ウチの実家のこと | 文武両道を目指す!~ペンは剣より強し~

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先代の白頭山は格闘家ですが、勝手に二代目を襲名した白頭山は文筆で勝負します。

ウチは父親が在日韓国人、母親が日本人だ。

1976年生まれの僕には、現在認められている二重国籍が認められておらず、父親の国籍を継ぐ形になった。

従って、韓国籍のまま36年以上生きている。


父方の祖父が日本本土に来たのは17歳頃だったらしい。

求人による徴用で、北海道の炭鉱で大伯父とともに働いていたとのことだ。

戦後、知り合いのつてで大阪に移住し、そのまま定住した経緯がある。


僕がHNを白頭山に変更したが、何も朝鮮半島最高峰にだけ肖ったのではない。

大伯父は戦後に相撲界に身を投じたが、ついた四股名が白頭山だった。

当時は外国籍の力士への昇進が厳しく、幕下止まりだったらしいが、その後プロレス界に身を投じた。

力道山の弟子となり、リングネームも白頭山だった。

今回改めたHNは、大伯父に因んでいる要素が強い。


残念ながら大伯父は50歳頃に脳卒中を発症し、その合併症もあり、僕が生まれるかどうかの時期に逝去している。

祖父は商売をしながら生活していたが、晩年は韓国に帰り、親族との関係も希薄になったが、7年ほど前に77歳で肺癌で亡くなった。

現時点で、この2人から朝鮮から日本本土に来た経緯を確認する術は無い。


もう1人、大叔父がいる。

大叔父は兄2人が日本に徴用されたときには13歳であり、一緒に日本本土に来なかったらしい。

しかし、畑仕事の間に強引にトラックに乗せられ、奇しくも同じ北海道の炭鉱で働いたらしい。

現在も生きているが、認知症もあり、話ができない。


これらの話は小学生の頃、祖父や大叔父に会い、相手が酔っ払うと何回も話を聞いたものだ。

両親の勧めではだしのゲンを読んだり、歴史を学んだりした10~12歳頃に何度も同じ話を聞いていると、一言一句違わず記憶できたものだ。

与太話では無い。



ここまで読んだ、特に「強制連行は無かった」などと書ける方々は、「またありもしないことを」と思われるだろう。

僕の母方の祖父。

この人も戦争被害者の1人である。


母方の祖父は、大阪・泉州地域で個人で紡績業を営む家に生まれた。

どこかで誰かが「三代遡って日本人と証明されなければ…」と書かれていたが、その意味では母親の実家は間違いなく日本人だ。

少なくとも江戸時代、岡部氏が名古屋から岸和田城にやって来た頃には糸偏の商売をしており、岸和田城の岡部氏に納め物をしていた記録が蔵に残っている。


その祖父が何故戦争被害者かと言うと…。

徴兵され、その後シベリアに2年ほど抑留されていたのだ。

戦友の中には餓死、凍死する者もいたが、何とか昭和22年秋頃に日本に帰国した。

そして、昭和24年に母親が生まれている。



僕は、十把一絡げにされると一部の方に「日本から出て行け」呼ばわりされる存在だが。

法律上は韓国籍だが、中にはこんな存在がいることを知って言っているのだろうか?


かと言って、在日の中で特別扱いして欲しい訳では毛頭ない。

在日として日本で生活するようになったのは運命であり、宿命なのだから、目標としては差別を無くすことだ。

そして在日の要素、日本人の要素を含む人間がいて、色々発信するだけのことだ。

今までのあちらこちらでのコメントなどを見れば、僕の基本的な考えやスタンスは分かってもらえると思うし、変わらない。


いかに「純粋な日本人の血」を継ぐことが困難かを示す存在としても、僕は日本にいるのである。

韓国式、日本式の法事をともに主催し、参加している人間だって、まだ珍しいであろう。



路線変更の目的としては、単に在日の立場からのみではなく、今まで隠していた日本人的な要素も含めた発信をしていきたいこともある。

基本的な僕のポジションは変わらないことは改めて書いておくし、これからの記事を見ても確認できるようにしていきたい。