いやはや、前回の投稿からはや4ヶ月以上経過しました(^_^;)
すでに時は桜満開の好季節ですね。

ここのところのJW組織の 「この世的変化」 には
こちらが付いて行くのが難しいくらいのスピードですから
つっこむのも阿呆らしくなってきた感が
なきにしもあらずです(苦笑)


さて、記念式も例年通り無事に?終了したようですが、
毎年のことながら、キリストの死の意義に
時間を多く割くこともなく、
どれだけの人数が出席するか、という数合わせに
終始したことと思います。

その、数のことですが、
いわゆる 「油注がれた人たち」 の人数についての
説明が出ていました。

「ものみの塔」(研究用) 2016年1月号の中の

「霊がわたしたちの霊と共に証しする」
および
「わたしたちはあなた方と共に行きます」

この2つの記事は、油注がれた人たちの人数が
近年増え続けていることへの釈明、
いや、言い訳と言ってもいいでしょう。


今までの全体的な統治体の説明ですと、
油そそがれた人の数は減少するはずでした。

例えば塔1970年8月15日号510pでは、
すでに天でよみがえらされた者たちと,まだ地上にいる,
霊によって生み出された残れる者の数を合わせると,
14万4,000人の数は,1935年ごろから満たされた
ということを意味していますか。
そのとおりです。証拠からすれば,それは当然の結論です。


そのように言い切っていました。


ところが2007年5月1日号30pの読者からの質問の
中では、
時たつうちに,1935年以後にバプテスマを受けた
クリスチャンの中にも,自分は天への希望を持っている,
と霊によって証しされる人が出てきました。(ローマ 8:16,17)
したがって,天への希望を抱くようクリスチャンを召すことが
いつ終わるかに関して,
明確な時を述べることはできないように思われます。


※赤字は管理人

と、今までの教理を大幅に変更(爆)

つまり、若くても油そそがれた人が
これから、いくらでも出てくる可能性があるということを
了解したということになります。


それでも近年、徐々に油そそがれた人が増えることが
統治体にとっては、面白くなかったのかもしれず
今回の記事がでたのでしょう。

「霊がわたしたちの霊と共に証しする」の10節では、
油そそがれたクリスチャンは,他の人たちと同様,
霊的な教えを必要としています。
しかし,自分が油そそがれたことを
だれかに確証してもらう必要はありません。
宇宙で最も強力な力がその確信を与えたからです。


加えて11節でも
この個人的な召しについて,
それを経験したことのない人に十分説明することは不可能です。


とも、説明しています。

つまり、統治体のこの件についての説明(言い訳?)は

油注がれた人たちの中にも大群衆の中にも
同じくらいの高い霊性を維持する人がいますし、
時には大きな罪を犯す人もいるわけですから、
第三者には見分けがつかないのです。


ということでしょう。

こうなると、油注がれた人たちが、
どうのこうのという議論自体が馬鹿らしく思えてきて、
どうでもいいじゃないか、と言いたいところなんですが、
例の塔痴態の人たちは全くそうは思っていないご様子(・ω・)ノ

というのも、
「わたしたちはあなた方と共に行きます」の16節では

1世紀にクリスチャン・ギリシャ語聖書の筆者として
用いられたのは,少数の油そそがれた人だけでした。
今日でも,「時に応じ」た霊的食物を備えるよう
任命されているのは,少数の油そそがれた人だけです。


ということですから、
ちゃっかり、自分たちだけは特別に神から選ばれ
他の人から見ても紛れも無く油そそがれている人だと
認識されるべきだと思っているのです┐(-。ー;)┌ヤレヤレ


まあ、とどのつまりは、
「言ったもん勝ち」ということなのですよ(爆)