたりもします。
・・・が、三沢から帰ってきて頭の中の独り言が全部英語で、なんだか感覚も少しだけいつもと違ったりして・・・というのを感じた瞬間、まだ出国もしていないのにとってもとっても日本が恋しくなってしまいました。同時に、本来の自分がどこかにいってしまいそうな気がしてとっても怖くなってしまいました。
昔付き合っていた人の両親はオーストラリアに移住して20年の日本人で、日本人なんだけど様式や価値観が少し違うように感じました。
順応するということは必要なこと、喜ばしいことである一方で、自分が育ってきた環境や価値観との決別、とまではいきませんが、かい離を伴うものなのだと思います。すなわちアイデンティティがゆらぐという事態が起きるんですね。
親友がいいことを言っていました。今は2つの価値観の間で振り子のように揺れている状態で、時とともにある一定の点に収束すると。すなわちそれが新たな自分のアイデンティティになるのではないかと思います。
でも完全に染まってしまうのは悲しいな。
将来外国に住まなければならなくなったら私日本人じゃなくなっちゃうような気がする。
カナダには行って勉強してくるけれど、将来はこのままずっと地元で家族と暮らしていきたいな~なんて思いが強くなってしまいました。