いよいよ今奉仕年度も残すところ、
あと一週間ほどになりましたね。

残暑の中、優雅に休暇を楽しむJWもいるでしょうし、
寝食を犠牲にして”時間入れ”に
没頭する開拓者もいることでしょう(笑)
お疲れ様です。


ところで、
JW統治体の目的は塔組織の維持と拡大です。

さらに、えげつなく具体的に言うと、
統治体成員の地位と名誉と
贅沢で安定的な生活の維持
です。

決してJW平信徒の幸せと満足ではありません。
これは間違いのないことです。

これを実現させるためには
自分たちに仕え、寄付をしてくれる平信徒への
巧みで効果的な洗脳教育が必要不可欠ですよね。

つまり、JW平信徒から
「自分たちは騙されているのではないか?」 
と思われないように、
いや、それ以上に統治体こそ神の代理をしているので
決して反抗してはいけないのである、というふうに
思わせていく
のがポイントです。


そのことを感じた研究記事が先日扱われました。

塔2015年6月15日号の研究記事
「模範的な祈りに沿って生活する その1」の中で
これはいったいどういうこと? と感じた部分が
ありましたので、もう一度触れてみますね。

ここの11節には、こうあります。

イエスが昇天する前に使徒たちは,
「主よ,あなたは今この時 に,イスラエル に
王国を回復されるのですか」と 尋ねました。

イエスの答えからする と,その時はまだ,
神の王国がいつ支配 を 開始するかを知るべき時
ではありません
でし た。

イエスは,弟子たちが行なう べき大切な証しの業 に
注意を向けさせました。(使徒 1:6‐8 を 読む。)

それでも イエスは,神の王国が来ることを
待ち望むよう教えておられます。
ですから クリスチャンは,使徒たちの時代以降,
王国が来ることを祈り求めてきました。


※赤字は管理人

ここで、神の王国が支配する時を知りたいと思うのは
弟子として当然だとしても、
王国が来るその日と時刻は
イエスにも知らされていないのですから
弟子たちにも当然知らされない(知る権限がない)と
言えましょう。

マタイ24:36節(新世界訳)には、こうあるからです。

その日と時刻については+だれも知りません。
天のみ使いたちも子も知らず,
ただ父だけが知っておられます。


つまり、王国が来ることを待ち望み、
毎日の祈りの中にそれを含めることは勧められていても
その日を 「算定する」 ことをイエスは
勧めなかったのです。

というか、
知る権限もないし、無駄な努力でもあるし
クリスチャンとしてもっと大切な事がある、
ということを言いたかったのでしょう。


この11節の説明だけで、王国を待ち望む精神態度は
大事であるけど、正確な日時を推測するのは
クリスチャンとして相応しくないということが
理解できなければ、「理性による神聖な奉仕」 など
実現不可能ですよね。


ところが、驚くことに、続く12節では
唐突にこんな記述になってしまっています。

イエスが天の神の王国で支配を
開始する時が近づいたころ,
エホバは,その時がいつかを理解できるよう
ご自分の民を助けてくださいまし た。


1876年,チャールズ・テイズ・ラッセルの
書いた「異邦人の 時: それはいつ終わるか」
という 記事が,「バイブル・イグザミナー」誌(英語)に
掲載されました。

その記事では 1914 年が重要な年とされ,
ダニエルの預言の「七つの時」が
イエスの述べた「諸国民の定められた時」と
結び付けられました。* ―ダニ 4:16。ルカ 21:24。


※赤字は管理人


11節で、あれほど王国の支配開始の時を算定することを
慎むように説明していたのに
12節ではそれが180度逆転しているのです(・o・)

それでも多くのJWにとって
この記述をすんなり受け入れる事が出来る理由は

エホバは,その時がいつかを 理解できるよう
ご自分の民を助けてくださいまし た。


という言い回しにあります。

神やイエスは一言も王国支配開始の時期を
算定することを励ましてもいないのに
統治体は自分たちの思考の暴走を
なんと、神のせいにしてしまっている
のです。

ここが、統治体の思想教育の巧みな点です。

自分たちの狡猾な思考操作を、
あろうことか、神がそうさせてくれた、と表現することで、
統治体こそが 「神の代理をする」 崇高な存在である
と思わせることに成功しているのです(ーー;)


JWの皆様、新奉仕年度がもうすぐ始まります。

新奉仕年度の霊的目標を
「一つでも多く統治体の洗脳教育的記述を
発見すること」 にしてはいかがでしょうか(爆)