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3 平成22年5月18日におけるAとのやり取りについて

 (1)平成22年5月18日に復職すべく甲教室にお伺いいたしました。

 その際に、ビルの1階で、小学校5年生の時から担当していた極楽とんぼの山本君(当時高校3年生)にばったり会いました。

 ここ数年は彼の担当を外れていましたが、「大学受験の年になったらもう一度しごいてやるよ」と常々申しておりましたので、やっと約束を果たせると思い、彼の近況を聞きました。

 話を聞くと地理が全く分からないとのことで地理を受け持って欲しいと頼まれたので、「今日から戻るからまた担当してやるよ」と約束し、甲教室がテナントとして入っている7階に向かいました。

 教室に入るとAがカウンターにおられたのでご挨拶し、本日から復職したい旨をお伝えしました。

 Aは、「とりあえずこちらへ」といってブースへ私を案内しました。

 席に座って待っていると、Aは重たい口を開き、出てきた言葉は「実はもう申立人は辞めていることになっているので・・・」というものでした。「どうしてもというのであれば、新規で契約という形になるので、それでもよければ」という言葉が続きました。

 あまりに突然のことで、頭が真っ白になりました。何のための休職届だったのか、問題があるなら、なぜ休職届を出したときに言ってくれなかったのか、今まで6年以上勤めてきたキャリアが何の意味もないということなのか、色々な思いが頭を駆け巡りました。

 私が、「休職届出していましたよね」と確認すると、Aはそのこと自体は否定せず「一応会社の規則でそうなっているんで」というようなことを述べました。いつ、どんな理由で辞めたことになったのかについて説明はありませんでした。

 私はひとまず「ちょっと考えさせてください」というのが精一杯でした。

 Aは「決まったら教えてください」と言い残してカウンターに戻っていきました。

 面談ブースは他と仕切りで区切られているにすぎないので、ブースでのやり取りは講師室の方にも聞こえていたようで、時間講師のおひげ様が様子を見に来ました。

 10分ほど2人で会話し、「(時給が)3分の1くらい違うよ」などの言葉を交わしたのは覚えています。

 このような扱いになってまで、はるばる通うのは馬鹿馬鹿しいとも思いましたが、先ほど極楽君と授業を受け持つ約束をしたのに、今更やらないとは言えないこと、もう一人、私の復職を機に復塾する予定の生徒がおられることを考え、やむなく新規の契約を結ぶことに同意しました。

 今思えば、そこで「退職の根拠となった規則があるなら見せて欲しい」などと詰め寄ればよかったのかもしれませんが、正社員の方が「規則上・・・」と言っているのに、「じゃあその規則を見せろ」というのは実質的に相手に対して「あなたのいうことは信用できません」と言っているも同義ですし、せっかく戻ってきて早々揉め事は起こしたくないと思ったので泣く泣く署名押印しました。

 この2人が6月から私の担当になったこと、及び私が新人講師としてのトレーニングを受けたのは会社も認めておられることです。


2 休職期間における甲教室及びAとのやりとりについて

 (1)休職期間に入ったとはいっても、元生徒たちが新しい担当の講師と上手くやっていけるか確認する必要がありましたので、7月の最初の2週間はそれまでと同様に甲教室に出向き、新しい担当の講師から様子を聞いて必要に応じて指示を出していました。

 (2)8月2日に時間講師の仲間が主催してくれた送別会以降は、教室に出向くことは控えるようにしましたが、講師とメールのやり取りをして元生徒の様子は把握するようにしていました。

 (3)8月の後半に入ったころ、本社の〇〇部を名乗る方から携帯にたびたび留守電が入っておりましたので、不思議に思い、Aにお電話いたしました。

Aは「講師のアンケートだと思うので折り返しかけてください」と言われました。私はアンケートを取るなんてまるで辞めた人間に対する対応だなと思い、「休職中でもアンケートを取るんですか」と聞いたところ、Aのお返事は「退職であっても、休職であってもアンケートをとる」とのことでしたので、その言葉に安心し本社からの電話を折り返しました。

〇〇部の方とのお電話では、これまでの6年間の勤務で感じた改善点についてお話させていただきました。1時間近くお話させていただいたので、アンケートとしてはかなり長いものになったと思います。わざわざ何度も電話をかけてこられるくらいですから、記録もとっておられると思いますが、本社のことなので私には分かりません。

 (4)甲教室にはその後何回かお伺いしたと思いますが、確実に覚えているのは以下の日です。

(5)11月14日、久々に甲教室に出向き、Aや講師の皆さんにご挨拶をしに行きました。この日付を覚えているのは、実家の父親が仕事の関係で東京にやってきた日で、お世話になっているAに一緒にご挨拶に伺ったからです。

ご挨拶に際して駅近くの銀座コージーコーナーでオレイユというお菓子を30個ほど購入して差し入れしました。休職により講師のみんなにご迷惑をかけている部分は少なからずあるだろうと思いましたし、勉強に専念できるのも休職を認めてくださったAのおかげだと深く感謝していたからです。父親と一緒に伺ったことはAも覚えておられると思います。

その日にAと交わした会話は、〇〇さんがAO入試で大学進学を決めたことについて、当初の目標通りに一般入試も受けさせるべきか否かという内容でした。

生徒さんの頑張っている様子を見て、来年戻ったときにきちんと教えられるか確認しないといけないかなと思った私は、12月23日実施の東進ハイスクールの試験を申込み、自分よりはるかに年下の受験生たちに交じってセンタープレ試験を受けてきました。国語以外は惨憺たる出来でしたが、復職にむけてどの科目を再学習すべきかのチェックはできました。

(6)年が明けて1月16日、元講師の〇〇さんと一緒に再び甲教室に出向きました。この日は甲教室の前々教室長である安田大サーカス団長の結婚お祝いメッセージを書くために行きました。ちょうど大学入試センター試験の第1日目で、問題を持参して来られた生徒さんに解答及び解説を作るために講師同士の話し合いがなされていました。私もその輪に少し加わり問題の検討を行いました。時間があまりなかったので、センター試験の問題を講師の〇〇先生にコピーしていただき持ちかえりました。その日のことで覚えているのは、たまたまセンター試験の報告をするために甲教室に電話してきた元生徒さんと教室の電話を使って久々に会話が出来たことです。電話を取り次いでくれたのは講師の〇〇先生でした。

(8)確実に覚えているのは上の二つです。

(9)他にも何回かお邪魔していますが、Aからは元生徒のこと以外は特に聞かれませんでした。

2月に入り、大学院の卒業試験が近付いてきたので以降甲教室にお邪魔することはありませんでした。ただ、講師とメールでやり取りしながら、どの講師が辞めてどの科目が人手不足かという情報は仕入れていました。5月に戻った時に必要な分野をチェックしておきたかったからです。


1 平成21年6月におけるAとのやりとりについて

 (1)平成21年4月11日の契約更新日において、Aに今年度の途中からお休みをいだだくことを考えている旨をお話しました(「休職」という言葉を用いたかは覚えていません)。

 その際Aから「申出の1カ月前までに担当生徒の引継先の決定等を済ませてください」という指示をいただきました。

 (2)平成21年6月6日、「引継先の決定が済んだので休職に際し提出必要な書類がありましたら教えてください」とAに申し出ました。

Aはパソコンから休職届をプリントアウトし(休職届や退職届については用紙が常置してあるわけではなく、社員の方がその都度印刷する運用がなされているようです)、「必要事項を記載したらもって来てください」と言いました。

頂いた用紙は、左上に「休職・退職」とありどちらかを○することにより「休職届」、「退職届」となるようでした。

休職届の場合は更にその下に休職期間を書く欄がありました。

私は、平成21年7月1日~平成22年5月31日と記載しました。

少し長いかなと思ったのですが、留学等で1年間近くお休みされる講師の方をこれまで何人か見てきたこと、これまで6年間勤務してきたことからそのくらいの長さならば認めていただけるのではと考えていました。

なぜこれを覚えているかというと、Aから「申出の1カ月前」と言われていたのに、すでに6月に入っていましたので、6月末からお休みをいただくのはもしかしたら駄目と言われるかもしれないと思ったからです。

もし駄目と言われた場合は、7月末に直すつもりでした。

復職予定を5月末にしたのは、来年の新司法試験を受験するとしても、その日付なら確実に戻ってこれると考えたからです。

休職期間についても期間を短くするよう求められたらそれに合わせるつもりでした。辞めるということは一切念頭にありませんでした。

左下欄に担当していた生徒の名前と引継先講師の名前を書き、その他の必要事項を埋めてAの下に持っていきました。

Aは1カ月前を過ぎていることについては何も言いませんでしたが、「もしかしたら休職届出さないで、ただ担当生徒がいなくなっただけという形にした方がいいかもしれない」と言われました。

私はそれに何の意味があるのか分からなかったので、特に触れず「中途半端だとよくないと思うので、休職でお願いします」とだけ答えました。

Aは「分かりました」と答えて休職届を受け取られました。

私としてはこの時点で休職届が受理されたという認識でおりました。

その後担当生徒の最後の授業を6月27日に行い、以後休職期間に入りました。