20200111。
この日は2020年はじめての満月でしたね。
敢えてモノクロ加工を施してみました。
皆さまはダイアログ・イン・ザ・ダーク をご存知でしょうか。(以下、DIDと略します)
日本語にすると「暗闇の中の対話」。
私は以前、たしか友人から聞いてその存在だけは知っていました。
真っ暗闇の中、知らない人同士(少人数)で対話をしながら過ごす。
とてもザックリしたアウトラインしかわからず、聞いた時に興味は持ったもののそのままにして日常の中に紛れてしまったのですが、今回ふとしたキッカケで参加してきたんです。
土曜日は夕方まで仕事があるので、そのあとに友人と会おうということになり「その時間からどこにいく?何をする?やりたいことある?」と相談のLINEを交わし、お互いちょっと考えよう…とそれぞれ思案した翌日。
ネット検索していてたまたま見つけた上↑のサイトにピンときて即、友人に連絡。
「テレパシー?おなじこと考えてた」
そりゃもう、行くしかないっすね☺️
予約サイトを見るとちょうどいい時間(18時半の回)が、ぴったりあと2席空いている…ハイハイそうですね決まってたんですね、行くことに…という解釈の元にサクサク予約しました。
割といつも(何かを学ぶ場合は)単独行動が多い
私ですが、この日は友人と一緒だということもあり「暗闇」「初対面の人々」「初体験のこと」に対する不安感はほとんどありませんでした。
少し前に「耳をひらく」という学びの場で、普段いかに視覚に頼っているか…ということを痛感していたので、視覚を使わずに時を過ごすことに対する純粋な興味と好奇心が強まっていたせいもあると思います。
あまり予備知識なくDIDの場に向かい、指定されていた動きやすい服装に着替えて準備しました。
当日の参加メンバー8人揃ってまず通されたのは、小さな椅子が並んだ小さなお部屋。
そこで注意事項などを聞きます…このとき、私たちを案内してくださる「いしいしさん」と初対面。
(DIDでは、全員ニックネームでお互いを呼び合います。普段の肩書きや役割などから離れて、しばし共同体として動くための呼び名です。自分が考えた好きな名前で呼んでもらえますが熟考する時間はありません、笑笑)
いしいしさんは、視覚障害者の方(全盲ではないそうです)なのでいわばこの日のとても頼りになる先達さん。
ここから先の2時間ほどは彼の言葉と声がガイドしてくれる世界。
最初に入った小さな部屋で、それぞれに白杖が渡され使い方の説明を受け、杖を持たないほうの手をどのようにすると良いかなども教えてもらって、少しずつ明かりが落とされていきます。
そしてやがて真っ暗…と感じましたが、いしいしさん曰く「まだこの部屋は真っ暗ではないんです。目が慣れてくればわずかな光がドアの隙間からみえるかもしれません」とのこと。
お互いの呼び名をすぐには覚えられない…と思いましたが、その点もいしいしさんは「なにか行動するときに必ず自分の呼び名を名乗ってからやりますので、だんだん覚えます。大丈夫ですよ」と安心させてくださいました。
(どんな風にやるかというと「いしいし、しゃがみます」「いしいし、前に進みます」などといった感じです。そして誰かの体に触れた時などは「◯◯さんですか?」「はい◯◯です」とやりとりするわけです。)
諸注意を理解した上で、いよいよ本当の暗闇へ進んでいきます…。
(もし、なんの先入観もなくこの体験をしたい…とお考えの方がいらっしゃいましたらこのあとはある意味ネタバレしてしまっているのでご注意ください。)
ここからは、まったく「見えていない」ので私が感じたものと他の方が感じたものはきっと違うのだと思います。
例えば私が山の中の渓流の音だと感じたものは、ある人には滝に聞こえたかもしれないしごく小さな水の流れに思えたかもしれないし…兎にも角にも水の音がする空間。
鳥の啼き声。木の香り。
裸足になった足裏で感じる砂利。
その砂利より大きめの石がゴロゴロしているところ。
何かの木の幹がどーんと根付いている場所。
手水鉢に張られた水の感触。
小さな扉、茶室のにじり口、足湯、檜舞台。
ゆっくりと変わっていく場面を、白杖と手足の触感を頼りに進みます。
もちろん前を行くメンバーの声や手も大きな助けとなります。
見えない…ということに恐怖心を抱いているメンバーもいれば、最初からワクワクを隠せないひともいましたし、自分で決めたキャラを貫き通そうとする意思を感じさせるメンバーもいました。
私はといえば、自分でも少し不思議に思いましたが「怖くないよ、大丈夫だよ」と周囲の人を安心させたい気持ちがわき上がっていて、近くにいた「うえちゃん」や「くろちゃん」の動きが止まっている?(ように感じた)時は自然に声をかけていました。
(自分だって同じように初体験の暗闇で、どこになにがあるかなんてわからないのに…なんだったんだろうなぁと改めて考えたりします。)
見えない。
ならば感じよう。
五感をフルに働かせ、感じたい。
その想いはとても強かった気がします。
そしてその場を「恐怖」や「不安」の波動で満たしたくない、「安心」と「信頼」で和らげたい、
「楽しい、興味深いと感じている波動」で中和したい…そんなところだったのかもしれません。
だから本当は、自分も不安だったのかも?
不安に飲み込まれることが不安だったのか?
なんにせよ、良い場にしたいという思いがあったのは事実です。
8人のメンバーのうち、私と友人以外の6人は同じ職場の仲間というのも珍しい構成だったかもしれず、これがすべて仲間内である場合や、逆にまったくバラバラであった場合、もっと少人数だった場合など…そのときによっておそらくかなり違うパーティ(登山などで使う意味)になると思うのです。
どんな場合でも、暗闇の中では助け合うことは必須でありコミュニケーションを取る重要性を痛感するのは、きっと間違いないはずです。
だからこその「対話」。
一方的に話すのではなく、人の言葉に耳を傾け自分の状況や意思を伝える。
なるほどなぁと感心しながら、最後の檜舞台では瞑想をするのですが…つまりこれは、他者ではなく自分との対話の時間。
目を閉じても閉じなくても真っ暗なんですが、私は瞑想するときに目を閉じていたかな…これもちょっと不思議な感覚です。
(その二日後に、今度はゾクチェンの教えに基づく瞑想などをしたのですがこれは目を閉じないことが基本なのです。このことは、また後日書きたいと思います。)
メンバーの中には「目が乾いた」と言っている人もいて、そこではじめて自分は「あれ?わりとずっと目を閉じていたのかな」と思い当たったんです。
私にとって暗闇は、親しみ深いもの。
懐かしく温かく適度に湿り気があり、深く柔らかい手触りと控えめな香りが似合う世界。
居心地の良さ。
見えないからこそ得られる自由な感覚。
音には色があり、声には体温があり、手足に触れるものには主張がある。
わかりやすいことに、人間同士というものは見える世界では容姿などでジャッジする・されることが多いですよね。
でも見えないと、声だったり喋り方だったり、話す内容(つまり考え方)だったり…ジャッジする部分が変わる。
ジャッジから完全に自由になることは困難ですが、普段のジャッジから離脱できる伸びやかさはあると思いました。
もともと「音」が好きで、「言葉」に重きをおいている性質の私には生きやすい世界なのかもしれない…むしろ「視覚」が邪魔をしていることも多いのだと潜在的に感じていたのかもしれない。
あっという間の2時間が過ぎ、いしいしから元の小部屋に戻ります…と聞いた時は少し物足りない気もしました。
できるならば、この檜舞台(ある程度の広さがあるようでした)で自由に体を動かしたい、暗闇をひとりで探索したい、一晩くらいここで眠ってみたい…そんな気持ちがしたのです。
もちろんそれは許されないことでして(笑)、大人しく指示に従いDIDの空間を後にするのですが…そこから出る際に、いしいしが祝福の音を奏でてくれました。
さぁここからは新しい自分ですよ、新しい時間ですよ、誕生日おめでとう…そういった意味合いの、力強く豊かな音。
嬉しいな!と感じつつ、順番に小部屋へ。
椅子に座り、感想をシェアし、少しずつ目を慣らして…ほんの少しの明かりが眩しいという感覚や、暗闇で感じたのとは違う自分の足指のことや、周囲の人たちの姿に(嫌な感覚ではない)違和感を覚えたり。
変わらないのは「いしいし」のブレない声。
それがとても有り難く感じ、いしいしに出会えたことに感謝する気持ちが膨らんでいました。
よく知らないけど、彼はとても豊かな人だとDIDのあいだに確信しましたし、美しい波動をずっと感じていました。
私自身も、そうでありたい。
容姿はどうあれ(笑)、美しい波動を…。
小さな頃は(姉と比較されることが多かったせいか)容姿に対するコンプレックスが強かったのですが、最近は実はあまり気にならなくて。
それは多分、自分が「視覚によるもの」よりもそれ以外の感覚によるものを重視しているからなのでは、と思うのです。
美しい風景、美しい人、美しい芸術作品。
とっても惹かれますけどね。
本質。
ものごとの、ひとの、本質は表面だけではわからないから。
目を閉じて初めて見えるものがある。
うーむ、ということは。
耳を閉じて初めて聞こえる音もあるんでしょうね。
意識して耳をひらく。
そのことにこの数年、知らずしらず取り組んできた私ですが、意識して耳を閉じる体験もそろそろ良いのかもしれない…などと思う共振の月7日です。
DIDが終わって、千駄ヶ谷でみたお月様。
実は友人との待ち合わせ前に、立ち寄って参拝してきました。
父の会社の社宅だった家(アパート)はもうとっくになくなっていて、周りの景色も様変わりしていますが鳩森さんはずっと変わらずにそこに鎮座してくれています。
ルーツ、というやつですね。
この場の近くでDIDという体験ができたことにもご縁を感じます。
先ほどちらっと書いたゾクチェンの教えに基づく「チベットYOGAヒーリング」と「天真体道ボディーワーク」のことも、近日中に書きたいと思います。
DIDの二日後(1月13日KIN185)そこで出会った人々ともご縁を感じているので…。
つくづく、人生はおもしろい。
学ぶことは楽しい。
そんなことを呟いて今日のまとまりのないブログを終えようと思います。